第六十五話 三河一向一揆

十一月になり俺は三河の岡崎城に入った。城内は既に物々しく戦報が飛び交っていた。一向宗は既に十月の末には各地で散発的に蜂起しているとの話だ。

俺と順正さんが話をした後暫く…いやあの後三河の寺に帰った直後くらいか。もう交わらないであろう彼との邂逅を胸に戻りたくもない戦場へと俺は足を進めた。


ただどうもきな臭いのはこれは一揆ではなく酒井忠尚さかいただなおという者の謀反なのではないかという話が出ている。

酒井忠尚…俺の小学生程度以下の歴史知識を総動員しても聞いた覚えがねぇ…もしかしたらここで死すべき定めの男なのかもしれないな。


そしてこの戦は先の酒井某に煽られたのか、宗教上の理由やそれに伴う親兄弟からの説得に屈したのかは分からないが、元康の臣下であっても一向宗側に付く者も多く競馬大会で名を馳せた将でも陣で見かける事ができない者が多数いた。


確認できるのは…ああ前に競馬場でねっとりと絡んできた本多正信ほんだまさのぶがおるな…アイツ一向宗側についてればよかったのに…と内心思ったがそういえば話の流れで「信仰より勝てば官軍やぞ」みたいな事を吹き込んだ覚えがある…まぁあんな与太で思い悩む程意志薄弱でははいだろう…というか傲岸不遜甚だしい奴だ。傍目に見て優勢なのは松平元康率いる三河国軍に決まっている。ここにいるのも残念ながら当然だろうな。

俺は内心萎える心を抑えていると当の本多正信と目が合った。向こうもこちらに気付いたようなのでしぶしぶ嫌々ながらもニッコリと営業スマイルで目礼をすると眉間に皺を寄せて目をそらしやがった。おいこらやっぱお前今からでも一向宗側にいけよ!!心中で怒髪天を突く勢いで中指を立てた。

あとは貴賓室で酔い潰した吉良って奴もいる。わりとコイツは何考えてるのかわからん。こないだは酔い潰して陸に打ち上げられたアザラシにしたが身分違いもあって絡みがない。向こうさんとしては三下に一々気を回す道理もないだろうが。


今川大帝国の後に来るであろう徳川幕府の事を考えるとこういった場でこそ人脈を築いておきたかったが、俺にはどいつが偉くなるのか皆目見当がつかない、徳川十六神将だっけ?三十二?六十四??そいつらの名前でも憶えていればなぁ…歴史の勉強をしっかりしておけば良かったと今更ながらに後悔する。


◇ ◇ ◇


当初は散発的であった一向一揆との戦が激しくなってきたのは十一月も中旬に入ってからだ。

俺も「熱田の大神の加護が皆々様にはついておりますぞ!」とか適当に味方を鼓舞をするが、誠に遺憾ながらこの世界では信長が桶狭間の前に祈って盛大に爆発四散したという残念なご差配があった。宮司の俺が言うのもなんだが信じる者は足元を掬われると言うし、あまりかしこまらずに戦ってほしい。かしこみかしこみ。

ただ信心深く仏教を信じている者には「仏に刃を向けている」という罪悪感を強く感じている者も多いらしく、それらをそれなりに和らげらる事が出来ているようだった。というかむしろ信心深い者ほど顕著に大神にすがってくる傾向にあった。

あまり極端から極端へ転ぶと宗教戦争にもなりかねないのでほどほどに…とも思うのだが…まぁ今は非常時だし煽るだけ煽っておいて水を差すのも忍びないので放置する。

兵とその指揮に自信のない俺は戦場で武功を挙げる事を考えずに周りを程よく煽る事とする。


そして戦況は予想通りだった…というか予想以上に一方的だった。

一向宗側は想定通り数が多い、だが数が多いだけで統率が取れていないようだ。素人目で見てもそうなのだから戦闘のプロの元康以下三河国軍からすれば文字通り赤子の手をひねるようなものかもしれない。

一向宗は潰走敗走を繰り返している。

ただ稀にそのような一向宗を巧みに率いる三河の将もいて油断が出来ない。

ただそういう将の元に元康自らが切り込みにいくと将はその場を引く…というか逃げる者が多い。元康にビビってるのかカリスマ的なものなのか、どうも信仰として一向宗の教えに傾倒していても臣下の礼をとった元康に刀を向けるのに躊躇いがあるようにもみえる。

そして一向宗側には松平の内通者もいようなので連戦連勝と景気良く押している。


だがそれを加味しても元康がヤバい。

徳川家康ってこんな奴だったのか?俺の想像上のタヌキの置物然とした家康像とは乖離した猛将っぷりだ。いや、あれは年老いた家康のイメージであって若い頃…まだ二十も少しの若輩といっても過言ではないエネルギッシュな家康…もとい元康がこんな男だとは想像もしていなかった。

先も言ったように必要とあらば戦場の中心に自ら切り込み、号令をし、そしてガチの斬り合いをする。しかも強い。


一向宗側に着いた蜂屋貞次はちやさだつぐという将が味方を突き殺したのを見て元康が颯爽とその戦場に躍り出た。

鬼神もかくやあらむという怒涛の勢いで「蜂屋ァァァァァァ!!逃さぬぞォォォォォォ!!」と叫び…その勢いに気圧されたのか、敵将蜂屋は元康に背を向けて遁走した。

そして兵も大将自らが前に出て戦うのに続かないわけにはいかない。やれ「殿をお守りしろ!」やれ「殿に続け!」と慌てて大将に続き一向宗を押し流していく。そして築かれる勝利の数々、その勢いに兵の士気もすこぶる高い。


…というか大将自ら切り込みにいくのってどうなんだ?三国志では将同士の一騎打ちみたいなものをやっていたりもしたし俺が知らないだけでそれが意外に戦国の戦の常識だったりするのかと少々困惑したが、戦の後の陣内では側近や年上の将からもっと下がれと随分搾られていたようだ。

俺の方が常識人だったようで安心した。

まぁ将来の大神君徳川家康公だ、こんなトコで死ぬこたあるまいと俺は勝手に楽観しているが…信長が死んでいるので何が起こるかはわからんのはある。でもまぁこの調子なら大丈夫なんじゃねぇかね?


やはり俺は一生こいつの靴を舐めて立派な腰巾着になろう、改めて心に決めるに値する戦であった。

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