第八十八話 穏やかな年越し
永禄七年、年の瀬
前に伊勢神宮で会った近衛前久とかいう公家のおじゃる丸から朝廷と関東管領にも酒を頼むと無心の手紙が来た。
…こうやって上から目線で搾取して生きていくのがお貴族様流儀なんだろう。少々の苛立ちはあったがお貴族様の要請を断って余計な面倒事も生みたくはなかったのだが…
「駿河、甲斐、相模で同盟結んでいるんだよな?」
俺は滝川のおっさんに話を振っていた。
このところ俺の側にはこのヒゲむさいおっさんがいる事が多い、実際この自称甲賀忍者はこれで仕事は出来るし世情に明るい情報通なのだ。
秀さんには羽豆崎でねねさんと娘さん、年の瀬にしばし家族で仲良くやってもらっている。この時代公休日の概念はない。皆基本だらけている、そのついでに仕事をしているといった風だ。だが秀さんは休めと命令しないと働き続ける。それが秀さんの長所であり短所だ。あの出来る男は周りとは隔絶したワーカーホリックなのだ。
そんなワケで無理にでも家族団欒の時間をとらせてやりたいという親心なのだが、それでもきっと俺が見ていないからと羽豆崎でかいがいしく働いて休んではいないだろうという妙な信頼感があった。
話が逸れたが、そんな秀さんと違い目の前の滝川のおっさんは目を離すと賭け事にうつつを抜かしロクな事をしないだろうという無駄な信頼感があって手元に置いていた。
「それで今川と同盟を結んでいる北条と戦をしている関東管領とやらに贈り物して大丈夫なもんかね?」
正直関東の戦なんて尾張からは遠い遠い異国の話だ。正直なトコロどうでもよかった。でも今川から目をつけられたくはないしおじゃる丸を敵に回したくもない。
「武器やら多額の金やら物資が流れれば問題にもなりましょうがこの程度で目くじらを立てる者はおりますまい」
「なるほど、それなら良いんだが…そもそも関東管領って誰?」
「越後の長尾景虎にございます」
越後の長尾景虎…なんか聞いた事ある気がするけど…越後って上杉謙信の縁者か?よく考えたら俺の歴史認識では残念な事に越後といったら上杉謙信しか知らない。上杉に長尾…苗字も違うしそもそも名前も含めて一文字も被っていないしそもそもなんで越後が関東管領なんてやってんだ?越後は関東なのか?
相変わらずアテにならない未来知識が俺の脳に下手な考え休むに似たりを体現させる。
それはおいておいても問題がなさそうなら事をわざわざ荒立てる必要もないので俺は唯々諾々と酒を朝廷と関東管領、そして近衛前久に送っておくのだった。
◇ ◇ ◇
俺は熱田で年越しの準備をしていた。そうして家の者に注意喚起をしておく。
「虚無僧三人組か越後のちりめん問屋の御隠居様が訪ねて来たら丁重にもてなしてくれ」
「へぇ?」
突然そんな妙な事を言われた家の者は皆揃って首を傾げ怪訝な表情をしていた。まぁ考えてみたら我ながら意味不明な注意喚起である。だが俺も今川義元一行がどちらの姿で熱田にやって来るのか分からないし、更には彼らはお忍びで来ているので家の者にもその正体を知らせる訳にもいかなかった。
そもそも義元は隠居しているとはいえおいそれと駿府から熱田まで来れるものではない。だが俺は正月~松の内までにやって来る可能性は高いと見ていた。何故なら尾張を立つときに富くじをコッソリ購入していたのを見かけてしまったのだ。
本人は俺に隠れて見つからないようにさっさと買ってさっさと去るつもりのようだが、どうも最後の最後で番号を迷っていた。俺はその瞬間をたまたま見かけてしまったのである。
そうしてその後、義元は富くじの話をおくびにもに出さず何食わぬ顔でいた。多分俺にバレていないと思っているのだろう。絶対驚かせに来るハズだ。
そういうわけで御一行はきっと富くじ大会が行われる前にはやってくるだろう。いい歳して元気が有り余ったご隠居程タチの悪いものはない。
そして年は明け、永禄八年
「皆、あけましておめでとう」
「「おめでとうございます」」
熱田の家の者に挨拶をし、祝いの席を設ける。
この時代驚いた事に初詣という習慣がないので神社であっても正月は案外忙しくない。朝に祝詞を読むくらいだ。
なので昼にはゆっくり皆で囲炉裏を囲んで酒を嗜んでいた。
あんなに大人しく可愛かった楠丸は数えで五歳になり立派なハナタレへと成長していた。親父殿の頬は不肖の孫に頬が緩みっぱなしだが、その甘やかしの成果がこのハナタレである。先日の義元への狼藉を踏まえてこれはなんとかせねばなるまいと俺は強い危機感を抱いていた。
そしてたあの腕には数えで二歳になった赤子が抱かれていた。名を若木丸、昨年の一月に生まれた第二子である。
その頃は三河で一向一揆と戦い、那古野で戦い、そしてしずかの死、栄村の立ち上げ…と立てこみ過ぎていてまともに抱いてやる事も出来なかった。
いや少し彼を抱く事に躊躇いがあった。
「だああああぁぁぁ」
俺に抱かれる赤子、若木丸の小さな手、細い指、そして満面の笑顔。そんなか弱く眩しい命を見てしまうとこの子が安心して生きれる世の中を作ってやりたい、ガラにもなくそう願ってしまう。
「ちちうえー?おめでとうございますー」
俺に
正直たあには言い辛い事だが松の内が明けた頃にでも今川への臣従と質の話をしなければならないと心に決めた。
そうして正月も三が日が過ぎ、松の内も終わりそうな頃に奴らはやってきた。
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