第六十三話 別れ

「優しく触るんだぞ?」


十月も深くなり秋風も冷たくなってきた。

羽豆崎の屋敷ですっかり妊婦となったしずかのおなかは大きくなっていた。出産は二月の上旬くらいではないかとの医者の見立てだ。

その大きくなったおなかをうしおくんと一緒になでている。


「おとうと?いもうと?」


うしおくんは俺の顔を見て嬉しそうに聞いてくる。弟か妹が出来て母親を独り占めされたと思い、仲違いするなんて話もあったりするが、彼には今のところ杞憂のようだ。


「どっちだろうな?うしおはどっちがいい?」


明確な回答を避けて質問に質問で返す大人はキタナイプレイだ。

この時にうしおくんの目を見て答えに期待する感を出すことでより積極的に彼の答えを引き出そうとする。そうして質問したはずなのに一転して悩むうしおくん。かわいいな。


「あたしは男の子が良い!!」


そこに大人げなく割り込んでくるしずかさん、この娘も流石である。


「弟ができるぞうしお!嬉しいか!?」


一方的な物言いは既に彼女の中で決定事項であるようだ。これが人の母親になるというのだからこの戦国の世が蛮族溢れるメルヘンワールドになるのも納得である。産まれてくる子にも伝播しないかと一抹の不安を感じさせるメンタルである。

それに対してうしおくんは俺としずかの顔を見て困惑したように答える。


「う、うん…ぼうもおとうとがいい」


空気を読んで…賢い子だな…変に賢いとこの時代苦労するんじゃなかろうか。


「おまえもそう思うか!兄弟仲良くしてやってくれよな!!」


そういってうしおくんを力いっぱい抱きしめるしずか、うしおくんは息ができないのか顔がみるみる赤くなっていく。うしおくんも心配だがおなかの子も心配だ…


「それくらいにしてやってくれ」


俺も彼と彼女に寄り添い、家族でそっと抱き合った。

うしおくんの顔は赤いままである、息ができているのか心配であった。


◇ ◇ ◇


納屋で椿油を絞る。

侍女のさやは相変わらず四苦八苦する俺をただ見ている。

先程「ちょっと手伝ってくれないか?」と声をかけたところ「は?嫌ですが?」とにべもなく断られた。いや椿の種を収集してくれていたのはありがたいが、それらを全て油にしろと俺の背後から強い圧をじわじわかけてくる監視者。

俺は目の前の山と積まれた椿の種に辟易としていた。


黙々と作業をしながらふと脳裏に浮かんだのは秀さんがしずかを見てうらやましそうにしていたのを思い出す。

秀さんは結構ガチでねねさんに子が出来ないのを悩んでいるようだった。そういえば俺のおぼろげな歴史の記憶でも豊臣秀吉は子煩悩だったような気がする。

今まではしずかと二人で悩んでいたものが一人おいていかれてしまったような感覚もあるのかもしれない。

だがそれでも村長の妻であり聡明な彼女である、弱みを見せるわけにもいかず気丈に振舞っている様がまた痛々しくも思えた。


「何か彼女にも贈り物の一つでもあげた方が良いか…?」


ふとつぶやく。

とはいっても贈り物をしてご機嫌をとったとしても究極的には子が出来る出来ないの話だ。子宝のお守り…これは当てつけと嫌がらせになるかもしれない…それなら秀さんに精のつく食い物でも送るか?一番は秀さんの休暇なんだろうが羽豆崎の村は多少落ち着いたとはいえ今も彼が有能故に俺自身が彼を頼って方々に引きずりまわしてしまっている。先日千歯扱きを作るよう指示をしたばかりだし、今度の一向宗の蜂起にも年末年始も無しで一緒に引っ張っていくつもりだった。


その独り言に今まで部屋で無言で佇んでいたさやが反応した。


「また外に女でも作られたのですか?」


またってなんだ!?どうしてこの女はそんな言葉にばかり反応するのか。


「ち、違う!!」


俺は即座に否定するも普段無言なのに彼女は俺を責める時に稀に饒舌になる。今はそのターンだったようだ。


「那古野で井伊様の姫君を娶ったと聞き及んでおりますが?」


何処から聞きつけたのか、彼女の謎の情報網は馬鹿に出来ない。

だが偏った情報でしずかに変な事を吹き込まれても困るので俺は出来るだけ丁寧に弁解した。

那古野城の件は断れなかった事、お祐殿には心に決めた人がいて手を出せない、出していない事、織田信清の脅威に晒されていながら城を守るはずの兵は自分を守る気がない事、なんならお祐殿の身を案じて俺に殺意を向けてくる事。

それらを説明するとさやは何処か納得したようだった。


「…殿は良い意味で意気地なしでございますものね」


言葉の最初に「良い意味」とつけておくと良さそうに見える気がするが、それは全然良い意味じゃないだろう…


「それでは何処の女性に贈り物を贈られるご予定で?」


そして最初の話に戻った。さやの視線は変わらず冷たい。

丁度秀さんもいない場だ、隠しても仕方ないので俺は秀さんとねねさんの事に関して相談した。さやは少し悩み答えてくれた。


「放っておかれても良いかと存じます。ねねさまに限って何かを企むとも思いませぬし殿が何かをされるのも筋違いかと存じます」


まぁ俺もあの賢女のねねさんが何かをするとは思ってない、ただのご機嫌取りだ。

それは秀さんに対してなのかねねさんに対してなのか、一応義理の息子と嫁さんだし気を遣っても良いだろう。


「彼女は俺も信頼してる、だが三河での戦が終わり次第秀さんには一月ほど暇を与えよう」


俺が無能故にそんな時間を作るのが難しい事は分かっているが、そう心に決めて行動する、そうしよう。


◇ ◇ ◇


出来上がった椿油を数滴掌に乗せてしっかり伸ばし、しずかの髪に丁寧に馴染ませていく。


先日松平元康から文があった。

一向宗の中に忍ばせた者から十一月の頭には蜂起が起こるとの事だ。俺もそれに合わせて岡崎城へ入る事になった。

桶狭間の戦いから三年と半年、もう二度とクソのような戦場に顔を突っ込むもまいと思っていたが、そういう訳にもいかなくなった。

歴史では元康にとっては取るに足らない戦だったかもしれない、すぱっと勝ち確の戦に出て将来の大神君徳川家康公になる元康に恩と媚びを売っておきたい。


だがその勝ち確の戦で木っ端の俺が生き残れるかは分からない。一向宗の蛮族ぶりは話に聞いている。向けられる本気の殺意、槍に穂先に込められる全霊の突き、頭をかち割らんとする全力の投石。思うだけで脂汗がにじみ、嘔吐感がこみ上げてくる。


そんな俺の内心を察したのか今まで珍しくいつものようなかしましい言葉が無かったしずかが俺に語る。


「すえただ…おまえ弱いんだし…逃げていいから…」

「無事に…生きて帰ってきて」


身も蓋もない評価だが彼女は俺の身を案じてくれていた。

一瞬俺は彼女の髪に椿油を塗る手を止めてしまった。彼女が俺の悩みを理解し、そして心遣いをしてくれるのが嬉しかった。

そして俺は再度優しく長くなった髪を撫で椿油を伸ばしていく。


「ああ……俺が弱い事は重々承知だ。お前は丈夫な子を産んでくれ」


俺は彼女の俺を想う気持ちに心から感謝し、そして産まれてくる子の為にも絶対に生きて帰ってくると、決意を新たにする。


「ああまかせろ!!」


彼女の陽の光のようなまぶしい笑顔を心強く感じた。






俺はこの時の応えを生涯後悔する事になる。

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