第八十七話 練兵の方針

十一月に秀さんとねねさんの子が産まれた、女の子でおつるという。

秀さんは満面の笑顔で「静香殿の立派な侍女にしますぞ!」とか言ってたが静香に振り回される可哀想な未来しか見えない。

あの二人の子供なのだ、間違いなく優秀な子に育つだろう。そんな未来ある娘にロクデナシとじゃじゃ馬の面倒など背負わせてはいけないと思うが…それより豊臣秀吉は年取ってから男の子が二人出来たってイメージだったけど女の子もいたのかな?

俺は内心中途半端過ぎる未来知識で無駄に混乱していた。


◇ ◇ ◇


そうして俺は那古野城で自称甲賀忍者の滝川のおっさんに任せていた犬山城の周囲の近況報告をしてもらっていた。

情報の収集といっても情報リテラシーが低くコンプライアンスの怪しい時代だ、商家の丁稚なんかに近付きおやつで釣って雑談交じりに物と金の出入りを聞き出すのだ。多少込み入った話になっても仲が良ければちょっと小遣いを渡すだけで口が滑らかになったり記憶が鮮明になったりするらしい。

まったく人の口に戸は立てられないと思い知らされる。正直この時代において情報漏洩を防げる気がしない。

そして今日はもう少し込み入った仕事の報告に来てもらっていた。


「犬山はまとまりそうか?」


「そうならぬよう手配をしております」


なんでも犬山城は亡き織田信清の弟の広良というのが実質城主をやっているらしい。だが未だ那古野の戦での敗北を引きずっており、暫くの間はこちらに目を向ける余裕はないだろうとの話だ。

それに対し織田広良の叔父というのがまだ年端もいかぬ信清の長男を後継にと推しているらしい。

曰く信清の弔い合戦をしろだの城主としての覚悟が足りぬだの犬山が一丸となって打って出れば熱田のアホでうつけのボンクラなどに負けはしないとか言いたい放題らしい。

…そのディスは滝川のおっさんの脚色は入っておるまいね?


「間者も放ち混乱を助長させておりますれば暫くは攻め入ってくる事はありますまい」


なんでもこの叔父を焚きつけたり冬になったら熱田と鳴海の岡部が連合で攻めてくるとか流言を吹聴して混乱を助長させていたようだ。

借金漬けの滝川のおっさんがまるで有能そうに見えて不思議だ。


「だがこちらは栄村で三百、那古野城で三百、羽豆崎で三十…攻めてくるにしてもまた千の兵で来られたら困る。まとまらないで欲しいものだな」


正直手札は寂しい。まぁ確かに鳴海城の岡部に言ったら義元の手前援助はしてくれるだろうが。

それに対して滝川のおっさんが不思議そうな顔をする。


「殿は領民からの徴兵を考えておられないのですか?」


この時代だと半農半士が当然だ。だが俺のイメージでは給料を貰っての専業兵が理想だ…というかわりと最近まで勘違いをしていた。

だが勘違いであっても令和の文明人からすると農民兵を率いるのは不安要素でしかない。練度が低い頼れない農民兵を率いるには頼れる指揮官をつける必要があるしそれも貴重な戦力だ。使える兵をそんな事に割きたくない。


ウチは今年の初めに三河からの流民が来てそれなりにそれを受け入れた。そうして彼らを使って積極的に田畑の開墾はしたが、人の数に対して田畑は足りなかった。そうして三河に戻っていく者もいた。

だがウチは競馬という産業があり、銭には多少余裕があって薄い粥ではあるが炊き出しをする事が出来た。この薄めの粥でも味を占めた者がいて、そこそこ人が残った。その余剰人員に食い扶持きゅうりょうを出して兵として教育しているのだ。


「出来れば止めたい、農民は農業を、兵隊は戦働きをそれぞれ専業でやってもらいたい」


「その心をお聞きしても?」


「そうだな…しっかり教育と訓練を受けさせて高価な武器を任せたい」


軍は装備に金をかける程に強くなる、この時代なら金のかけどころは銃になるのだろうが…今は時期尚早と思っていた。

俺が銃の導入に消極的なのは金や伝手の問題もあるが、なにより銃を持たせても良い兵が揃っていないからだ。


鉄砲は当たれば強い。ただ皮鎧であっても側面に当たると逸れてしまう。一発が高価な鉄砲をしっかり当てられるようにする為には高価な弾と火薬を使って繰り返し訓練をする必要がある。訓練だろうがなんだろうが容赦なく弾と火薬を使って文字通り銭をばら撒く。規律を重んじた信頼のおける兵隊でないとその管理も維持も訓練も任せられないのだ。


そうして滝川のおっさんは少し驚いた顔をしている。


「…俺は何か変な事を言ったか?」


「いえ…その…」


滝川のおっさんは口籠る。まぁ正直なトコロ農民兵抜きでの戦は余り現実的ではない。農民兵含む千とこちらの訓練された六百の兵だと数の多い農民兵に分があるのは火を見るよりも明らかだ。数は力、パワーイズパワーなのだ。

そういう現実もあって言いたい事もあるだろう。だが滝川のおっさんから出た言葉は意外なものだった。


「…亡き弾正忠殿も将来はそのような形で軍を編成したいと考えておいでのようでした」


…へー?信長ってそんな事考えてたの?


「信用のおけぬ者には鉄砲を扱わせられぬ…と。それで我々も三間半の槍を振らされたりもしました」


はははと笑う滝川のおっさん。おっさんも信長と付き合いは長く、そして信頼も得ていたようだ。しかし史実の信長はよく沢山の銃とそれを扱える信頼出来る部下を揃えたものだ…今更ながらその財力と人望に驚く。


「とにかく兵の教育だ、鉄砲を任せられる程度に規律を重んじた教育をする。鉄砲、弾、火薬をくすねるような馬鹿では困る…あと乱取りも止めさせたい」


正直奪うのが当たり前だからくすねたり横領するのが当たり前になるのだ。少々滝川のおっさんへの当てつけになってしまったがこの時代のハイパーモンキーマインドではごく当然の感覚なのだ。


「それは…兵の士気が落ちませぬか?」


んー?この感じ…一見兵の心配をしているようだが滝川のおっさんも従いかねるといった様子だ。それはこの時代の蛮族味溢れる下等なモラルでは常識、令和のモラリストの俺の方が異端なのだろう。


「田畑を荒らし、農民が死ぬとそれだけ生産力が落ちる。少し長い目で見たら兵站にも影響が出る、そしてその積み重ねが国力に関わってくる」

「だから乱取りを行わなかった者には褒賞を出す事も考えている」


滝川のおっさんはそれでもまだ納得いっていないようだ。この反応を見ていると思った以上に乱取りを無くすのは難しいかもしれん。


「まぁせっかく疋田が来たのだし、心も体もしごいてもらおう」


しかし練兵と精神教育は疋田に任せるとしても用兵が上手い奴とかどっか転がってないものだろうか?


だが後に俺はこの「用兵の上手い奴」と出会い心から後悔する事になる。

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