第五十二話 那古野から逃げるな!

尾張守の斯波義銀しばよしかねの旗印を確認したら連絡をするようにと部下に頼み、俺は井伊直盛のオッサンに直接話を聞く事にした。

那古野城の城主になれ云々は今川義元と斯波義銀が談合し納得した上での人事なので俺に覆す事は出来ない…が、この井伊直盛オッサンたっての希望というのは聞き捨てならない。

一言二言の文句は許されるだろう。


この那古野城という城、季忠おれの記憶では何度か入った事がある。それは金の鯱のある壮麗な名古屋城とは全くの別物で、堀が二重にあるだけの粗末な砦…というか屋敷。兵をどんなに詰めても二百も入れるかどうかという程度の平城…というか砦…というか屋敷だ。何度も言おう、那古野城アレは城じゃない、屋敷だ。

城のフリをするのやめてもらっていいですか?


この那古野城の西には尾張守の斯波義銀の居城である清須城があり、北には犬山城がある。そこには虎視眈々と尾張の覇権を狙う織田信清という無頼漢が籠っている。

本来は美濃との国境の警備を期待されていたようだが、信長が亡くなった影響からか昨年辺りに信清は尾張に覇を唱えるが如く、その勢力を拡大しようと犬山城から南下、楽田城を攻めて城をその手中に収めた。

そしてこのまま南下する先にはこの那古野城がある。

織田信清が日和って突然犬山城に引きこもりお布団に包まってくれでもしない限りこの那古野城…屋敷は戦に巻き込まれる運命だ。

というわけでこの那古野城というのは今後戦場になる事が予想されている見えている地雷なのだ。


ちなみに屋敷としてみても生家の熱田の方が余程…というか全くの誇張なく万倍立派だ。

ハッキリ言っていらない、こんな地雷の近くに寄りたくもない。

そんなワケで俺にしては珍しく怒りを胸に、井伊直盛のオッサンと話をする事になった。


「頼む!!あんな所で朽ちとうない!!」


井伊直盛のオッサンは俺と二人になった瞬間涙ながらに俺に詰め寄ってきた。しまった先手を取られた。


「桶狭間の戦から三年!領地に残した妻や…孫の顔を見たいんじゃ…!」


このオッサン初手で泣き落としにかかってきやがった。

義元の命令とはいえ桶狭間の戦いからあの城…屋敷にいればまぁ忠義だけでは如何とも出来ない、神経もすり減ろうというものだ。

なんだか可哀想な人だな…と、つい相手の立場に同情してしまいこのオッサンの思惑に囚われてしまっていると理解していても拒否しにくい。

ハズレくじを俺になすりつけたいという気持ちには正直苛立ちを覚えるが、これは今川義元直々の人事だ。何度も言うが拒否は出来ない。

せめて『義元の命令だからきけよオラ』とでも高圧的に言ってくれればもう少し文句も言えただろうが、俺はこのオッサンに同情してしまっていた。


考えてみれば俺も今まで那古野城を盾にして熱田や幡豆崎で好き放題していた所もある。今更ではあるが嫌な顔はすれど断れるものではない。悩んだような沈黙ではあるが出す答えを変えれるワケもなかった。

そして言葉を発したのはほとんど同時だった。


「儂の娘もつける!!」「…わかりました」


…おい、ちょっとまて何言ってんだオッサン、そういうのいらねぇから。


「そうか!貰ってくれるか!」


オッサン…それは城の事だよな?


「いや、俺は…」


「なんだ貴様!ウチの娘がイヤだってのか!?」


何キレてんだこのおっさん…会った事どころか聞いた事もないのに良いも悪いもないだろう。


「少し歳はアレじゃが…なかなかの器量良しぞ!!」


「歳をぼかされると不安しかないんですが…」


井伊直盛のオッサンは俺から目を逸らして先ほどまでの勢いは何処に行ったのか小さく呟いた。


「…お主と同じくらい…確か二十六だった筈じゃ」


二十六なら俺的には全く問題は無いが、この戦国の世では十代で嫁に行くのが普通だ。婚期を逃したという想いもあって父親としては必死なのかもしれない。

大分強く勧めてくるけどそんなに娘を嫁に出したいのだろうか?一体どんな地雷物件なのか、強く勧められると逆に俺はつい身構えてしまう。

そういえばさっき『妻や孫に会いたい』とは言ったけど娘さんの話は出してこなかったなこのオッサン…しかし話は意外な方向に傾いた。


「娘の身辺を守る為、兵は今までと同数を工面しよう」


俺は言葉に詰まり真顔になった。

ようするにこのオッサンの娘さんが居てくれるとなんとオマケに俺と那古野城を兵が守ってくれるというのだ。

正直俺には兵のアテがない、それであの地雷の城だか砦だか屋敷を護るのは無理というものだ。

織田信清が攻めて来る可能性を考えたらどう考えてもその話を頭を地面にこすりつけるほどに有難く飲まざるをえなかった。

兵という力が無いだけで足元を見透かされる、嫌な時代だ。

今までは兵を育成するコストが無いから自由にやってこれた部分もあるが、今後は足元を見られないよう少しずつ力を付けた方が良いかもしれない。


『オッサンは国に帰りたい』『娘を嫁に出したい』『那古野で培った権益を維持したままにする』それでいて『斯波に覚えの良い地元のヤツ』で、『俺に足りない兵を用立てて恩を売る』

なかなかパーフェクトだ、唯一俺が那古野城に入りたくないという気持ちを無視すれば全てが円満解決だ。

この絵を描いたのが一体誰なのか、義元か斯波かはたまたこのオッサンなのか。

唯一の被害者の俺としては腹立たしさを覚えるが、よく考えたらオッサンの娘さんも随分な被害者だ。可哀想にとても運の無い奴だ。


そういうわけで俺は夏頃には井伊直盛のオッサンの代わりに那古野城に入る事を了承した。

いや、お義父さんとでも呼ぶべきなのだろうか?

だが実質城主はこのオッサンの娘さんで、兵は俺の命令どころかお願いすらも聞かないだろう仮初の城主だが。

『おんな城主』俺の脳裏にそんな言葉がよぎった。

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