第五十八話 北畠杯

「…波が…綺麗ですね」


自分の事ながら驚くほどに語彙の足りない感想が口から出てきた。


鳴海競馬場に北畠具教を呼んでのレース北畠杯、その貴賓室では何故か刀の品評会をやっていた。

品評会といっても俺に刀の善し悪しなどわからない、ただの刀の見せあいっこだ。正直にいうとあまり興味もなかった。

刀とは面倒な重い鉄の塊、片手で鞘から引き抜くにも難儀する代物だ。

しかもこんな面倒な重い物がこの蛮族共の支配する世界ではとても役に立つときたものだ。腰に差しておけばなんと物理的なお守りになる。事実刀を腰に差していると差していないとでは蛮族共からのお声掛けの差は明らかだった。俺個人としては竹光でも良いのではないかと思っている。


だがこの伊勢の国主北畠具教を競馬場で出迎えるにあたって俺の腰には親父殿から預かった「あざ丸」が差さっていた。何度かこの殿様と話の場を設けてはいるが、外で刀を差して出迎えたのは今回が初めてだった。

北畠具教はその俺の腰に差さった「あざ丸」を目敏く見つけたのだ。

そして俺の腰の刀を預ける代わりに北畠具教も自らの刀を見せるといって譲らなかった。人の刀…しかも貴人の刀だ、ハッキリ言って少し間違えれば大変な面倒事になるので俺は最初は拒否の姿勢を見せたのだが、きっと具教は自らの刀の自慢もしたかったのだろう。空気を読んでお互いの刀を見せ合うという事になった。


面倒な重い鉄の塊を鞘から半身だけ刀身を晒す。

目を見開いた。

刀身には驚いた俺の顔がくっきりと写っており、吸い込まれると錯覚した。そして顔が写った奥の銀の刀身はなんともなまめかしい艶があり見事な美しい波紋が浮かんでいた。

少し鞘から出しただけで伝わってくるオーラのような…なんとも人を惹き付ける凄みが伝わってきた。

北畠具教の手前適当に褒めておこうと軽く考えていたが思考が吹き飛んだ、頭の中から言葉が出てこない。

ハッキリいって俺は荒事に近づきたくないし刀と縁遠い生活をしたいと常々望んでいる文化人だ。だがそんな文化人の俺を虜にする魔性の輝きが確かにそこにあった。


「うむ、伊勢の千子村正の作でな、ワシの持つ刀の中でもなかなかの逸品じゃ」


刀身に見惚れ…いや魅了された俺は具教の言葉で我に返る。

俺は口を半開きにした阿呆のような顔をしていただろう、それを見てニッコリとご満悦の様子だ。ご自慢の逸品の評価を言葉ではなく俺の呆けた表情から読み取ったのだろう。

く…くやしい…

しかし村正…村正って言ったか?え、もしかして凄いモンなんじゃないかこれ?国宝級か?


「この刀は鎧胴をつけた武者を容易く斬り伏せた」


なんだか物騒な話が出てきたがまぁ戦国の世だ。そもそも刀は人を殺す為の兵器だ。戦場に出ればそれこそそういう事もあるだろう。

しかし鎧をつけたまま人を?にわかには信じられん…


「試し胴を三つほど試してみたが切れ味が落ちる事もない、それどころかまだまだ斬り足りないと催促しておるようにすら感じる」


大分物騒な言葉が聞こえた気がした、令和の文化人としては些か聞き捨てならない。

今日の北畠杯にも場を和ませる為に澄酒を入れている。このニッコリと頬を赤く上気させたお殿様の勘気をこうむらないようにしないと俺が四つ目の胴になるだろう。

わりと交流も深くなって気が緩んでいた、心の中でバカ殿と毒づく事もあったが気持ちを改めないと長生きできないと確信する。

あぶないあぶない…


「しかし千秋…これお前の刀は…」


眉を顰める具教。その手には親父殿から預かった「あざ丸」が刀身を顕わにし握られていた。

え、なんか変すか?


「…これは妖刀の類ではないか?」


失敬な、このバカ殿め。


「四百年ほど前に藤原景清から奉じられた刀と聞いております」


季忠の知識は偏り過ぎていてアテにならんのだが珍しく役に立ったな…


「まぁ熱田の大宮司殿が差している刀じゃ、奉納された刀の中には曰く付きの物もあろうて」


え、やだなにそれこわい。

熱田神宮には神剣、草薙の剣を始めとして多くの刀やら剣やらが奉納されている。多くは名刀だ、だが信心から奉納するというより厄落とし的な意味で奉納することもあるとは聞く。「あざ丸」もその一振りなのだろうか?

ちなみに草薙の剣は俺もお目にかかった事は無い。


「このような妖刀を今まで腰に差して不幸はなかったのか?」


北畠具教がこちらを気遣うように見てくる。

俺は思わず考え込む。

桶狭間で死にそうな目にあった後、親父殿から「あざ丸」を預かった。面倒事は多いがなんやかんや生きていけている、不幸という事もないだろう。


「いえ、きっと自分はあざ丸と相性が良いのかもしれません」


笑ってそう答えた。

頭の片隅にしずかの幸せそうな笑顔を幻視した。むしろこの「あざ丸」のご利益なのかもしれない。


「そうか」


具教は軽くため息をつく。


「もし手に負えないとあらばワシに預けても良いのだぞ?」


そう言うとチラチラとこちらを見ている。

オイコラ、それが目的か?


「もし呪いがあるというのなら自分の代でこれを鎮めてみせましょう」


そう言うと具教は心底残念そうに、そして名残惜しそうに刀を鞘に戻した。


◇ ◇ ◇


北畠杯は盛り上がった。

当然スタートの合図の空砲は北畠具教が撃った。その合図と同時に馬場に一斉に踊り出す勇壮な騎馬達。

この合図は自分でやってもクセになる。

斯波義銀は口には出さなかったが四国杯でもやれなかったのでとても羨ましそうな目で見ている。

そんなにもの欲しそうに見なくてもそのうちやらせてあげるからね?


「しかし馬をただ走らせ順位を決めるという為だけにこれだけの場を作ったのか?」


北畠具教はこの競馬場の規模に大層驚いたようだった。


「これは馬の修練の一環で今日はその修練のお披露目の場でもございます。また平時には兵が軍として動く為の練兵場としても使えます。決して無駄な場ではございません。自分は膂力もなく武芸に疎い凡人、一騎当千の英雄にはなれませぬ。軍を指揮する将の育成をと考えております」


まぁ口から出まかせだ。我ながらよくもまぁこうスラスラと適当な事が口から出てくるものだと驚く。

確かにこの広さをふんだんに使えば千人規模の軍の訓練をする事も可能だろう。

だが俺は此処を練兵場として使った事はない。なにせ俺の兵は三十名ほど、しかも工兵としての訓練しかしてない。いやホントに口から出まかせが過ぎると自分で驚く。

だがそう力説すると具教は唸った。


「伊勢でも同じようなものが作れぬものか…」


え…まさか俺に競馬場作らせようとか考えてないかこのバカ殿?流石にもう一回コレを作れと言われても嫌だぞ…

そうして熟考した後に具教は苦しそうに言葉を吐いた。


「……伊勢は山がちでワシが差配出来る場でこの規模の物は作れまい…伊勢の辺りは神宮の力が強うてのう…如何とも出来ん…」


ああよかった。俺は具教に気取られぬようにほっと安堵の息を漏らす。


「馬の修練の為にここまでするか…いや天晴じゃ」


なんだかお褒めの言葉まで頂いてしまった。

ごめん、俺は純粋に競馬がやりたくて作らせただけなんだ。物は言いようというやつだ。

さっきまで四つ胴になってはたまらんとブルっていたが、コロッとだまされる北畠具教を見て不覚にもカワイイと思えた。

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