第八十五話 悪し

俺はしずかの墓前に椿油を供え手を合わせた。


祈る俺の後ろには静香を抱えたさやがいた。彼女は珍しく俺には生温かい視線を向けてくれていた反面、滝川のおっさんへは厳しく刺すような敵意にも近い視線を送っているように感じた。その視線におっさんは所在なさげであったが、俺は今後出来るだけおっさんとこの姪の交流を密にしてあげようと思った。血縁は大事だからな。


静香は起きていると異様に…異常なまでに元気だが、今はさやの腕の中で安らかな寝顔を披露してくれていた。その寝顔はいつぞやの彼女を思い起こさせる、まさしく天使の寝顔だ。

でも九鬼嘉隆の姪なんだよな…

ふと考える、このままアイツの教育の下で育てて大丈夫なものだろうか…立てば芍薬座れば牡丹走る姿はカリフラワーそんなモンスター娘に育ったらどうしよう…

まぁまだ乳児だ、教育の事はそのうち…そのうち考えよう。

俺は可愛い娘に一抹の不安を感じながらも伊勢へと向かった。


◇ ◇ ◇


伊勢では北畠のお殿様に事前に道場を見学したいと打診をしておいた。

俺自身あまりこのお殿様と武芸の話をしてこなかったが、今回のこの申し出に北畠具教は随分と楽しみにしていてくれたようだ。

このお殿様好きな分野の話になると早口になるタイプなのかもしれない。


目的は武術に明かるいという北畠のお殿様にウチの工兵共の戦働きを一段引き上げてくれそうなスコップ剣法の使い手か指南役がいないかを尋ねるつもりだ。

剣だろうが槍だろうが武威を示せればこだわらないと小耳に挟んだのでスコップでも大丈夫だろうきっと。

…大丈夫だよな?


まぁキレられたら酒でも飲ましてお茶を濁そう。


◇ ◇ ◇


「…この鋤で兵を戦わせろ…と?」


北畠のお殿様はとても渋い顔をしている。

ダメだったようだ、いきなり酒の出番か?


北畠具教に連れられ道場にて紹介されたのは上泉信綱という初老のじーさん、そして柳生宗厳という男だった。

上泉信綱…誰だ…?柳生の人より先に紹介されるって事は偉いのか?あと柳生の人も柳生十兵衛なら知ってるのになんか眼帯してないから別人?にせものか?


「こちら熱田大宮司の千秋季忠という、なんでもこの鋤を使っての武芸を望むとの事だ」


柳生の人はあからさまに眉を顰めていて脈無しっぽかった。柳生門下生からも失笑の声が漏れている。

でもアンタのトコって二刀流とかやってた気がするからもう少し前向きに考えてはくれませんかね…?

逆に少し考えてくれたのは上泉と紹介されたじーさんだった。持ってきた鋤を二度三度と振り何かを考えているみたいだ。そうして少し笑った後。控えていた弟子と思しき若者と何かを話している。

脈ありか?でも上泉信綱とか聞いたことないじーさんだからなー?そうしてその弟子も鋤を苦い顔で振ってみている。そうして一通り鋤を振るった弟子の若者が俺に話かけてきた。


「これで戦場に出よと?」


「はい」


「正気ですか?」


うるせーよ喧嘩うってんのか若造…

それに対し彼の師匠である上泉のじーさんがフォローを入れてくれた。


「斬る突くではなく殴る払う防ぐ掘る撒く」

「戦場で人を殺すのではなく大局を変える為の武器とは面白い」


上泉なんたらって人は柔軟な考え方をしてくれていた。鋤にも良い所があるはずなんだよな、昔の大戦では戦場で一番敵兵を殺したのはスコップだったみたいな事聞いたしそんな最強武器の指導して貰えるとありがたいんだが、このじーさん老い先短そうだしなー。

そうして上泉なんたらのじーさんが俺に対して申し出をしてくれた。


「弟子の疋田文五郎が是非にと申しておる」


(言ってませんが)


速攻で小声で拒否する若造、師と北畠のお殿様の前であからさまに反対の意思表示とはなかなか気骨のある男のようだ。

いやでも正直よくわからん男のさらにその三下の弟子とか扱いに困るんだが?

そんな俺の雰囲気を察したのか上泉のじーさんが俺に言う。


「もしこの者の腕が信じられぬようでしたら立ち合ってみればよろしい」


俺は悩んだ、一応最低限刀を振るえる程度に鍛えてはいるが、剣の腕には自信がない事に自信がある。才能がないというヤツだ。まぁ神職だし祝詞なら唱えられる。大目にみてやってほしい。

だがそんな俺に勝った程度でこの無名の三下の腕を認めてウチの剣術指南役にするというのはいくら俺が能天気な男でも無理だ。


「それでは俺とやった後にこの滝川とも試して頂けるのでしたら」


だから俺は滝川のおっさんも巻き込む事にした。俺ならともかくコイツに勝てるならそこそこの腕だろう。

おっさんの方を見たら首を小刻みに振っている、おまえこういう時にこそ役に立てよ!俺はニッコリとそのジェスチャーを見て見ぬふりをした。


そうして審判に柳生の門下生を据えて立ち会う。疋田文五郎という若者は俺よりも随分若い男だった。二十過ぎた位だろうか?そしてその手には竹の束を編んだ…竹刀のようなものを構えていた。なんだァ?ハンデか?もちろん俺は容赦なく木刀である。


「はじめ!!」


柳生の門下生の威勢良い掛け声と同時に俺は先手必勝と斬り込む!気合い一閃!!


「悪し」


確かにそう聞こえた。

打ち合うと思った刹那、俺の剣筋は彼の持っていた竹刀と思しき棒に逸らされ俺は額に一閃…いや十二分に手加減され比較的柔らかい竹刀の腹で額を叩かれていた。

乾いた音が道場に響き「一本!」と審判の声が響く。

周りからするのはどよめきと失笑。

…真剣だったら額に即死の直撃、木刀なら最低でも重傷…いや即死だったかもしれん完全に格上の一太刀だった。

礼をしてもう一度構える、挽回の機会成るか…正直今の一合で格が違うのは理解出来た。

…確かに強い…残念ながら全く、天地が逆さになっても勝てる気がしない…

だが許せねぇ…なんか舐めプしやがって…!このまま負けただけで終われるか!汚い手を使っても一泡吹かせてやる!正義は勝つ!!


「悪し」「それも悪し」


俺は立て続けに三本取られた。


「驚くほど見どころがありませぬな…」


コイツ…!

俺は腸が煮えくり返る気持ちを隠し、頭を下げ礼をして退散する。そうして滝川のおっさんに詰め寄る。


(おい!絶対に負けるんじゃねぇぞ!!)


(殿…立ち合って分かったかと思いますがあの御仁には勝てませぬよ…)


(何弱気になってんだ!?気合いで勝ってこい!!)


俺は滝川のおっさんにはっぱをかけて送り出す。

俺の三連敗、滝川のおっさんが三連勝をしたら四捨五入で俺の勝利といっても過言ではない!


だが俺の祈り空しくなんと滝川のおっさんストレート三連敗!切り上げをしようにも全敗である。くやしい。

滝川のおっさんは俺の隣で小さく正座している。

八つ当たりくらいしようと思ったがまぁ俺も全敗の身だ、そんな俺に北畠のお殿様から声がかかる。


「お前…疋田は柳生に引けを取らぬ剣の腕前ぞ?そなたがなんとか出来るはずがあるまいて!」


そういって北畠具教は笑っていた。へこんでいる俺の顔が見れて心底嬉しそうである。


でも柳生に引けを取らぬとかマジかよこの若造…

それならと俺は頭を下げて彼にウチの剣術指南役になってくれるよう頼んだ。


「疋田殿、尾張で鋤剣法を極めてはいただけませんか?」


「え…いやですが?」



その後師匠である上泉のじーさんと随分と長く話し合いをした後、疋田文五郎というわけわからん男がウチに来ることになった。

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