第一一一話 斎藤龍興
早くも永禄九年は暖かい陽光を取り戻し、青草が芽吹く皐月の頃となっていた。
俺は何故か一色式部大輔…斎藤龍興と畑を耕していた。
「千秋の
「なんだ?」
「酒…酒を…くれ…」
鍬を振るいながらうわごとのようにつぶやく龍興。
「ダメにきまってんだろ」
俺も鍬を振るいながらにべもない応えを返す。まだ二十歳くらいにしか見えないこの男とは都合三ヶ月以上顔を突き合わせており、良い言い方をすれば友人のような、悪く言えばお互いぞんざいな扱いになっていた。
俺は酒の代わりに竹筒に入った水を龍興に渡してやる。
「ぷはぁ…生き返る…」
生き返ったようだ。俺としては生き返るよりさっさと往生して仏門に入って欲しいのだが。
美濃乗っ取り計画は最後の詰め以外は驚くほどスムーズに進み、今はうしおが美濃の国人衆に顔見世をしているとの報告を受けている。そして詰めにこの斎藤龍興を願証寺に預け出家させて終わり…のハズだったのだが、このアル中のロクデナシは俺と証意さんの熱心な説得を前にして仏門に入る事を拒否しやがった。この計画は龍興を寺に入道だか出家をさせて美濃から切り離さないといけない。もしうっかり何かの拍子でコイツを担ぎ上げるアホが湧いて美濃に戻ってきようものならまた政情に不和をもたらしかねない。美濃では形だけではあるがうしおを中心に纏まろうとしているのだ。そんな訳で我が子のうしおの為にも最後の最後の詰めを誤るわけにはいかない。
だが先にも言ったように龍興は仏門に入りたくないと強く拒絶した。理由は要約すると「酒が飲めないなんて絶対に嫌!!」との事だ。こういうトコが良い血筋なのに国人衆から見放された所以だろう。酒を中心に人生を考える、アル中の鑑である。
…まぁコイツがアル中になった遠因の一つに俺のせいである可能性が万分の一くらいありそうではある。俺は全く全然一切気に病む必要はないのだが、少し後ろめたいのもありこのロクデナシのリハビリを手伝っていた。
当初は「酒が飲みたい」と痙攣を起こしたり躁鬱のような症状が出たりしてそれを無視して白湯を浴びるほど飲ませた。そしてそのまま尿を垂れ流したりと人間の尊厳など喪失したような有様であったが、今はなんとか外に出して土を耕し汗をかくようにまで回復していた。
そんな人間失格な生物をここまで回復させたのだ、扱いもぞんざいになるというものである。
日が中天に差し掛かった頃、俺達は寺の小坊主から握り飯と茶を頂いていた。
「水飲んどけよ」
まだ夏には遠いとはいえ今日は日差しが強い。動けば当然汗をかく、水分を欠いたら熱中症になるかもしれない。俺は投げやりに桶一杯の水をすすめておく。
「はぁ…うめえーー!」
「この漬けモンは本当にうめぇな!!」
握り飯には沢庵付けをつけてある。動いて塩分不足を補う為だ。
「ああ、沢庵か」
もっと太い大根があれば俺の知ってる沢庵付けが作れそうなのだがどうも細い大根しか見当たらない。品種改良が必要なのだろうが仕方なくその細い大根を切って塩でつけたものだが龍興はこれが気に入ったようだ。というか米がすすむと寺でも好評である。
「ただの大根の漬物だぞ?」
漬物自体は保存食として珍しいものではない。そして握り飯を頬張りながら龍興が問う。
「なんでコレ沢庵っていうんだ?」
「…確か沢庵和尚ってのが作ったからだ」
「へぇ物知りだな」
沢庵和尚っていつの時代の人だ?一休さんと同じ時代の人なら江戸時代の人か?それならナチュラル知識チートしちまったかなー?あー俺またなんかやっちゃいましたかー?とかどうでも良い事を考える。先も言ったが漬物自体は別段珍しくはない。
手から無限に沢庵を出せる能力でもあればこの時代で無双出来るかもしれないが生憎俺は普通の人間なので無理だ。
「いやホントコレ美味いな、いくらでもメシがすすむ」
わかる。汗をたくさんかいて腹が減っているこの状況だと一切れの大根がたまらなく美味い。体が塩分を求めている。
「空腹は最高の調味料だ」
「なんだか禅問答する坊主みたいな事言うな」
コリコリと沢庵を響かせながら龍興は感心した様子だ。
「坊主じゃねぇ宮司だ宮司。それに坊主にはお前がなるんだよ!」
一応軽く言ったが出家するというのはこの時代では死ぬのと同義だ。今までの人生を捨て仏に帰依する、まだ若い龍興には酷な話にも感じる。
「…それともまだ美濃に戻って返り咲きたいか?」
龍興は少し神妙な顔をして黙考する。
「正直わからん…国主なんてやってたのもタダの血筋で俺がやりたかった事じゃねぇ…もっと色々な国を見て自分に何が出来るのか、何をやりたいのかを探したい」
自分探しの旅に出る…か。まぁまだ若いしそういうお年頃なんだろうが、こちらとしては下手に出歩いて美濃の連中に見つかり煽られて国主に返り咲こうとかされると大変困る。
「ただ美濃の国人には合わせる顔がない」
深いため息をついて龍興がそうこぼす。
「今頃は土地と利権を切り売りして酒に充てたのが問題になっているだろう」
うーんこの禁治産者…
「後の面倒事は叔母上に任せたい」
帰蝶姫に借金押し付ける宣言をしやがったか…ふってわいた多額の借金…ハゲそうだ。まぁ頭悩ませるのは明智光秀だ、頑張ってほしい。
「だが竹中は許さん!!」
「忠臣だった斎藤飛騨守を何の咎も無く斬り殺した事は人倫に悖る!」
そういやなんか竹中は私怨で斎藤飛騨守ってのを斬ってたとか聞いたな。
「何の咎もないかもしれんが竹中ってのはその斎藤飛騨守に尻狙われてたらしいぞ?」
「え、ホントに?」
「そうかー…」
竹中のやたら美形な顔を思い出して妙に納得しているようだ。
「ほられちまえば良かったのに」
やはり竹中は許されないようだ。尻を狙うとか妙な方向で仇討ちとか考えかねないので俺は無理矢理話を逸らす。
「…それじゃあ畑を耕すか」
「オッシャ!」
「仕事上がったら酒飲もうぜ!!」
「ダメにきまってんだろ!」
そうして俺達は鋤を片手に大地に向かうのだった。結局俺は龍興を出家をさせる事が出来ぬまま次の転機が訪れた。
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