永禄七年(一五六四年)

第六十六話 三河一向一揆潰滅

年をまたぎ永禄六年、戦国の世らしく戦の真っ只中という甚だ不景気な年明けだ。不本意ではあるがそのかいあって三河の主だった寺は平定され、残すところは反社の総本山、本證寺だけとなっていた。

俺はこれまで元康にコバンザメの如くくっついているだけで大した武功は上げていない。だがお祐殿から借りた兵は大きな怪我もなく元気だ。中には武功を上げさせろという不満の声も聞こえてくるが無視だ、俺にそんな気は更々ない。百名一人も欠ける事なく無事に返す事だけしか考えない。

そして時間の問題であったであろう戦報が飛び込んできた。

伝令が大声で叫ぶ。


「報告!!」

「本證寺住持空誓自刃致しました!!」


それはこの一向一揆の首魁空誓が死に、城ともいえる異様な堅牢さを誇った本證寺が落ちた事を示し、三河での一向宗との戦の終焉の報であった。


「真か!?」


「はっ!ですが…遺体の損傷激しく首実検は困難かと…現在化粧を施しておりますゆえ暫しお待ちを…」


「良い!首があるならすぐにもて!!」


うわー首実検かー

しかも損傷激しいとかグロいんか…?

出来ればこの場からそっと退席したかったが、むしろこの場に皆集まろうとする流れにさり気なく逆行する事に失敗した。おいコラ押すんじゃねぇ!

それどころか元康に近い特等席にまで押しやられてるじゃねーか!


盆に盛られてやってきたのは口から四方八方に裂けた凄惨な首であった。

壮絶な最期を遂げた生首を前に元康もかなりひいているのが分かる。

どうやったらこんな惨状になるんだよ…


「この者を如何にして空誓と断じた?」


元康がこのグロをどうやって個人特定したのかと訝し気に問うた。当然の疑問だ。そもそも坊さんは髪と髭を綺麗に剃っているから個人の見分けがつきにくいのもある。


「は、自らを本證寺住持空誓と名乗り自刃し口に刀を加え崖から飛び降りたと!」


自刃した上で口に刀を咥え崖から飛び降りた…と。落下し転げ回った衝撃で口に咥えた刀が四方八方に傷を作り抉ってこのザマのようだ。直視するのも憚れる有様であった…が、ふと俺はその目元に見覚えがあった。

そこにはある泣きぼくろ…俺は空誓という坊さんの顔は知らない、もしかしたらそいつにも同様の泣きぼくろがあるのかもしれない…だが俺はその泣きぼくろに確信があった。


「順正…さん…」


その場は一向一揆の首魁である空誓を討ち取り、これにて戦も終わりと空気は戦勝に緩みかけていた。

そんな場に俺の呟きは皆の耳に響いたようだった。その呟きを聞きつけ本多正信が改めて首を検分する。どうやら正信は空誓と面識があったようだ、そしてその結果を元康に伝える。


「…殿…これは空誓の首ではありませぬ」


場は騒然となった。皆に一転して緊張が走る。

首魁の空誓は身代わりを立て、油断を誘い戦力を集め体勢を整えてまた三河に襲い来るかもしれない。なにせ一向宗は三河だけではないのだ、各国の一向宗に援軍を要請し戦勝に緩んだ三河に襲い掛かるつもりかもしれない。

戦は終わっていない、我々を欺き続ける覚悟なのだ。空誓はこの人柱を礎に殺し合いを続ける腹積もりなのだ。


同時に俺は身代わりになった順正さんの事を考えていた。

どうして…本当にここが、こんな所が貴方が死ぬべき場所だったのか?

桶狭間の戦死者の浮かばれぬ魂を弔い祈り続けた貴方は生きてもっと沢山の人を救うべきだったんじゃないのか?

空誓を生かし、人と人を争わせ貧困を拡げと死と悲しみを助長する、そんな悪意に満ちた事が…貴方の本懐なのか?


沸々と、彼を自らの身代わりとした空誓とやらに対して怒りが沸いてきた。


「松平殿!我々の油断を機に空誓は反攻の手を打つはずです!奴等が我らが動かぬと思っている今こそ反抗の準備が整う前に一気に本證寺を攻め落としましょう!!」


元康は今まで昼行灯のようであった俺の変貌に驚いたようだったが元より選択肢は他になかっただろう、即座に決意を固めた。


「皆の者!全軍を岡崎城に撤退させ奴等の思惑の内であると油断を誘う!そして今夜本證寺を焼き討ちする!」

「狙うは空誓の首、皆心してかかれ!」

「「「応!!!」」」


俺は空誓とやらが許せなかった、それが例え順正さんが納得の上の行動であったとしても俺には到底納得出来るものではなかった。


そしてそんな俺を見る元康の目に気付かずにいた。


◇ ◇ ◇


ほどなく冬の短い陽は山向こうへと落ち、本證寺は夜陰に沈んだ。

既に三河の兵は全軍橋を渡り、矢作川をまたいで岡崎城へと戻した。橋の向こうでは一揆勢が松明を持って警戒に当たっているようだが一揆勢にも空誓が死んだとの話が蔓延しているのか、その数は目に見えて減っていた。

だが空誓が生きているのならどのような画策をしているのか分からない、本證寺の中には精鋭を揃えて反攻の機会を窺っているかもしれないのだ。


そして我々は闇夜に紛れその橋から矢作川を一里程川沿いを下り、本證寺にほど近い対岸に千人程の兵を集めた。


「舟橋を作れ」


俺の号令と共に潜ませていた工兵が舟と戸板を組み合わせ舟橋を作っていく。

その数四十五艘、数こそ少ないが冬場で水の量は減り川の幅は短くなっており中州を経由し戸板を限界まで引き延ばす事でギリギリ軍が渡河出来る舟橋を作る事が出来た。

真っ黒な川面の上を武装した千の兵が歩を進める。


突入を前にして不安が募ってくる。

この夜襲の指揮を執るのは大久保忠世おおくぼただよという者だ。正直俺が指揮を執るより全然良い。

俺の不安は勢いで俺だけでなくお祐殿から預かった兵まで連れてきてしまった事だこの闇夜の奇襲で約束を守って皆を無事に那古野に返せるのだろうか…


「殿、今更怖気ずいたんか?」


夜の闇は隣の男の顔すら分からないというのに俺の表情の変化に気が付いたのか秀さんが耳元で話しかけてきた。


「そ、そういうわけではない、ただ心配なのは皆を無事に那古野に返すとの約束を守れるかどうかだ」


多少虚勢もあるが怖気づいたと言われると心外だ。ここまで何事も無く皆無事であったのに最後の最後俺の勇み足で皆を危険に晒すのを不本意に感じたのだ。


「何を言っておる、奴等暴れ足りぬと不満を漏らしておったぞ」


暗くて顔が良く分からないが那古野からついてきたお祐殿の側近である外池であろう男の声が話に入ってきた。


「心配して貰えるのはありがたいですがね、クビの一つも取らずにメシだけ食って帰ったら恰好が付かないってモンですよ」


「そ、そうか…」


この蛮族ムーブ、味方ならば本当に心強い。


「殿、思う存分これを機に武功を上げさせてやれ!」


俺は二人の心強い言葉に気圧され、何の気の迷いか肩の荷が軽くなった気がした。

冷静に考えればリスクしかないって、だが戦場ではこういう勢いが必要なのだろう。


「ああ、戦ってこい!戦って派手に散ってこい!」


俺は二人の肩を押した。


◇ ◇ ◇


本證寺は炎に包まれた。

寺から逃げようとしていた空誓の家族という者を捕らえ複数の信徒に確認した所、間違いないようだ。

そして当の空誓は寺に火を放ち自刃したようだった。

首魁の空誓の死によって三河の一向一揆は治まるだろう。


もう少し早くそうしていれば…無用な血は流れなかったのではないかと慚愧の念に堪えなかったが皆引けない信念があったのだろう。

俺はやるせない気持ちを胸に一路岡崎へ、夜陰の中ひっそりと勝利の凱旋をした。



そしてその翌日、早馬が駈けつけ那古野城に織田信清が進軍してきたとの報が届いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る