第五十三話 斯波義銀という男

井伊直盛のオッサンと話をして納得しつつも頭痛の種が増えた事に頭を抱えていると清須城の主、尾張守の斯波義銀しばよしかねがやってくるのが見えた。

遠くに見えるは足利二つ引…今川と同じか…?なんなんだ?素人の俺には違いが全くわからん。

しかし刻限ギリギリに来やがって…俺は競馬場の貴賓室の入り口前で頭を下げて待つ。そうして馬上から尊大に声がかかった。


「そなたが千秋季忠か?」


「は!この度は斯波様をお迎え出来、光栄に存じます!」


俺は伝令兵のようにはっきりと答えた…はずだが返答がない。

暫く続く沈黙を流石に訝しんでいると声がかかった。


「吉良は…もう来ておるかの?」


俺の何らかの粗相ではなくよくわからんライバル関係にある吉良義昭の動向を気にしていたようだ。


「随分前に入られていらっしゃいます」


「ふふ…そうか」


もしかして偉い奴は最後に登場するとかそういうパフォーマンスの為だろうか?人を待たせた事が嬉しいようだ。

なんか恐ろしく小物臭しかしないがこの小物様とは那古野城の件や犬山城の織田信清の事、直近では来月に行う伊勢守が競馬を見に来る事など相談したい事が山ほどある。この機を逃せば文を送って数か月単位で待たないといけない。なので今出来るだけコイツの機嫌を損ねるのは避けたい…などと考えていると再び声がかかった。


俺の近くに歩を進め顔を近付けて紡ぐそれは先ほどまでの尊大なのに小物臭を帯びた声色ではなく、周りには聞かれぬよう俺にだけ聞こえるほどの囁くような声だった。


「そなたは…熱田は斯波を見捨てずにいてくれるか?」


それは戦国の世にあって纏まりをみせぬ尾張という国の守護大名の弱音だった。

俺は言葉に詰まる。

この斯波義銀という人物、親は織田筋の傀儡だった上に殺され、信長に身寄りを求め、そして信長亡き今また織田信清という男に尾張の覇権を狙われている身だ。

彼を支える物は幕府から授かった『尾張守』という地位。だが今はそれを武力で踏みにじる下剋上の世なのだ。

この小人物におおよそ心から信頼出来る者などいないだろう、彼は虚勢を張って自らの保身を全力で図っているのだ。

文字通り生きる為に。

瞬きの間に何度も逡巡を繰り返しなんとか言葉を紡ぎ出す。


「…今川様と対等な同盟関係にある斯波様を軽んじる事などできよう筈ありません」


俺は努めて笑顔で、しかし目を見て答えた。だが俺の表情には少し憐れみのような表情が張り付いていたかもしれない。

その言葉を斯波義銀がどのように感じたかは分からない。

だが斯波義銀は声を戻し、俺に居丈高に命令した。


「では案内せい!」


「どうぞ、こちらへ」


時代と権力に振り回される戦国の小人物の姿を目の当たりにして俺は言い知れぬ感情を抱いた。この時代に振り回され続けている俺としては少し思う所もある。

俺はこの時代で一体何をするべきなのか、未だその答えの形どころか影すらもわからない。

そんな事を思いながら斯波義銀を貴賓室に先導した。


◇ ◇ ◇


斯波義銀を案内した貴賓室の出入りの扉を開けた瞬間に微妙な空気が漂っていた。俺に抗議の視線が刺さるのが分かった。

貴賓室の中央には大きな円卓、それを囲んだ面持ちの顔には思った以上に険悪な表情が張り付いていた。

この場の上下関係を俺の責任で表現することを求められていたのだろうが上座下座の無い円卓、それが俺の出した答えであった。

義元の臣下の一宮や久野、鳴海の岡部、那古野の井伊のおっさん、三河の皆の俺への視線が痛い。この場で非難の声を上げる事は無いだろうが目のやり場に困る。

そんな空気の中、実質この場で一番の権力者義元が微妙な空気を破って挨拶する。


「斯波殿もよくぞいらして下さった。先の戦ではお互い行き違いもござったが我らは同盟の仲、此度は両国の友誼を大いに深める為楽しんで下され」


義元が俺に目配せをする。大丈夫、俺は古今東西場の険悪な雰囲気を破砕打開する為の秘密兵器、酒を大量に用意してきた。

メインはこの間購入しておいた澄酒だが、あえてにごり酒と飲み比べて貰う事で量を飲ませるべく用意したのだ。

手に入る酒を量より数と各地から取り寄せておいた。珍しいのでは京都の酒なんてのもある、飲み比べてどちらも飲めば普段の二倍飲む。面倒な奴等を酔い潰す企画だ。

全員を酔い潰して全てを有耶無耶にする!そういう強い意志を持って俺はお酌に奔走した。

特に面倒二人組、即ち斯波義銀と吉良義昭、こいつらを潰す為に執拗に、重点的に酒を勧めた。


鳴海城の岡部元信のオッサンはここぞとばかりにバカスカ酒を飲んでいる。

普段の水で薄めた酒と思って飲むと痛い目を見るぞ…明日の朝には膨らんだフグが水を吐き出すが如き憂き目に合う事だろう。


◇ ◇ ◇


二階の貴賓室から階段を下り一階では競技前に馬のお披露目が行われている。騎手の人柄や気迫、そして馬のコンデションを間近で確認出来る。元康と一緒に町衆競馬の他愛のない予想をした。

一通りの騎手と馬を見て元康が言った。


「漆番の者が来るでしょうな」


「その心は?」


「漆番の馬は体躯も毛並みも良く普段からしっかり世話をされている証左です。また騎乗する者も体が小さく有利に働きましょう…そして漆番の者は何か背負っているものでもあるのか目の色が違う」


なるほど…こういうのが戦働きに役立ったりするのだろうか?


「目の色を変えてとは…借金を背負って負けられないとかでなければよいのですが」


はははと二人して笑った。

そして俺は頭の痛い懸案を一つ解決する為に懐から一通の文を取り出した。

そう、順正さんから預かった手紙だ。


「これは…?」


不思議そうに元康は文を見遣る。


「言いにくいのですが…これは今朝方一向宗の者が松平殿へと残していった文です」


それを聞いて元康は渋い顔になり、空気が重く澱んだものに変質したのが分かった。


「…お預かりしましょう、町衆競馬が終わった後の休憩時に別室にて一緒に内容を検めますかな」


一緒に…?やっぱり俺巻き込まれちゃうんだ…めっちゃいやなんですが…

とはいえ正直この面倒事の元凶にすら近い俺がNOと言える筈もなかった。


『ぷぅおーぷぅおぷぅおーぽ ぱぁーー ぷぽぽぱぁーー ぷぽぽぷぇーーー』


その空気を一気に破砕する間抜けな法螺貝による勇壮な曲。

町衆競馬が始まりを告げる音に俺達は急いで貴賓室へと戻った。

元康は順正さんからの文を懐に仕舞い、思い出したかのように声をかけてきた。


「それはそうと千秋殿、吉良殿に余り酒を勧められますとその…正体をなくされます…」

「どうか手加減などして頂けますと…」


そう言われ貴賓室で吉良義昭の姿を探す。


ほ ん と だ


忠告は頂いたは良いが、とうに手遅れの様相で貴賓室の床には顔を赤くし無様に横たわった吉良義昭が立派な正体不明の生物、オットセイ語のような物を発する何かへと変貌を遂げていた。

酒は弱いが酒は好きという御仁なのか珍しい澄酒と利き酒、つい勧めるままに飲み下した結果がこの様だ。

なんだか申し訳ない、潰す気満々で酒を勧めていたが些かやりすぎてしまったようだ…


アルコールの入った競馬観戦は盛り上がった。

初めて競馬を見る斯波義銀は最初こそ困惑の色を浮かべていたが、周りに感化されたのか自らが購入した馬券と馬を見比べ慌てて大声で檄を飛ばしていた。


「弐番何をやっておる!!早よ走らんか!もっと早く!!」

「磔ぞおおおおお!!」


…酒と賭け事は人の本性を曝け出すな…


馬が走り切り結果が出る。

一着はなんと元康の言った通り漆番、騎手と馬と見ただけでこの結果を予想できたのは正しく慧眼であろう。

流石は神君徳川家康だ。

改めて生涯コイツの靴を舐めてやろうと心に決めた。


そして一着二着、双方を当てた者はいないようで場は落胆との色を伴い、そして談笑へと変わっていった。

そんな雰囲気の中で義元が言葉を発した。


「漆-壱番…であるか」


その場の視線が集まる。

義元はゆっくり、懐から一枚の木札を取り出し円卓の上で響かせた。

円卓に置かれた木札に皆の視線が集まり動揺が広がる。


『漆-壱』


当たりである。

場にいる全ての者が驚きを露わにしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る