永禄九年(一五六六年)

第一〇九話 嫁

年が明けて永禄九年。


今年も熱田大富くじ大会は賑わっていた。

奥に陣取る今川義元と思しき謎の虚無僧集団は今年も定位置に陣取っている。わざわざ謎の虚無僧スタイルでやってきたのだからVIP席とか嫌うだろうし一応滝川のおっさんに頼んで護衛を配置してはいるが、自由にさせている。


そして謎の虚無僧は今年は三桁の発表で膝から崩れ落ちた。

副賞も用意しておいたのにかすらないとは残念だ。


◇ ◇ ◇


そうして俺は義元と酒を交えての残念会をしていた。

遠く駿河からやってきて大当たりにかすりもしないとは俺に慈悲は無いのか仏心はないのかなどと文句を言われるが、生憎ここは神社なので仏心などない。俺は頷きながら馬耳東風とばかりに右から左に文句を流して酒を勧めた。

ひとしきり不満をたれて腹の虫が治まったのか今年の抱負…目標を聞かれた。


「それで、美濃はどうなっておる」


一応先に概要は文にしたためて伝えてはいるが俺は改めて竹中のザル計画をつまびらかに話した。


「…なるほど。ザルのような計画だが失敗した時の責が無いのは良いの」


そうなのだ。この計画の中心は竹中重治、明智光秀、帰蝶姫と配下の元織田家臣団で美濃の連中が主だっていて、俺や今川の懐が痛むことが無いのが特徴だ。まぁ多少の物資やら土産物やら賄賂やらは俺から出さざるを得ないが人的被害はない、やらせてみて損がないというのが一番のポイントである。


「駿府から遠くなれば遠くなるほど手が届かぬ。三河ですら松平無しでは治まらぬ」


戦国時代は他国の領土を切り取って平定し版図を広げ天下布武を目指す…そういうイメージだったが実際は現地の国人衆をどうなだめて共存していくか、そういった政治手腕が求められる。この時代は特に土地と人の結び付きが強い。国人衆を一人追い出してもその近隣の縁者によって子々孫々付け狙われたり襲われたりと面倒物騒極まりないのだ。


「尾張は井伊の娘がよくやっておると聞く。だがそれも斯波の威光と熱田のそなたの助力あっての事」


お裕殿の手腕はなかなか見事で俺は何もやっていない。残念な事に彼女は女という事で過小評価されているのかもしれない。


「儂は美濃まではとても届かぬと思うておる…が、東山道を抑える事が出来ればそれで良い。結局馬で一日の距離というのが支配の目安なのかもしれぬな」


なるほど、命令が安定して届く距離イコール支配限界域という考え方か。


「なら街道を整備すればその距離は伸びるんじゃないですか?」


街道といいながらも獣道が少し広くなっただけの道を思い出しつつ思い付きを口にする。その道を整備すれば京に上るのも便利になるし今以上に安定した人の往来が出来るようになれば物流も宿場町も活気に満ちるだろう。


「莫迦者、そんな事をしたらもしもの時に攻め込まれ易くなるであろう」


…えええ…今まで考えていた街道を整備して物流を抑える計画が根本的に破綻した。だが義元が言った通り命令の届きにくい辺境での国防を考えたらイザ他国から攻め込まれた場合少しでも敵の進軍速度が遅い事はアドバンテージになる。そのために橋をかけない川だって多いのだ。


しかし情報の伝達距離イコール支配圏ならこの時代でも再現出来そうな遠距離通信手段は無いだろうか…手旗信号はコストは掛からなさそうだが、手旗が判別出来る距離なんてたかがしれてる気がする。

それなら光と鏡を使ったモールス信号とか…この時代の金属鏡の反射光は何処まで届くのかわからないが案外バカに出来ない。一枚でダメなら複数枚の鏡を使って光を収束させてモールス信号を打てないだろうか?まぁそもそもモールス信号を知らないからそこから考えないといけないのだが…

そんな益体もない事をご神体の鏡を前にして考えた。


「それに赴任する者の問題もある。まともに後詰も送れるか分からぬ敵地に己の手勢だけで周り全てに睨みを利かせるのは簡単ではない」


そういや井伊のおっさんも那古野に五年いてめっちゃ地元に帰りたいと言ってたな…

転封?国替え?とかで大名の引越しが多いイメージだったけどこの時代だとそうでもないのかもしれない。敵の真っ只中に入って支配するのは相当な豪胆かつ繊細な裁定が求められるだろう。


「しかしそうなるとお裕殿は単身で戦武者さながらの働きがよく出来ますな…後任の者は考えておられるので?」


感心すると同時に彼女の心労など全く考えていなかった。上手く尾張を回していた彼女だが、井伊のおっさんと同じように任期が決まっているのなら次に来るであろう者と上手くやれるか少し不安になったのだ。だが反応は微妙なものだった。


「…何をいっておる?嫁入りと聞いておるが?」


「はえ?」


変な声が漏れた。なにそれ?誰に?確かにこの時代女性は嫁入りしたらもう家に戻らない覚悟をもって嫁ぐと聞くが…お裕殿に旦那がいたなんて初耳だ。今からでも挨拶に行かないと不味いんじゃなかろうか?


「ああそういえば貴様は井伊の娘との間に子もおらぬのに美濃の娘にまで手を出したそうだな。本妻を差し置いて他の女に手を出すとはこの不届きな奴め…刺されても知らぬぞ?」


え、ちょっとまって。その情報まで掴んでるとかお耳が早すぎませんか?それよりいろいろと情報がおかしくないですか?井伊の娘ってお裕殿の事でしょう?

混乱する頭で俺はとりあえず身の潔白を主張する。


「美濃の娘には確かにそういう事になってしまいましたが、お裕殿には手を出してなどおりません」


それに対し義元は訝しんだ表情をする。


「直盛はじゃじゃ馬が落ち着いてくれてあとは孫の顔を見るのが楽しみだと言っておったが…?」


義元も困惑を隠せないようで重ねて俺に話をする。


「そなたからの文には「某の力不足で井伊の娘に瑕疵はない、直盛には申し訳ない」…としたためてあったと聞いておったが……」


義元は何かを察したのか言葉を濁した。井伊直盛のおっさんから義元へ伝わってくる情報元は「熱田の俺が書いたという井伊直盛のおっさん宛の文」からだ。では俺が書いたのではなければ一体誰がそれを書いていたのだろうか…?あれれー?おかしいぞー?

ちなみにお祐殿はこの時代の女性としては珍しく読み書きは当然として漢字まで書ける。というか多分俺より教養深くそして達筆である。


この話をするのがお祐殿のいる那古野城だったら大惨事だったな…そんな現実逃避をしていると義元の声がかかった。


「…そう気を落とすな」


少し目を泳がしたりして困惑から挙動不審になっていたのか俺は義元に妙に生温かい言葉をかけられ意識を戻した。


「まさかそこまでそなたが井伊の娘に嫌われておろうとは…元気を出せ」


義元はお裕殿が父親に嘘をついてまで俺との関係を必死に拒否していると考えたようだ。ようするにこれは「夫婦間の諍い」であって「お祐殿による私文書偽造」とは考えていないようだ。この時代の私文書偽造は裁定者の裁量と影響の大きさ次第ではあるが、変な禍根を残しても困る。俺も彼女の事を憎からず思っているが、そもそも今川の直臣である井伊家と事を構えたくなどないし何より彼女がいてくれないと尾張の統治はままならない。


そして義元は俺に同情するような、残念なモノを見るような表情で酒を勧めてきた。


「あ、ありがとうございます?」


俺はその酒を有難く頂戴したのだが内心どうにも釈然としなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る