第八十一話 遺言状

那古野城の門には数十人の者共が押しかけて押し合い問答をしていた。


「まてまてまて!」


俺は声を上げて彼らを制止する。

本来なら暴漢に対して身分を明かすのは危険だがここは一応俺の城、すぐに助けを出して貰える。そしてこの者等が織田弾正忠家の元家臣であろうことは滝川のおっさんからの報告で分かっていた。

よくよく見まわすと確かに季忠の記憶にもある見知った顔があった。

その中にはなんと!あの有名な柴田勝家!知ってる!昔俺が読んだ小説では巨人軍と戦ってホームランを打ってた!!あのホームランバッターにまさか会えるとは!!しばたー野球しようぜーといっても全く通じないのがもどかしい、そんな内心のウッキウキを隠しつつ皆を諫めた。


「織田弾正忠家の皆とお見受けする!」


「千秋殿……?」

「熱田の千秋か!」


清州城での受け答えと同様の既視感を覚えたが、皆の視線は声を上げた俺の後ろに流れていくのが分かる。俺の背後のただならぬ気配と筋肉を纏った偉丈夫に皆の視線は自然と不自然に集まった。

俺は手を叩き再び大声を張り上げ皆に注意を促す。


「こちらは越後のちりめん問屋のご隠居様だ!」


その声に再び俺に視線が集まるが、その目は一様に「コイツ何言ってんだ」という怪訝な色を滲ませていた。

しかしここでご隠居いまがわよしもと様の正体がバレるのは

織田信長を討ち織田弾正忠家を瓦解させた張本人を、未だ織田弾正忠家に忠義を持つ家臣団に会わせるのは不味すぎる。


「うわーすごい筋肉ー」


そんな織田の家臣団の中から現れた空気を読まない女。ご隠居様の体をぺたぺたと触っている。

え、この女何やってんの?止めないと…という考えが脳裏によぎり静止の言葉を出そうとした瞬間、女のショッキングな行動に言葉が詰まった。

女はご隠居様にボディーブローをかましやがった。女…死にたいのか?

突然の狼藉に固まる俺、護衛であった一宮、久野両名も固まっている。

身じろぎ一つしないご隠居よしもと様、そして女は手首を痛めて屈んでいた。


「ぃたぃ……」

「お方様!」「お方様!!」「なにやってんねん!」「やめーや!!」


涙目の女、口々にただならぬ圧を放つちりめん問屋のご隠居に謝罪の言葉を並べる織田弾正忠家の皆、呆れる義元、怒りで顔を赤くさせる一宮、そしてこのタイミングで正体がバレるのは流石に不味いと感じ一宮を抑えている渋い顔の久野。そして顔を青くさせる俺と滝川のおっさん。

場はカオスに満ち満ちていた。


◇ ◇ ◇


織田弾正忠家の皆は帯刀を許さない事を条件に那古野城に入る事を許可した。彼らにとっては古巣の那古野城だ、入りたくないという事はないだろう…が、昔日の面影はない。一切ない。あるのは豆腐城。思い出も思い入れも懐かしさの欠片も無い事に彼らは一様に唖然とした表情を張り付けていた。その悲嘆とも無念ともつかない顔に俺は少し心を痛めたが、そんな彼らを見てこの豆腐城改修を俺がやっという事は墓に入るまで絶対に隠し通そうと強く心に決めた。


那古野城の広間には那古野城城主代理の俺、織田弾正忠家からは佐久間信盛という男と柴田勝家と狼藉女、そして謎の第三勢力、越後のちりめん問屋ご隠居様御一行。

お祐殿には彼らが何をしでかすか分からない為にうしおについて別室で控えてもらっている。


先にも言ったがこのご隠居いまがわよしもと様はこの世界だと桶狭間で信長の首級を挙げた張本人だ。

その事を織田弾正忠家の忠臣であるこの者達が知ったら…一応刀は取り上げたのだがどのような蛮行に走るのか想像がつかない。いうまでもなく一宮と久野の両名は大人しく控えてはいるが臨戦態勢である。


「えっへー手土産なしってワケじゃないのよぉー?」


現在織田弾正忠家の中心は彼女らしい、やたらとテンション高い彼女が取り出したのは箱に入った手紙。


「はいっコレ!とりあえず読んで!」


彼女が渡してきた手紙には…


「美濃国……譲り状…?」

「美濃国大桑を織田信長の考えに任せることにし…美濃を与える」


…なんだこれ、遺産の相続?遺言書?だが一目見て問題がある。


「…でもその…信長さん、お亡くなりになっちゃいましたよね?」


俺には関係ない話だ。


「そ!だから美濃はのっぶちゃんの長男の奇妙丸…うしおちゃんに治めて貰わないといけないの!」


ああ、なるほど滝川のおっさんから義元がうしおの存在を認め害する意思が無いと報告を受けて走ってきたワケか…滝川のおっさんも織田弾正忠家と主従関係を清算したワケではない、俺が金で買収して二重スパイのような事をさせている立ち位置だ。契約書も交わしてないしコンプライアンスなんて物もこの時代にはない。奴を責める事は出来まい…が目の端で気まずそうにしているおっさんを見るとイラっとする。


「それでね!うしおちゃんの義父の季忠ちゃんと私が結婚すれば晴れて美濃は季忠ちゃんのモノなのよ!」


滅茶苦茶だなこの女…勝手に拡大解釈しやがって…なにが晴れて美濃は俺の物だよ…よくわからん遺産相続争いに巻き込むんじゃねぇ…

そんな迷惑事を煙たがる様子の俺に彼女は呆れたように話を続ける。


「あのねー?季忠ちゃん、自分の立場分かってる?三河の戦で武功を挙げて続いた那古野の戦で信清ちゃんを討ち取ってのっぶちゃんも出来なかった尾張統一してるのよアナタ?」


「いやそんな事言われても…」


さらっと斯波さん無視されてんな…かわいそう。

義元の眼前で尾張統一とか美濃を譲るとか翻意アリアリとしか聞こえない厄ネタをぶん投げないで貰えませんかね…


「今や尾張から織田を排除して国人衆を纏め上げちゃってるんだから実質尾張は季忠ちゃんの国よ?」


国人衆を纏め上げてるって…井伊直盛のおっさん有能だった?今もそこ辺りはお祐殿がやっているみたいで俺はほとんど関わってない。

それよりなにより一連の会話から義元に翻意アリと受け取られてはかなわない、俺を上げるの止めろ…俺は胃が痛くなってきて顔が青くなってきていたが、当の義元は肩を揺らせて笑っているようだ。


「ねっ!そういうわけでおねがい!美濃を取り返すには季忠ちゃんの力が必要なの!」


てへぺろみたいな表情をする自分に都合の良い事しか言わないサイコパス女。


「いや…しかし…」


そもそも俺は取り返すも何もそんな野心はない。知らん土地なんて欲しくない。なんなら熱田と羽豆崎だけで十分、慎ましく静かに生きるわ。

それにこの遺言書?効力ないだろ…と思っていたが背後で見ていた越後のちりめん問屋のご隠居様は突如大声で笑い出した。


「くはははははっははっは!!」

「面白い!面白いぞ!!女!!」


ひとしきり笑い、ぴたりと止めるご隠居様。

いきなりなんだよこえーな…


「女、そなたを今この場で斬って口を塞ぎこの文を焼けば尾張は美濃との戦に巻き込まれずに済む」

「其の方が一人死ぬだけで何千もの命が助かる、この老骨に皆感謝するであろう」


いきなり物騒な事を言うご隠居様。その殺意の波動に刀も持たない佐久間と柴田が肩を強張らせたのが分かる。それに対しご隠居様の傍の一宮、久野両名の雰囲気が臨戦態勢に変わる。

やめてー私の為に争わないでーなにが老骨だよこの筋肉!


「もちろんわかってるわよー」


彼女はその殺意をニッコリ笑顔で流す。


「女、その方の勝手で戦が起こるぞ。今までそなたを支えてきた尾張の者も、その方の縁者がおる美濃の者も死ぬぞ。こんな真偽の分からぬ文に振り回され死ぬぞ!」


二人の会話は俺を無視して勝手にヒートアップしていく。


「あら、人の世で人が死ぬなんて当たり前じゃなくって?」


コイツ油を注いで付け火する気満々だな…


「それとも」

「美濃、欲しくない?」


首をかしげて可愛く言ってもだめだぞ。こちとら意識低い系男子だ、競馬とお酒でワイワイやっていたい…まぁこのトコロ薄い粥ばっかり食ってるけど…

俺は気の抜けた大きなため息を一つついて場の注目を集める。


「勘違いされているかもしれませんが俺は今川に臣従している身、美濃を取っても大半は今川の地になりますよ?」


義元の手前俺には欲がないアピールも兼ねて抗弁する。正直何かの間違いで美濃を取っても俺にも彼女にも大した利益なんて無い。大部分は主君の今川家に帰属するだろう。そして戦費と人命とトータルで見たら赤字になるまである。そんな利益の薄い戦働きなんてしたくない。

だが背後のご隠居よしもと様は違った。口では威勢良く威嚇してるけど一目見て顔に美濃欲しいとかなりハッキリと書いてある。これ以上煽って付け火しないで欲しい。


「あら、それでもいいわ!」


彼女は嬉しそうに故郷であろう美濃を、そしてその戦果を仇敵である今川に奪われても殺し合いがしたいと言い切る。死神かな?


「帰蝶殿…本当の目的は何ですか」


俺はまたため息をついて彼女に正した。一体何を目的としているのか、まともな返答が返ってくるとは思わなかったが意外にも彼女はここにきて初めて感情の籠った、憂いを帯びた目をして語った。


「わたしねぇ緑あふれる…美しい故郷に戻りたいの」

「だってわたしは美濃の姫だもの」


そう濃姫は宣った。

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