第一一二話 心労

田植えが終わった頃、滝川のおっさんが長島の願証寺にやってきた。


「お祐殿が?」


「はい…」


なんでもお祐殿が塞ぎ込み寝込んでしまったらしい。気丈な彼女が倒れるというのはここ数年見ていてにわかには信じられないが、調子が悪い程度でおっさんがわざわざ俺に報告に来る訳も無し。どうやら殊の外彼女の体調は思わしくないようだ。


「何かの病か?」


風邪かインフルエンザか、この時代流行り病はわりとヤバい。俺にはワクチンなんて作れないしそれどころか風邪薬だって作れない。

葛根湯は葛根の根とか聞いた気がするがそもそも葛根が何かわからん。それにそれ以外にも十七種類の生薬とか銘打ってた気がするがそれが何なのかは皆目見当がつかない。というか多分この時代漢方とか生薬そのものが簡単には手に入らない。俺に用意できそうなのは蜂蜜ショウガ湯くらいだろうか?

だが俺がお勧めする一番の薬はエネルギーの塊、肉じゃないかと思う。那古野に焼肉パーティーでもしに行こうか…いや病人相手にそれは…などと益体もない事を考えていると滝川のおっさんが追加の情報を寄越してくる。


「医師に診せました所、心労との事に御座います」


心労…?


「俺がいなくて寂し」「それはないでしょう」


滝川のおっさんは俺の言葉に重ねるようバッサリと斬って捨てた。


「なんだ?旦那のコレか?」


龍興が俺から習ったばかりの失礼なハンドサインをしてくる。親指が拳からこんにちはするヤツだ。そこはせめて小指にしろよ。


「色恋の話なら美濃のたっちゃんと浮き名を流した俺の出番だな!」


それは酒好き女好きのダメ人間の呼称じゃないか?そんなろくでもない名を広めてどうする…


「で、そのお祐殿とやらは旦那とどういう関係なんだ?」


「一応立場上は俺の妻…らしい」


「…なんだそれ?」


なんだか説明も面倒臭いが事情を話しておいて誤解を生まないようにしておいた方が良いかもしれない。そんなわけで少し詳しく話す事にした。


「彼女の父が赴任先の面倒を押し付け自領に戻る為に名目上は俺の妻にするという事で彼女を送って来た。そうやって赴任した彼女も結婚には同意…していなかったと思う」


いや、ホント全く同意してなかったよな?

それを聞いて龍興は微妙な顔をしている。


「まぁとにかく出来た女でな、父親から継いだ仕事を卒なくこなし国人衆を良く纏め更には俺の子の教育まで面倒をよく見てくれている」


「…なんだか旦那が何もしていない不労者で一切合切を細君に任せっきりの放蕩クソ野郎のように聞こえるのだが?」


龍興が呆れた様子で俺をなじってくる。心外である。


「失礼な…放蕩とはなんだ放蕩とは…」


そうして自分で言った言葉を反芻する。考えると結構ロクデナシの所業だった…こんな所で土掘ってる場合ではないのでは?


「…確かにそうだが俺は彼女と体を重ねてもいないぞ?」


「武家に生まれた者として家の繋がりは好き嫌いではなく義務だろ?」


…なんだか龍興なんかに言い負けてる。くやしい。

そういえば義元曰く井伊のおっさんは孫の顔を~とか言ってるらしいし彼女の父親宛の報告には俺とはよろしくやっているというような無難な文を出していたのだろうか?

思い起こしてみるとロマンスになりそうな場面は那古野城での戦いの後にあった気がするが…あの時は臭くてそれどころじゃなかったんだよな…いけない、これでは俺がまるで本当にロクデナシのようではないか。そうして俺は話題を無理矢理逸らす。


「俺の事はいいとして彼女はいつごろから体調を悪くしたんだ?」


明らかな話の転換に龍興は不満気なご様子だ。それを横目に滝川のおっさんは気まずそうに話す。


「うしお殿を美濃に送った当初は気丈に見送られたかのように思われましたが日に日に覇気がなくなり…食も徐々に細くなっていったようにございます」


「分かった、今すぐ那古野へ戻ろう」

「…鉄の女だと思ったんだがな」


「…今の言は聞かなかった事にしておきます」


「すまない…」


失言だった。滝川のおっさんの配慮が染みる。


「旦那は女心が分からんとか言われないか?」


「うるせぇよ…」


龍興はアル中のくせにうるさかった。


◇ ◇ ◇


土いじり装束から手早く着替え俺は那古野城内の離れに赴いた。


「季忠だ、入るぞ」


…と襖の前で暫く反応を待ったものの返事がない。勝手に入って良いのか悩むが、俺は意を決して彼女の眠るという部屋に入る。日中は温かくなってきたとはいえ日が落ちるとまだまだ寒さが残る。そして屋敷の奥の部屋は一層寒かった。

俺は部屋を温める為に七輪に多めに火を入れる。日光でも焚火でもなんでもいいが暖を取らなければ元気も出ないものだ。暫くして七輪に十二分に火が回り、少しは暖かくなったか…という時に背後から声がかけられた。


「季忠さま…?」


彼女はいつものような覇気は身を顰め、涙で濡れそぼった顔でらしからぬ陰気を纏っていた。


「お祐殿が倒れたと聞いて急いで戻って来た。一人にしてしまってすまない」


挨拶をするが暫く沈黙が続く。そうして意を決して俺から口火を切った。


「うしおの事か」


「………はい」


本当に彼女はうしおの事を可愛がってくれていた、それこそ実の息子のように。愛情深かった故にその喪失感は俺が思う以上のものなのだろう。


「私は…うしおを立派に育てる事こそが天命だと思っておりました…別れはいつか来るとは覚悟しておりましたがいざとなると…どうしていいのやら…」


「うしおは帰ってくる、あれはまだ五つだ。誰がなんと言おうと俺が手放さん」


「うううううううう…」


泣き崩れるお祐殿、彼女の頭の中はうしおを失った事でまだ一杯のようだ。むしろ気丈に振舞っていたがうしおが居なくなった事実をじわじわと時間と共に実感しついには倒れたのだろう。

問題は彼女の中でうしおの存在が大きすぎる事だ。そもそもうしおの教育を彼女が人生をオールインしてやる事ではない。だから彼女の幸せの方向性を別ベクトルで提示してやる。


「お祐殿はまだ若く美しい、これを機に貴女自身の幸せも少しは考えてみてくれ」


その言葉にお祐殿は驚きの表情を示し、俺をガン見してきた。


「ど、どうした?」


その目力に俺は一瞬怯んだ。それはもうめっちゃガン見してくる。正直そこまで驚きの顔を向けられると何か失言でもてしまったかとこちらが逆に戸惑ってしまう。


「いえその……私…女である事など、とうに捨てておりました故…」


顔を赤くした彼女はしどろもどろとなり俺から視線を避ける。


「お祐殿ほどの方が女を捨てるなどと……勿体ないにも程がある。貴女は美しい」


「そ…それは……ありがとう…ございます……」


なんか礼を言われたがもう一押し、彼女がうしおを失った心の空隙から意識を逸らすべく言葉を並べる。


「今から子を作ったって良いだろう?」


そう、自分の子がいればうしおにだけ入れ込む必要はないのだ。


「い…今から…ですか!?」

「そ…その…まだ こ…心の準備というものが……!」


いつもの出来る女然とした彼女と違い、慌てる彼女は可愛いが反応がどうも過敏に過ぎる気がする。人生愛も恋も遅いという事はない、ましてや彼女は間違いなく美人なのだ勿体ない。誰か好きな人でも…と思ったが彼女は一応俺の妻という立場だった事を思い出す。


改めてみると彼女は顔を朱に染めうつむいている。部屋には七輪の仄かな明かり、それに照らされる横顔から伸びるうなじに垂れた髪が煽情的だった。濡れた瞳は先ほどまでの苦々しいものではなく、悩まし気な憂いを秘めていた。


え、今から?何を?

…俺は気持ちを切り替えた。物事には勢いが大切だ、いざ桶狭間一番槍。

俺は彼女をそっと抱き寄せた。

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