第七十八話 ご隠居豆腐を見上げる

本来熱田から斯波義銀の居城、清州城へは歩いても余裕で一日もあれば到着する距離だ。だが今川のご隠居よしもと様は何故か途中の那古野城へ寄ると言い出しやがった。

桶狭間の戦いの後に義元はこの城を手中にし、井伊直盛の手を経て何故か今は俺が管理している城…というか屋敷だ。俺からしたらなんでこんな屋敷を手に入れるのに大軍を動かしたのか理解不能だが、まぁ生きていればきっと色々あるのだろう。

現在は無許可で俺が改修をして井伊直盛が娘、お祐殿の居城になっている。

ご隠居様一行は数年ぶりにやってきた那古野で匠の手によって生まれ変わってしまった城を見て呆然としていた。


「…なんと…まるで豆腐のような…」


驚きのビフォーアフター、信じて託した城がこのざまである。たった数年で屋敷は見事な巨大豆腐に無機物から有機物へ生まれ変わりてんせいである。

主犯として多少自覚のある俺としては少々バツが悪い、出来れば此処に義元を招きたくなかったという思いは強い。

久野さんは先の戦で那古野城のこの惨状を知っており、投石器を用いた機能性に関しても理解してくれているが、改修云々の些事は一々報告してはいなかったのだろう。義元の表情は珍しく明らかな動揺と困惑の色が見て取れる。無論俺はこの義元の顔を見て「してやったり!」などと思えるほど大物ではない、居心地が悪いどころか生きた心地さえしなかった。弔事の様相で俺はご隠居様御一行を立派な豆腐の中へとエスコートするのだった。


◇ ◇ ◇


「あら、殿そちらのお方は?」


「ああ、お祐殿。こちらは越後のちりめん問屋のご隠居様だ、くれぐれも失礼の…」


俺の言葉を最後まで聞く前にお祐殿は表情を固くしその場に正座をした。そして深々と頭を下げた。


「お初にお目にかかります、井伊直盛が娘、お祐と申します。ご隠居様には遠路遥々お疲れで御座いましょう」


「苦しゅうない。今は隠居の身、そう固くならずともよい。」


「お気持ち重ねて有り難く存じ上げます」


今川義元だとばれたのか?井伊の家は今川の重臣のハズだからお祐殿は何処かで義元の顔を見た事があったのかもしれない。

アイツ全然オーラを隠しきれてないもんなぁ…なんかやっぱりちりめん問屋のご隠居様というのも無理がある気がしてきた。

まぁそれでも正体が分かったのなら話も早いなー…などと呑気に考えていたら、ご隠居様の足を洗っているのを横目に凄い力で屋敷の裏にまで引っ張られ、襟首を掴み俺をガン詰めしてきた。


「殿!殿!殿!あのお方は一体何方様で御座いますか!?」


…どうやら知らなかったようだ。気配で只者ではないと悟ったようだが同時に訳アリだと考えたようだ。さすがはお祐殿。だがそんな悠長に事を考えられるような状況ではなかった。俺は襟首を絞められ首から頭への血流を止めにこられていた。お祐殿の腕にタップをするがそのジェスチャーは気付いて貰えない。俺は必死になって弁明をする。


「正体を…明かすことは出来ない…が、さる高貴な…お方だ…お祐殿の判断で…問題…は…ない!」


意識が落ちる寸前俺はようやく解放された。咳き込みながら靄がかった意識を荒い呼吸で必死に整える。


「…そう…でございましたか」


呆けた頭でお祐殿が訝しみ眉をひそめ悩む姿も美しいと思った。昔どっかの国で美人は眉をひそめても美人みたいな話があった気がするがまさにそんな感じだ。

だがどんなに美しくても根本的には戦国蛮族だ、騙されるな…!俺のような令和の紳士にこの世界は危険がいっぱいだ。ひょんなことが命取りになる、これはもう確実だ。

義元の危険性ばかりに目がいっていたがお祐殿も大概であると荒れた呼吸をなんとか抑え、認識を改にした。


◇ ◇ ◇


「おはつにおめにかかりますごいんきょさま、うしおともうします」


うしおは深々とご隠居様に対して頭を下げた。礼儀作法もお祐殿からしっかりと教え込まれているのかその挨拶はとても五歳とは思えぬ綺麗な所作だった。

鼻水を垂らさない、人のおやつをガン見しない、そのおやつを強請らない…誰かと違い理性の輝きを感じさせるものであった。


「ほう……お前の子にしてはなかなか見所のある顔をしておるな」


…まぁ自慢の我が子ではありますが…その…血は繋がってませんけどね?

どうも俺は顔に出やすいのかそんな俺の様子を見て義元が笑って小声で言う。


「なに、委細承知しておる」


それはそれで不安な事を…委細ってなんだよ…

義元からは大分前に信長の長男である「奇妙丸」の存在を知っているとは聞いていた。今更織田弾正忠家の跡取りがいたからといって義元の足元を揺るがすような事もないだろう。

だが昔アニメにもなった…なってない漫画の原作で宝具を使って軍を混乱させた七歳と五歳の兄弟を捕らえ「ちちうえ!わたしはまだしにたくありません!」と命乞いをする幼子相手に「禍根を残してはならない」といって父親の前で首を刎ねた主人公がいた事を思い出し、震えた。


そしてこの日の夕餉の膳には当然の顔をして豆腐が鎮座していた。お祐殿のドヤ顔が目の端にチラつく。

お祐殿の応対とうしおの挨拶にご機嫌だったご隠居様は思い出したようになんともいえない表情を浮かべて俺を見てくるが、俺はわざとらしく「おいしいなぁー」とか「これ食べたかったんだよなー」と食事中に独り言を言い散らし、全く視線に気付いていないとスルーを極めた。



◇ ◇ ◇


夜、夏の熱気をしっかり吸収した灼熱の茹で豆腐城を後に、離れで先の「委細」の確認をする為、義元に酒を注いでいた。


「なるほど「天子魔」千秋といえども人の子か」


澄酒を片手にくっくっくと笑う義元。

うしおの出自を知った上で義元はどう思っているのか、今後どうするつもりなのか。彼の人生を大きく変えるであろう大切な話だ。出来れば人並みの生を謳歌して貰いたい俺としては許されるのなら彼の自由を進言したい。怖いけど。

それとそんな真面目な話をするつもりだったのだが、まさかのその厨二病の塊のような二つ名が義元の口から飛び出た事に俺の知らない所でホントに流行っているのかも気になって…どう切り出したらよいのかも悩んでいた…怖いけど。


「何、どうにもせぬわ」


義元からの返答はあっさりとしたものだった。だがそれでいてその胸中無関心ではいられないようだった。


「確かに思うところはある…だが儂はあの者の血に連なるものを害そうなどと思っておらぬ、立派に生きるがよい」


義元は静かに目を閉じた。瞼の裏には桶狭間での信長の最後の姿が映っているのかもしれない。本来なら勝って当然、踏み潰した者の一人として記憶に残るものなのかも怪しい戦だ。きっとこの後の歴史で織田信長は義元に対し勝てぬ戦をしてみすみす討ち取られた敗軍の将として教科書に一行名前が記されるかどうかだろう。

だが信長はこの今川義元おとこにきっと俺が思っているよりも大きな痕を残しているようだった。瞼を開き重い口を開く。


「…うしおと申したか。名を変え家を捨て血を偽り…些か不憫であるとは思うが…あの者の目の輝きはかの者の面影を湛えておったわ」


そう言って義元は眉を下げた。


「そなたの子として立派に育てよ」


「は、ははー!!」


当初は信長の子とかプレミアムじゃーんとか翻意ありと思われてはかなわんなーなどと思っていたが…しずかが手をかけた子だ。今となってはうしおを手放せるはずなどなかった。


「ただ…」


義元はそこでそれまで快活だった言葉を濁した。


「儂は既に隠居した身じゃ、目こぼし位はあっても文句はなかろうが目を掛けることは出来ぬ」


別段世話をして欲しいとはないのだが…と思っているとどうやら今川のお家の話になった。


氏真むすこに見つかると厄介な事になろう、今は自らの足場を固める為に周りに再度の臣従と質を求めておる」

「尾張は斯波の下で纏まっておるがこの事は今まで通り隠しておくがよかろう」


え、やだ氏真さん?こわっ!

そういえば史実?で義元の後ってどうなってんだ?桶狭間の後に今川大帝国が即滅んだとも考えにくいし息子さんが継いでその後なんやかんやで滅んだ…?あれ?家康と戦ってた?でも今は元康も三河で元気でやってて滅ぶ理由無いよな…?

などと考えていると義元の気配が変わった。突然立ち上がったかと思うと襖を開け、隣の部屋を越え障子を開け放ち庭を厳しい目で見やる。

障子を開けた先の廊下には一宮さんが警護の為に控えており、突然の眼光鋭い義元に驚いている。その様子から何事も無い事が伺われた。


「…何やら気配を感じたが気のせいであったか?」


ねずみかゴッキーさんか?

義元のあけ放った障子の先には夏の夜闇が広がり、涼し気な風が枝葉を揺らしていた。

二つ名の件は聞きそびれた。

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