第七十七話 夜番の噂話

夜番は俺と久野さん、そして親父殿と一宮さんのローテーションですることになった。ここは熱田神宮、襲撃などあるはずもないが一応の備えだ。もちろん今日は外にも番を立てている。

俺は一緒に番をする久野さんと眠気を誤魔化す為、他愛のない話をしていた。


「千秋殿、我らにまで旅装束を用立てて頂き感謝いたす」


「ご隠居様のお付きが虚無僧では怪しまれますからね」


久野元宗くのうもとむねこの人は律儀な人だ。

彼には三河の一向一揆の後の那古野の戦で大恩がある。澄酒を所望されて贈ってはいるが、いつか個人的に借りを返さねばいけないと思っている。エライ人はもとより、この蛮族はびこる世紀末において珍しい常識人との縁は貴重だ。そしていつの時代であっても出来る限りロクデナシとは手を切っておかねばらならない。

ついそんな事を考えていると滝川のオッサンの屈託のない汚い笑顔が脳裏をよぎった。不意に顔が険しくなり、それを見た久野さんに心配されてしまう。


「千秋殿、如何いたしました?」


「いえ…先日競馬で借金までして身を持ち崩した知り合い…?がおりまして…」


考えるとつい眉を顰め、口に出すと頭が痛くなる絶賛俺の中での最底辺人間である、


「お家の関係など色々とありまして結局その男を助けたのですが…久野様は競馬にのめり込む事もなく立派に治部大輔様を支えておられて本当に立派だなぁ…と」


久野さんは一度競馬で良い目を見たはずだがそれに溺れることなく自制し、義元の近習として控えている。賭け事に最初に当たるとのめり込む人が多いのになかなかどうして出来た男だ、腰巾着とか思っててごめん。

本当にお家の金に手をつけた挙句に坊主どもからも金を借りた多重債務者のロクデナシに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいものだ。

…いや飲ませよう。絶対に飲まさねばなるまい…!


「なるほど…そのような理由でしたか、天子魔千秋殿の頭を煩わせるとはそれは大物ですな」


くっくと笑う久野さんの言葉に俺は困惑した。なんだ?なんで小市民な俺なんぞにそんな異名がついてる!?心外という驚きが顔に出てしまった。それに対して久野さんは少しバツが悪そうに説明をしてくれた。


「いえ、千秋殿は三河での一向一揆の際に空誓亡き本證寺に坊主憎しと強硬に突入を駆り立てたと。その意気を止められるものはおらず仏に牙を剝く鬼だとか、それでいて逃げる大将首を揚げたのは大神の導きあったからとも」

「また本證寺を焼いた後も怒りおさまらず更に血を求めて那古野に向かったとか…そんな物騒な噂が立っておりました」


ちょっと…なにそれ初耳なんですが?俺そんな危険人物と思われてましたか?


「共に那古野に行った自分が言っても噂とは独り歩きするものでして…」


そりゃあ…まぁこういう噂の火消しを俺自身がやったとしても止まらないだろう。

この時代情報の伝達手段が限られている。「人の噂」も伝達手段の一つだ。だがそれは聞いた人の主観と願望が少しずつ入り交じり、そしてある意味無関心な他人への風評など尾ひれ背びれがついて鬼を殺しただの蜘蛛を斬っただの勝手に独り歩きして肥大化していく。こうして膝を交えて話す事で人となりを知り、誤解を解く事も出来るかもしれないが…直接会って解り合えるなんてほんの一部の人に過ぎないからなぁ。


「ですが一方で流れ者に飯と住処を与える慈悲深い大神の使いだとか…世間では随分騒いでおりまして」


とりあえず聞いた感じだと顔が三つあったり目から怪光線を出したり口から焔を吐いたりとかにまでは至っていないようだが、それはそうと栄村に帰ったら三河からやってきた連中に俺がどんな人物と評されていたのか確認せねばなるまい…


「しかしその天子魔の千秋殿と共に治部大輔様の夜番をしているとは…桶狭間では敵同士でありましたのに奇妙な縁ですな」


久野さんはまたくっくと笑う。

俺は桶狭間では俺は義元の首を狙った側だ、勿論いまさら義元の寝首を搔こうなどと微塵も思っていない。まぁ噂にどんなに尾ひれ背びれがついても義元には俺の事を大したヤツでないととっくにバレている。実際あの伝承者を相手にして無手だろうが寝ていようが全く勝てるビジョンが全く思い浮かばない。確実に指先一つでダウンだ。

あの時…季忠はどうして義元の首なんて狙いにいったんだろうな…俺が思っているより元の季忠は勇敢だったのか…いや、「熱田の大神ついてるしなんとかなるだろ…」とか甘い事考えてたしやはりただの蛮勇バカか?


俺と久野さんはそんな取り留めのない話をし、気が付くと夜番を親父殿と一宮さんに代わる時間となっていた。


◇ ◇ ◇


翌朝、しっかり楠丸の鼻水の汚れを落とした着物をぱりっと着こなしたご隠居様、そして助さん格さんの旅支度を終え御一行の準備が整った。

あとは旅の安全を願って葵の御紋を入れた印籠でも渡したい所だが今の時代葵の御紋はそんなに力強くない、そして元康にぶっ飛ばされる。印籠に入れるなら今川の家紋である足利二つ引き両とか持たせたい所だが…そんなものを勝手に作ろうものなら万死に値するので無しだ。

まぁ現実はドラマのように百対三で戦うような事もないだろう。まぁこの時代の剣豪とか百人くらい切り伏せそうだけどさすがにそれは漫画の見すぎだな。


ともかくこれで俺はお役御免だ。ご隠居様ご一行には気が済むまで適度に悪人でもぼてくりまわして貰ってお帰りの際には元の虚無僧スタイルに戻る為に熱田にやってくるだろうからそれだけ親父殿にお願いして俺は栄村に戻るとしよう。


「さて、千秋の」


「?」


ご隠居コスプレヤクザ伝承者様は俺を見て不思議な顔をしてのたまう。


「清州の斯波めを驚かせに行くのだぞ、お前も早う支度せよ」


「は、はえぇ…?」


義元の言葉に俺は混乱する、な…なんで俺も?


「はっはっは!何を阿呆面をしておる、本当に親子そっくりだな!」


可愛い楠丸を撫でまわしつつご隠居様は今日もノリノリであった。

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