第一一〇話 確保

今川義元は清州城の斯波の元に今年も挨拶に行くようだ。案外マメだよなこのおっさん。仕方がないので俺もお供すると言ったのだが「お前は井伊の娘をなんとかしろ」と拒否された。義元の立場では直臣の井伊の令嬢を気遣うのは分かる、分かるのだが彼女自身うしおにご執心でわりと取り付く島もないのだ。


お裕殿は美濃乗っ取りの際にうしおと一時離れる事になる。できれば早くに帰してやりたいところだが美濃の国人衆への顔見世の必要もあり、それがいつごろになるのかは予想がつかない。大人しく従ってくれる奴等ばかりではないだろうし挨拶に来る国人衆の都合や移動にも時間がかかる。早くて三か月か半年か…最悪一年くらいかかるのではないかと俺はみている。彼女は聡い女だ、それを察してうしおとの時間を出来るだけ多く取っているようだった。

空気の読める俺には分かる、義元には悪いが今この空間を壊すのは間違いなく悪手だ。


そうして俺はそっと那古野城から出て…熱田で帰蝶姫と逢瀬を重ねていた。

自分でもなかなかのクソ男だな…と思うが帰蝶姫は俺の顔を見るなり華のような笑顔を見せるようになった。そうして目を合わせると打って変わってしおらしくなり、顔を赤らめ目を逸らし…口数が減りそわそわしだす。中学生か?

彼女は一応美濃のお姫様だ。信長とも政略結婚だしこういう事には存外慣れていないのかもしれない。

そんな彼女をあざといと思いつつなんらか裏があり、掌の上で踊らされているのかとも勘繰ったが男の性から逃げる事もできず、逢瀬を重ねてしまっていた。



「このまま尾張に…」


そんな折に濡れた瞳で彼女が口にしかけた言葉があったが、最後まで紡がれる事はなかった。俺もその言葉の真意を詮索するような無粋な真似はせず、そっと彼女の頭を撫で胸に抱き寄せた。


◇ ◇ ◇


如月に入り予定通り美濃乗っ取り計画が実行された。結果からいうと驚くほどあっさりと実現してしまった。


内容は池田某という者が帰蝶姫が自らと元織田家家臣の美濃での安堵を求めているという旨の書状と貢物を持って使者として稲葉山城に赴く。そうして酒樽を二十樽献上するという流れだった。話は存外簡単に通った。


「池田とやら、織田に嫁いだ叔母上からと聞いている」


「は、一色式部大輔様に里帰りをお許し願いたいと」


「なるほど、嫁いだ織田が滅び行く当てもない…と。叔母上も不憫なものだな」


そのような会話があったようだが一色式部大輔自身は帰蝶姫に対して何ら恨みや思い入れ等はないようだった。それよりも目の前にある大量の貢物…酒樽に終始気が逸れており、とにかくすんなりと話が纏まったらしい。そして酒好きというのは本当だったようでその場で酒が振舞われた。

皆に酒がまわった頃、一行の中に従者として紛れ込んでいた竹中が二重底になっている樽に隠していた武具に身を包み、奇声と共に広間に駆け込み一色式部大輔に斬りかかったそうだ。


「まっまた貴様か!!竹中!!」


「式部大輔!今度こそお命頂戴する!」


「おのれ謀ったな!一度ならず二度までも!!」


「同じ手に引っかかる方が悪い!!」


そのようなやりとりがあって酒が入っているのもあり足元のおぼつかない一色式部大輔は防戦すら出来ず稲葉山城から転げるように逃げ出したようだ。元々の逃走経路であった長良川にしっかり誘導する事にも成功し、舟で川を下っている…と報告がやってきた。


その後の稲葉山城には帰蝶姫と明智光秀、そしてうしおに入って貰った。

美濃は今、仮初の平和を謳歌しているが危うい立場にある。なにせ守護が不在なのだ。美濃の事は美濃の連中に一任する、波風を立てるにしても最低限にしておきたい。うしおの身柄も心配だしなんだかんだ逢瀬を重ねた帰蝶姫の身の上も心配だった。

一応元織田家臣のうち何人かは帰蝶姫と共に美濃へ向かうのだが、やはり土地に拘る者が多いのか美濃への引越となると渋る者は多かった。

そんな中で明智光秀は美濃とも斎藤家とも縁が深く、当面は彼に稲葉山城を任せる事になっている。

勿論理由をつけて光秀を遠ざけたいという思惑があったことは否定しない。光秀の目付け役として秀さんをつけているのでそうそう裏切る事はないと思うし裏切るにしても今のタイミングではないだろうが、こっそり尾張の影響も示し、稲葉山城を守るというポーズをとっておく。


その後暫くして西美濃三人衆とやらが稲葉山城に入り、城主の代替わりを正式に認めてくれたようだ。


◇ ◇ ◇


先の報告から数日、俺は長島にいた。

俺と願証寺の坊さんらによってえんえんと川を下ってきた一色式部大輔を当初の予定通り無事保護した。


ザルい作戦が殊の外上手くいきすぎだと思ったがなるほど、根本的な問題が何処にあったのか俺は少し考え違いをしていたようだ。

明智の扇動に乗り国人衆にそっぽを向かれ、竹中の蛮行が二度も許された原因で美濃から見放された男が転がっていた。


「後生…後生…だ………」


確かにこれは国主として不適格…そう思わせるダメ男の雰囲気がこの男には漲っていた。ここ数日船旅でたいした物を口に出来ていないのだろう、こけた頬に無精髭をこさえ震える手で体を起こし誰彼に向って焦点の合わない目で懇願する。


「さ…酒を……」


アル中、一色式部大輔…斎藤龍興の残念な姿がそこにあった。


「一杯だけ…一杯だけでいいから……」


コレ絶対一杯だけで終わらないヤツだ。


国を継いで戦らしい戦はなく平和に胡坐をかいてしまったのか、元々酒好きだったのか。そんな折に伊勢から酒が入ってきた上、近年は尾張から安価な酒が大量に流れ込んできて酒浸りになってしまったようだ。

常春の奴が「美濃の殿様がいくらでも酒を買ってくれる!」などと嬉々として言っていた事が思い出される…まさかアイツのせいか?

いや…アイツのせいだな…


決して俺のせいじゃねぇぞ…

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