第一〇四話 吉良義昭

収穫期も過ぎ羊雲が空を楽しませるのも終わりの頃、俺は三河の岡崎城に呼ばれていた。


松平元康

多分俺の知っている令和では戦国三英傑の一人、徳川家康…になる人物のハズだ。苗字も名前もいつ改名するのかはわからない。ただ元康の「元」の字は今川義元から貰ってる気がするので、あの偉丈夫が元気なうちは変えないかもしれない。


「これはよくぞ来られました兄上!」


正直このノリは勘弁して貰いたいが変に断るのもカドが立つ。実際コイツの家臣はそう言われて恐縮している俺を親の仇でも見るように睨んでくる。だがこの言葉を拒否でもしたらそれはそれ、主君に恥をかかせた仇敵として刀で突きに来そうな気迫を感じる。どないせーちゅうねん。

俺は「ははは」と笑って濁すしかなかった。


「ですが兄上殿はお供が一人…いや用心棒殿ですかな?」

「用心棒殿は余程腕に自信がおありか」

「それとも腕に自信があるのは兄上殿か?」


そして主君の前だというのに三河武士はこういうところがあるからな…


「剣の修練でしたら某がお付き合い致しましょう」


「え、俺の護衛は?」


岡崎城このようなばしょで何かもありませぬでしょう。もしありましたらご自分でなんとかなさってください」


しかしコイツも随分喧嘩っ早くなったな…なんでも上泉伊勢守の下にいた時は師の言葉が無いと動けなかったらしく、他流試合の機会も多くはなかったそうだ。だがこちらにきてからコイツは修練という名の下、荒くれ物の相手をする事が多くなりイキった連中をボコり倒している。これは良い変化なのか悪い変化なのか…


「お前たち、その御仁は上泉伊勢守の直弟子ぞ。存分に御指導頂け」


さらりとネタばらしをする元康、目を丸くし引きつった顔をする三河武士の面々。上泉伊勢守って名前だけで通じるんだ?すごいな?

だが主命とあればボコられるのも仕事のうちなのだろう、皆して覚悟を決めたのかお通夜の雰囲気を醸し出し庭先に去って行った。


◇ ◇ ◇


通された広間には既に上座に妙な人物が座っていた。一度何処かで見た覚えがあるが…


「こちら吉良義昭殿にございます」


…あー鳴海の競馬場で見た覚えがあったな。あの時の事は忙しいのもあってあまり覚えてない。斯波と仲が悪いと要注意ではあったのだが酔って正体不明になってた位で肩透かしだった気がする。


「鳴海ではまともにご挨拶も出来ず失礼を…熱田大宮司の千秋季忠でございます」


(足利が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ…と言っていたか)

俺の頭の中に例の言葉が想起される。


「今日お呼び立てしたのは京で何が起こったのか、治部大輔様に一報を出した千秋殿に出来れば詳しくお話をお聞かせ頂きたく」


まぁ今年一番の一大事…というか歴史に残るニュースだしそりゃ詳しく知りたいのだろう。元康も独自に情報を掴んでいると思うが、この時代情報は伝わってきても確度が足りない。それは俺にしても同じだ。

別に情報を出すのは吝かではない。なにせコイツは将来の戦国三英傑が一人、大正義東照大権現徳川家康様だ。俺の中途半端な未来チート知識、感覚の全てが言っている。「コイツの足を舐めろ…と」まぁ何かの因果で将軍様になれなくても有能武将である事に変わりはない。今のうちに出来るだけ大量のゴマをするべきだろう。


だが吉良氏を交えてというのがどうにも臭い。俺のそんな内心を予想していたのか、元康は言葉を続ける。


「ですが翻意はございませぬ。既に妻の瀬名と竹千代を駿府に送った身、軽挙妄動は許されぬ身で御座います」


俺はその言葉に驚いた。


「治部大輔様から…質を送る必要はないと聞かされなかったのか!?」


「…いいえ、京からのお帰りの際に聞かされました。ですが我ら三河は今川に忠義を示す必要があります」


…どうやら元康は義元の話を聞いてむしろ送るべきだと判断したようだ。


「父もこのような心境だったのだと今更ながらに理解致しました」


家康は幼少の頃に織田に拉致られたり今川に行ったりと苦労したんだよな…歴史上の知らん奴の人生なんて考えた事もなかったけど、こうして子を持って親になって初めて心にくるものがある。


「今は苦しいやもしれぬがきっと将来は其方の様に立派な戦働きをする武人になるであろう」


吉良義昭が口を挟んできた。その口ぶりから元康のその判断を肯定しているようだ。実際徳川家康はその苦渋の経験とそして教育があってこそ天下人になれたのだろう。


「無論某も治部大輔様の事は親のように思っておりますが故、心配なぞしておりませぬ。そして胸中に二心が無いという証を立てたまでに御座います」


「なに、瀬名殿は氏真の又従兄弟にあたる。心配はいらぬであろう」


この吉良義昭というのは随分と今川を肯定しているようにみえる。本来なら今川家より家格が上らしいのでやっかみもありそうなものだが…


「吉良が今川に頭を垂れるのが不思議か?」


「いえ、そのような…滅相もない」


俺は顔に出過ぎであった。


「「室町殿がもたねば吉良が継ぎ、吉良がもたねば今川が継げ」だったか」


言い回しはちょっと違う気がするが今川風の天下布武みたいなものだろうか?だがこの言葉を当の吉良の当主から聞くとは思わなかった。


「それは今川の家訓みたいなものでな、今川の息のかかったものがそれとなく広めておる言葉よ」


えっ?


「初めて聞いた時にはそりゃ良い気はせんかったぞ。一族の者も「名門吉良を蔑ろにする身の程知らずには強く出ろ」などという者もいる…が、某の所領は三〇〇石に過ぎん。現実を見えておらぬ馬鹿者よ…そしてこの小さな所領と民が某は気に入っておる」


石高が大きい方がなんだかんだ食わせやすいとは思うが、領民の顔を直に見て生活をするのはスローライフの醍醐味なんだよな。やりがいもあって案外楽しいものだ。


「対して治部大輔は駿河遠江三河を合わせて七〇万石。そして「隙あらば将軍になる」そのくらいの野心がなければこの世を乗り切れまい」


そう言うと吉良義昭は茶を啜った。

正直足利義輝が死んだばかりでこんな大それた話をするのは恐ろしくもある…が、やはり少しワクワクする部分があるのは否定できない。


「自部大輔の目的は上洛の為の道、東海道を尾張から美濃に出て東山道に入り京を目指しておる。良い歳をして美濃まで取りたいという話も聞く、もしかしたら治部大輔は本気で考えておるのかもしれんな」


吉良義昭の話をついおもしろおかしく聞いていたが、同じ話を聞かされていた元康は青い顔をしていた。

今川義元が将軍…か。足利幕府の続きなのか別の幕府なのか…それとも徳川幕府が成るか?まぁどちらの足も舐めておいて損はないだろう。


そうして俺達は「永禄の変」の事を知っている事をお互いに洗いざらい話した。


◇ ◇ ◇


「ううう…」「ぎぎぎ…」


話も終わり帰る際に中庭でやっていた剣の修練に立ち寄ると疋田が三河の男共をボコボコにしていた。明らかに数が多くなっている…仲間を呼んだのか?というかよく見たら鳴海競馬場で見かけた服部さんまでいるじゃねーか…


疋田はこういうところがあるからな…

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