第五十一話 めんどくさい四国杯

五月最後の八の日、今川杯と予定していた大会は色々な配慮の元『四国杯』となった。

めんどくさい。


尾張守である斯波義銀しばよしかねを迎え『尾張』と『三河』『遠江』『駿河』の四国での共催という形だ。

嗚呼めんどくさい。


この斯波義銀しばよしかねというヤツは織田信長の主君だ。えらい。俺の仕えた信長の主君という事で、本来俺なんぞが関わることのない天上人なのだが、同時に俺の目線からでは影も見たことが無い、いってしまうとどうでもいい人だった。

そしてまた面倒なのが、斯波は今川と同盟関係にあるらしいのだ。

那古野まで今川が進軍したのは尾張守護の斯波の意に従わぬ信長を同盟関係にあった今川が懲らしめた…今回の競馬大会はそういう事にしようという確認らしい。


そして更に頭痛のタネは、三河の松平元康と共にいた事を見たことがある吉良義昭きらよしあきという男。この尾張守の斯波義銀しばよしかねと足利幕府の序列において対等の立場であると堅持しているとの事だ。

形式上今川義元はこの吉良義明の臣下に当たるらしいのだが、三河に小さな所領を持っている程度で、偉いけど力が無いというよくわからん人だ。


問題はこの斯波と吉良は熾烈にマウントの取り合っている、過去どちらが上座に座るかで揉めに揉めたそうだ。

ちなみに今回会場の席次を決めるのは俺だ。

来た順にどさくさに紛れてさっさと貴賓室に入れてしまおう作戦でいく。間違ってもこの二人が同時刻に街道で鉢合わせない事を天に祈るしかなかった。


嗚呼…本当に…めんどくさい。


◇ ◇ ◇


まだ朝も早いというのに既に競馬場周りは祭りのような賑わいだった。恒例となった競馬が目的ではなくそれに合わせて露店を開く者もあり、競馬場の前はまるで市場となっている。その面倒事一切をいつもは小平太が仕切っていた…が、いつもは争いや場の仲裁などに声高に応じているのだが、流石に今日は今川義元が来訪するという事で何処かで顔を隠しているようだ。

そうしたまだ朝の日が眩しい喧騒の中で街道に最初に現わしたのは…


順正和尚だった。


面倒事が歩いてやってくる。俺の顔は引きつり背中に冷汗が伝うのがわかった。松平か、それとも今川に直談判をしにやってきたのであろう。

だが俺はこの競馬大会の進行を任されている身だ、彼らを引き合わせて直談判の場なんて作ったりしたらクビの価値が生々しい世の中、俺の首がいくつあっても足りない。

いや違う、これは不幸中の幸いだ。最初に見つけられて良かったという事にしよう…俺はせめて説得を試みる。


「順正さん…」


「これはこれは千秋殿!此度は松平殿に直談判…」


きたか…悪い人ではなかったと思うが、お前は踏み込んではいけない所に踏み込んでしまった…この人を松平や今川に会わせる訳にはいかない。俺はこの人を何処かの山に埋める覚悟を決めた。


「…といきたいところですが今日は大きな催しがあるとの事、話し合いを求めたところで礼を失してはとても飲める話も飲めますまい」


そう言うと順正さんは予め用意していたのであろう一通の文を懐から取り出した。


「どうかこの文を松平様にお届け頂けますよう」


俺は全身の力が抜けその場に膝をつきそうになった。大きく安堵の息を吐き、頭が自然と下がりそれに伴い冷汗が額から流れ落ちた。

よかった…不幸になる人がいなくて、本当によかった…


「恩に…着ます…必ず…松平殿にお渡し致し…ます」


俺は文を震える両の手でその文を受け取り、脱力してしまった。


「いえいえ千秋殿、お気づきではないかもしれませぬが凄い目をしておられましたからな」


順正さんは苦笑いをして応える。

ああ…俺はそんなにヤバイ目をしていたのか…


「も…申し訳ない…」


俺は恥ずかしさと情けなさから自らの目を手で覆った。

勢いで受け取ってしまったが文に何が書いてあるのかは気になる。だが正直なところ関わりたくない。いやもう十二分に関わってしまっているのだが。

松平元康に渡すと固く約束をし、順正さんは去って行った。


◇ ◇ ◇


最初に来たのは鳴海城の城主、岡部元信おかべもとのぶだ。

相変わらず声のデカいおっさんだ、さっさと貴賓室に押し込めてしまう。貴賓室には小間使いの者だけでまだ誰もいない。


そして貴賓室には上座も下座も無い大きな円卓を用意しておいた。

何処に座ったらいいものか悩んでいるだろう、そんな事を想像し一人ほくそ笑んだ。


次に来たのは那古野城の井伊直盛いいなおもりだった。

恰幅が良く立派な髭を蓄えたおっさんで俺より一回り…いや親父殿と近しい年齢に思える。


「千秋殿はいらっしゃるか?」


突然の呼びかけに俺は困惑し、頭の中で疑問符を浮かべながらも愛想良く応対する。


「自分が千秋季忠でございます」


失礼の無いようしっかりと頭を下げる。

大丈夫、このおっさんにはまだ何も後ろめたい事とかはしでかしていないハズだ。

それに対して井伊直盛は「ほう」と言葉を漏らし何か値踏みするようにした後、俺なんぞに頭を下げて貴賓室へ入って行った。

なんだ?会った事無いハズだが変なおっさんだな?


そしてそれからほどなくして三河方面から大勢で向かってくる旗印が見えた。

足利二つ引両の旗、今川義元の御輿とそれに付き従う松平元康、そして吉良義昭だ。

この時点でまだ尾張守の斯波義銀の影は見えない、さっさと貴賓室に押し込んでしまえ!!


「治部大輔様におかれましてはご機嫌麗しく、本日良き日に御足労頂き誠に有難うございます」


そんな定型文の挨拶をして早く貴賓室に押し込んでしまいたい一心の俺に義元から声を掛けられた。


「ああ千秋の、お主、那古野の城主となれ」


「…は?」


義元の突然の発言に俺は固まるしかなかった。


◇ ◇ ◇


今川義元お付きの将、先日松平杯で同席した久野元宗くのうもとむねさんが詳しく話をしてくれた。


「今日の『四国杯』は今川と斯波はお互いのすれ違いで争ったような形になりましたが、それは全て織田上総介殿が先走った結果でお互い遺恨は無いという友好を確認する場となります」


…なんかただの競馬大会のハズなのに話が大きくなってるな。


「那古野城の件ですが、今川傘下の井伊殿から熱田の千秋殿に那古野城が渡る事で友好の証とします」

「これは現城主、井伊直盛殿たっての希望もあっての事です」


ようするに今川が占拠していた那古野城を尾張へ返還するという事か。

とはいえ千秋ウチは今川に恭順すると明言してしまっている。実際の所余り変わらないのだが、尾張守斯波義銀しばよしかね千秋季忠おれが熱田神宮の大宮司という事を知っており話が綺麗にまとまったようだ。

俺抜きで。

そう、俺の意見や希望は一切考慮されていない、不満しかないが聞かないワケにもいかない。正直相談の一通くらい欲しい所だ。


「そしてこれは…」


久野さんは少し言葉を濁す。


「千秋殿が上総介殿の子、奇妙丸の親であるという事」


その言葉に俺の顔が強張ったのがわかった、ついうっかりちょっぴりもらした。


「実は尾張守の斯波殿から見た織田上総介殿は殊の外良い家臣であり、那古野城は上総介殿が拠点の一つとしていた城であり、その遺児である奇妙丸殿に継いで欲しいとの事です」

「斯波殿は千秋殿が上総介殿を祀る神社を建立したとの話までも掴んでおり、大層感心なされておられるとか」


人の口に戸は立てられぬとは言うが俺の個人情報駄々洩れだな…

だが神社の件だけでなく隠していたと思っていた奇妙丸の事まで斯波、そして義元も掴んでいたのか…その事に気が付き俺は冷汗が背筋を伝うのを止められなかった。

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