第一〇八話 生臭

熱田の威光は尾張でならそこそこ利くのだが、美濃では全く話が違ってくる。

だから尾張に拠点があり美濃にも顔が利く、そんな集団の元にやって来た。俺は今まで色々縁が「なくて」余り足を踏み込まなかった場所に来ていた。


「いや…殿ォ…大胆過ぎやしないか?」


秀さんが渋い顔をする。いうて俺もそんなに余裕があるわけではない、此処は尾張にあって敵地だ。


「だがこちらには疋田がいるからな。イザという時は「先生やっちゃってください!!」と叫ぶから頼りにしているぞ」


「いえ、会談の場まで護衛は立ち入れませんでしょう。殿は敵地の懐深く潜るにしてもご自分の身はご自分で最低限守って下さい」


相変わらず疋田はつれない。


「そんなんお前を連れて来た意味ないじゃん…」


「言動には十分気を付けて下さい」


なんとも小学生にかける注意のような事を真顔で諭されてしまった。


◇ ◇ ◇


「私が願証寺の住持、証意でございます」


師走も深くなり寒さも厳しくなってきた。此処願証寺は川に囲まれた土地にあり、寒さをより厳しく感じる寺だった。そして俺より若いであろう証意と名乗った坊さんはこの寒さに中てられたのか緊張からなのかは分からないが青白い顔をしていた。


「熱田の大宮司殿が…一体何の御用で御座いましょうか」


長島願証寺は本願寺傘下の寺で伊勢、美濃、尾張の物流に深く関わっている大きな寺だ。三河一向一揆で潰した本證寺とは系列は同じくするが、それほど仲が良かった訳ではないようで三河の一件での俺の扱いも要注意人物程度のようだ…とはいえ噂には尾びれ背びれがついて一部ではまるで仏敵の如く扱われているとも聞いている。誠に遺憾である。

そんな敵地ともいえる場所なので俺も今まで不干渉を貫いていた。


「先ずは証恵様のご逝去を悼み、心からお悔やみを申し上げます」


この証意の親父様が先日亡くなられたとの事でその弔いの言葉を述べる。そんな俺の敵意のない言葉が意外だったのか青い顔色こそ変わらなかったが少し緊張が解けたようだ。


「御丁寧に有難く存じ上げます。寒いでしょう、温かいお茶をお持ち致しましょう」


…友好的でなかったら茶の一杯も出さないつもりだったのか?

そんな事を思いながら小坊主が茶を持ってきた。寒々しい伽藍の間、温かい茶が五臓六腑に染み入る。

そうして一息ついて本題を切り出す。


「二つ、お願いがあります」


証意と後ろにいる歳のいった高僧と思しき男が緊張するのが分かる。


「美濃の一色式部大輔の出家を願証寺にお願いしたい」


美濃の現国主の出家という話に彼らの表情が強張った。


今回の役者は一色式部大輔(斎藤龍興)に美濃三人衆、竹中重治、明智光秀そして帰蝶姫だ。俺は手を出さずに後方で大人しく支援に徹していれば美濃の内乱という形で片が付くだろう。だがクーデターを起こされた一色式部大輔が美濃の有力豪族にでも匿われたらまた稲葉山城を脅かす存在になるかもしれない。目の届かない場所に逃げられても困るので善意の第三者ヅラした俺が一色式部大輔に出家を勧めるのだ。


「そして熱田で作っているこの酒もどき…琥珀湯の流通を任せたい」


証意は一色式部大輔の出家をさせ見張っている間は見返りとして酒の流通と権益を任せる…という飴と鞭だと思ったようだ。それは否定しないのだがこちらも少し事情がある。


◇ ◇ ◇


熱田一能天気な男、石丸酒蔵の常春は抱えきれないほどの麦酒を追加で作っていた。味の追求など二の次どころか三、四…いや全く考えていないのだろう、そのリソースを全て注ぎ込んで熱田では到底消費出来ない量の麦酒を作ってしまっていた。馬鹿である。

そりゃ利益を無視して無料で配布すれば消費できるだろう、元々庶民でも気軽に酒を嗜めるように…と考えて作らせた大衆酒のつもりだった。一応普通の酒に比べればコストは低いが結局原材料に麦芽糖…米を使ってしまう事でそれなりにお高くなってしまっている。赤字で売って石丸酒蔵に破産されても困るのだ。

そんなワケで少しでも高く酢になる前に処理しないといけない…いや既に一部は酢として売っている。そんな在庫過多の状況で輸出しようにも量が多すぎて売買先の伝手も運搬手段も無いときたものだ。余りにも無計画ではなかろうか?


「旦那の無敵の伝手でなんとかしてくださいよぉ!!」


…と常春が泣きついてきた。俺は未来青狸ではない。酒は生モノなのだからしっかり売れる分だけにしろと…ちなみに石丸酒蔵では常春主導で新しい酒蔵を建てようとしているからもう手に負えない。

そうして中間業者を任せられないかと此処願証寺に打診に来たのだ。もちろんそんな恥ずかしい裏事情を交渉相手に話すつもりはない。


◇ ◇ ◇


「琥珀…湯ですか?」


「こちらに持ってきております」


秀さんに言って箱から小さな甕を取り出し、麦酒を茶碗に注ぐ。


「これは…酒ですか?」


年若い証意は酒に忌避感を示したようだが、後ろの高僧と思しき男の目の色が変わった事を俺は見逃さなかった。彼の分の茶碗も用意して麦酒を注ぐ。

この時代には菩提泉なんていう高級酒があるようで、それを造っているのが名前から分かる通りお寺さんらしい。残念ながら飲んだ事は無いがそんな酒があるくらいだからお寺さんは酒に寛容なのかな?…と軽く考えていたのだが証意は案外堅い男だったようだ。


「厳密にはコレは酒とは呼べぬかもしれません」


俺は証意の忌避感を治めるように話をする。


「実は貴重な米からではなく他の果実や作物から作れないかと思案した結果、麦から作った酒…に似た物です」


この時代酒はほぼほぼ米から作られている。そして酒の定義はアルコールが何パーセント含まれているという明確な基準はない。米で作られたものが酒でありこれは酒ではないものかもしれないのだ。酒というにはお米様に失礼だという事にしておけば麦酒を扱いやすいだろう。


「ですので米の酒ではない別の何か…琥珀湯です」


二人は不可思議そうな顔で匂いを嗅ぎ、麦酒に口をつけた。

証意の反応は慣れない酒に苦々しい表情を浮かべたが、後ろの高僧と思しき男の目が見開いたのを俺は見逃さなかった。アレは結構な生臭坊主だな。


「何事も過ぎれば毒となりますが、正しく適量であるならこの琥珀湯を一杯も飲めば体が温まります」


暫く渋い顔をしていた証意だったが、青白かった顔が少し赤みがかかっているのが見て分かる。そして後ろの歳のいった生臭坊主が耳打ちをして二人でなにやら話をしている。


坊さんには通行税を払わないで済む関所が結構あって我々が運搬するより輸送コストがかからない。河川の船便を一手に担っているこの長島の願証寺に任せれば在庫過多の麦酒も捌けるだろうと思ったのだ。酒の流通に関わる事で願証寺にも結構な利益を生み出す事になるだろう。


だが寺の風紀に関わる懸念はある。ちょろまかそうとする馬鹿は一定数いるだろうし一休さんみたいなDQN小坊主に全部飲まれた挙句大切な壺まで割られたらたまらん…アレは水飴だったか?まぁ子供に毒なのは違いない。寺の風紀に関しては願証寺内の問題だ。ダメなら取引を停止してもらっても良い。

俺としては恋愛禁止のハズの坊さんが結婚して後を継いでいるのも不思議に感じるが仏陀さんもお子さんいたようだし広い心で考えれば酒くらい解脱する為には些細な問題だろう。


結局願証寺はこちらの話を全面的に受け入れてくれることになった。

後ろの生臭坊主はニッコニコで証意は納得いかぬという不満顔ではあったがその顏は赤かった。

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