第七十三話 ロクデナシ邂逅

「殿ォ…鳴海の競馬に昔馴染みが出入りしとるんじゃが…」


「…?楽しんでいるならなによりじゃないのか?」


服部小平太からこのところ鳴海競馬場に信長の家臣団の元同僚が出入りしていると報告があった。尾張は広いようで狭い、そういう馴染みの顔の一つや二つはいるだろうがどうも小平太はこの男にはかなり恩義を感じているらしく、そして彼の様子が少し心配なようだ。


「いや、楽しんでいるのは間違いないんだが…」


小平太は言い難そうに続ける、どうやらその男、この競馬場に数か月にわたり足げに通いガッツリ競馬を楽しんでいるようだ。楽しんでいるだけなら全然問題ない上客で済むのだが、初めはほどほどに整った衣を纏っていたのが徐々にくたびれ、そして顔つきが見かける度に険しく剣呑になっているという。競馬にハマり過ぎて身を持ち崩した典型例だ。

元同僚が賭け事で身を崩していく様を見るに忍びないと責任者の俺に報告してきたのだ。強面のくせに人情に篤いんだよな小平太は。

俺としてはそんなロクデナシの話を聞いてしまうと親近感も湧く。今は富くじと競馬の胴元にはなっているがなんだかんだ俺は賭け事に対して情熱があるという自負がある、きっと俺同様にロクデナシの魂を持っているであろうその男の顔を拝んでみたくなった。

そういうわけで今日は鳴海競馬場にやってきた。


◇ ◇ ◇


競馬の開催日は相変わらずの喧噪である。尾張だけでなく三河からも人が来るが、このところ栄村の住人もこの市を目当てにやって来ている。

そしてその中の精鋭ども()は鳴海競馬場に入っていった…俺が出したなけなしの給金を賭け事おうまさんに使うつもりなのだ。実は数か月前に村民の一人が万馬券を当ててしまい、十数倍に増えた事で栄村では大騒ぎになった。俺としてはその給金でもう少し栄養のある物でも買えよ…と願うのだが経営している手前、賭け事禁止とは言えない。

自らの不徳の致すところであると認めざるを得ないがせめて楽しんでいってほしい。俺は心の中で合掌した。


「いた!殿!あの男じゃ!」


首を捻られ小平太の指が指し示した先にはひげもじゃの汚い顔のおっさんがいた。捻じられた首が痛い。

汚い顔のおっさんだ、見覚えはない。あんなやつ信長の家臣にいたかな?

馬が出走するとおっさんは応援とも悲鳴ともつかない奇声を上げていた。


「おっおっおっおおおおおお!」

「おっふぉおおおおおおおお!」

「あふぉおおおおぉぉぉぉぉぉぉん!!」


汚い顔のおっさんは天に向かってなんだかアザラシのような吠え声のような悲鳴のような謎の雄叫びを上げ、絞り尽くしたのかうなだれ涙を流している。涙に塗れた全体的に汚いおっさん、酷い絵面だ。人間の尊厳を全体的にかなぐり捨て畜生道にでも堕ちた感じすらする。この姿を見たらこの男と出来るだけ関りを持たないようにするものだが、逆に旧知の仲であったらここまで堕ちてしまった彼を救おうとも考えるかもしれない。小平太は後者であった。

小平太が数人の手下を連れて世界に絶望し涙やら鼻水やら大地に体液を垂れ流すおっさんに向かっていく。


「滝川のオッサン…」


汚い顔のおっさんに話しかける小平太、しかしその呼び名に反応したおっさんは小平太とその後ろの警備兵を見て身構える。


「貴様…!どこの手の者だ!?」


何を勘違いしたのか錯乱したのか突然おっさんは小平太に襲い掛かり大立ち回りが始まった。警備兵が文字通り投げ飛ばされている、え…強…!?

とはいえ多勢に無勢、そしてこちらには鳴海競馬場謹製さすまたがある。暫くの大騒ぎの末に汚いおっさんを捕縛した。

警備の詰め所に汚いおっさんを連行する。おっさんもさっきの大立ち回りの後は抵抗らしい抵抗をする気配もない。


「ぐううううううう…」


おっさんの汚い腹から切ない音が鳴る、飯まで切り詰めて此処に来たのか…天晴と褒めたい所だがやはりどうしようもないロクデナシだな…

そうして詰め所で握り飯を持ってきた小平太がおっさんに話しかける。


「ワシじゃ服部じゃ滝川のオッサン」


このクズの名前は滝川一益。もちろん俺は全く聞き覚えがなかった。


「服部…小平太か……?ワシを笑いにきたか?この身に情けなどかけてくれるな…」


カッコ良さそうな事を言うおっさんだがそうは言っても体は正直だ、目は眼前の握り飯をガン見しロックオンしている。

小平太はお茶まで用意してきて勧めると一心不乱に握り飯を頬張るおっさん。

やがて握り飯はなくなりおっさんからは一筋の涙が零れた。

この時代の男…特に武士は涙など見せないものだ、小平太の優しさに感極まったのだろう…だがさっきまでアザラシの真似をして涙やら鼻水やらを垂らした姿を俺は当然忘れてはいない。


「何があった」


小平太がいつになく優しく滝川のおっさんをいたわる。


「聞くな…全て終わった事よ…こんなワシに慈悲をかけてくれたそなたの心遣いに感謝し冥途の土産としよう…」


「聞けば力になれる事もあるかもしれんじゃろ!信長公の下では本当に世話になったんじゃ、力になれればとおもうちょる!」


小平太は相当このおっさんに世話になっていたようで見捨てられないようだ。俺は口を挟まずにその様子を覗っていたまるで任侠ものの映画の雰囲気だ、グッとくるシーンだろう。

だがこの滝川のおっさんは俺…いや俺達の想像の上を行くクズであった。


「実は……お家の金に手をつけてここに来た」


最 悪 で あ る


「負けを取り返そうと坊主にも金を借りた…」


多 重 債 務 者 で あ る


絶句…俺は小平太と視線が合った。関わるんじゃなかった…小平太の表情も渋いを通り越して苦い顔になっている。

借金は百貫、物価が曖昧な上に比較する物が無いから単純に換算するのは難しいが感覚的には一千万円くらいだろうか?この時代の個人がするには少々額がデカい借金だ。利息まで考えたら三百貫位は覚悟した方が良い、ちなみに俺が競馬を開催する度に義元へ送っている上納金が百貫だ。

これはちょっと救いようがないだろう…


「殿ォ…」


苦渋に満ちた小平太が俺の顔色を窺ってくる。小平太は大抵の事は小平太パンチで解決する。パンチで解決できないおばけには弱い、そしてこういうケースも小平太パンチでの解決は期待出来ない、だからたまらず俺を頼ってきた。そりゃ日頃小平太には世話にもなってるしなんとかしてやりたいとは思うのだが…


「滝川殿、まずその「お家」って滝川殿のお家か?」


自分の家の金ならそこまで悩むこともないだろう最悪この時代「手をつけてはいけない金」ではない…だが滝川「本家」の金だったりすると…悪即斬かなぁ…そんな事を考えているととんでもない爆弾が投下された。


「織田弾正忠家じゃ…」


(そういえばいたね…)(何考えてんだ…)(絶対手を付けちゃいけない所だろ)(あたまおかしいんか…)(懲戒免職どころか首が飛ぶ案件じゃねぇか)(素直に今ここで腹切らせた方が温情なんじゃなかろうか…)(いや斬首が妥当か…)

色々な気持ちが去来したが一つだけ確実な事があった。


馬 鹿 な ん じ ゃ ね ぇ の こ の お っ さ ん

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