第五十話 馬鹿丸出しが二人

伊勢の国主、北畠具教に澄酒と土下座と命乞いと思しき文を送ってすぐ伊勢神宮で会うとの返事が来た。

その返事にほっと安堵の溜息を漏らす。

流石に神宮で首を刎ねられる事はないだろう…と。

正直北畠具教のあの座った目は苦手だ、絶対人を殺している奴の目だ。

この戦国の世で施政者となれば多かれ少なかれ人は殺しているだろう、だがアレはヤバい方の目だ。

俺にはわかる。

出来ればあまり関わり合いになりたくないのだが、面倒でもスジを通しておかないともっと面倒な事になるのは自明の理だ。


◇ ◇ ◇


北畠具教との謁見の為、伊勢神宮に到着する。時刻は午前、謁見の時間は午後だ。一通り外宮の参拝を済まし権禰宜の久志本常興さんの元へ向かう。俺は今年の九月に行われる式年遷宮の話をこの常興さんとする為に早めに神宮にやってきたのだ。


神宮では工事がとっくに始まっていた。

本来は柱を切り出し用意する所から一々面倒な儀式を行い、五年くらいかけて進めるものだが、準備期間二年では突貫作業と言っても差し支えないだろう。

そんな中、遷宮まで半年を切ったこのクソ忙しい所にお邪魔してしまったのだが、常興さんは嫌な顔一つせずに迎えてくれた。通された広間で挨拶をする。


「式年遷宮の復活、おめでとうございます」


俺は常興さんに深々と頭を下げる。

式年遷宮は二〇年毎に本宮と外宮とで社を造り変える神宮の重要な神事だ。

だが前に行ったのは一二〇年前、常興さんが生まれてからは一度としてやった事は無い…どころか親の代、祖父の代…下手をすれば曾祖父ですらやった事がないであろう途絶えて久しい神事だ。

この式年遷宮を復活させるという神宮の大悲願を自らの代で成せた事に常興さんは感無量のようだ。


「式年遷宮を途絶えさせず、続ける事が出来て本当に僥倖です…これも数多の信心と助力のお陰、勿論千秋様にもお力添え感謝致しております」


常興さんは目からほろりと苦労の滲んだ涙を落とす。

途絶えさせず…?その言葉を俺は心の中で反芻し疑問を噛み締める。

神宮の歴史で遷宮が数年遅れる事はあったようだが、さすがに一二〇年は途絶えたといっても過言ではないんじゃねぇの…?そう俺は心の中で神の宮で不敬だとは思いながらも全力でツッコミを入れていた。


今日は北畠と話をする為に神宮に来たのだがそれでも忙しいであろう常興さんを捕まえて無粋なツッコミをする為に留めたのではない。


「この度熱田から寄進させて頂きます『元祖澄酒伊勢中山屋』の澄酒です」


「これは良い酒を造る事で有名でした中山屋さんのお酒ですか、最近は話を聞きませんでしたが…」


やはり中山屋の名前は伊勢では有名だったようだ。だが最近話を聞かなかったというのはやはり潰れかかっていたからだろう。

だが今日はそんな中山屋の澄酒の最新バージョンを持ってきた。寄進する前に責任者の常興さんにも味見をして貰いたかったのだ。

大仰ではあるが神宮に徳利をむき身で持って入るのも憚られたので風呂敷に包まれた箱の中に納めておいた徳利を出す。箱から出すと中に封じられていた日本酒の鮮烈な香りが辺りに漂う。

その鼻孔を突く芳醇な香りに思わず常興さんの眉が上がるのを確認する。

常興さんに盃を持ってもらい、徳利の口からその香りの元となったであろう液体が流れ出す。それはこの時代の常識であった白い酒ではなく透明な薄い琥珀色の酒が盃に注がれる。


「これは…」


その声色は喜色に満ちていた。


「なんと透き通った…まるで黄金色の酒…」


…あれ?神宮には一度贈っているハズだけど初見みたいな反応だな?

まぁ伊勢神宮は大組織だから誰かお偉いさんに飲まれてしまったのかもしれない。

俺は一人で疑問に思ったが黄金色の酒に魅入っていた常興さんの言葉で思考が戻る。


「これは…頂いてもよろしいので…?」


常興さんはうやうやしくその澄酒の入った盃を持ち構えている、ごくりと唾を飲み込むのがわかった。言葉こそ俺にかけたがその興味は澄酒に注がれ続けているのが分かる。

俺はそれに目礼をして酒を勧めた。

永吉さんが丹精込めて作った澄酒だ。目の前で伊勢神宮の権禰宜である常興さんの最初の評価を見れるのは僥倖、この反応を永吉さんに土産話にしてやろうと思った。


「勿論です、どうぞ味見を」


最初は口をつけるだけ舐めるだけのようだったが、ぐぐっと一気に酒をあおった。

ぶるりと震えそして静かに、大きく息を吐いた。その顔には光悦の表情が見て取れる。


「このような…このような天上の酒が、葦原の中つ国に存在しましたとは…」


なんかよくわからん例えだが、なんとなく気に入ってくれたようだ。目元に涙が浮かんでいる。

最初はちびりちびりとだった飲み方が徐々にぱかぱかと盃を空けていく。結構いける方なのか常興さん?とはいえ顔は真っ赤になっている。いけるいけないはおいて酒は好きなのだろう。

途中から俺にも酒を勧めてきてもう酒盛りの様相だ。つまみが欲しい。

思ったよりアルコール度数が高く、ついつい飲み過ぎてしまっていた。俺たちは二人して顔を真っ赤にしていた。


そんな折、見習いから北畠具教が来たとの旨が届く。

その報を聞いて俺と常興さんは顔を見合わせる。二人して血の気が引いた。そう今日は北畠具教が此処に来るのだ。俺も常興さんもその為に此処にいるのだ!酒盛りをしている場合ではない!

常興さんは俺を連れて千鳥足になりながらも白粉を用意し顔色を隠す為に化粧をした。

顔を白粉で塗って真っ白にし、気は張っているもののどことなく体幹が安定しない…バタバタと動いたのがまた一層アルコールが回るのを助長させてしまったようにも思う。


◇ ◇ ◇


北畠具教が広間へ入ってくる。


側に控える白粉の男、常興さん、そして真っ白な顔を伏せた俺。広間とはいえ強く酒の香りを漂わせる男が二人。

もう馬鹿丸出しである。

貴人を前に酒盛りに熱が入ってこの体たらく、もしかしたら神宮初の刃傷沙汰もやむを得ないか…と俺は密かに覚悟のようなものを決める。


「お主…お主ら……飲んでおったろう…」


伊勢国主北畠具教の言葉に誤魔化しようのない馬鹿二人。

頭を下げている俺はある意味気が楽だ。今までの人生でこのような失態を犯した事はないであろう常興さんの表情は伏せている俺からでは分からない…が容易に想像は出来る。

対して北畠具教も過去人生において自らとの対談前に酒盛りをしていたなどという前代未聞の事態にその胸中、一体どのような感情が渦巻いているのであろうか。

沈黙が辺りを支配する。そう長い時間ではなかったが俺も常興さんも言葉を発する事は出来ない。その沈黙と静寂の中、俺は表情の読めない北畠具教の貌に闇が纏っていると幻視し始めた頃、声が響いた。


「儂の分は…あるか…?」


「…は?」


思わず面を少し上げて阿呆のように聞き返してしまった。


「無い…と申すか……?」


じり…と北畠具教の座った目が闇色を纏う。

その目をやめろや!

勿論今日は常興さんへの味見用だけでなく、北畠への進物用の澄酒を用意してある。

本来は対談後のお土産、そして対談内容が不穏になった時の為に場を誤魔化す用に持ってきた物だ。


「いえ、いえいえいえございます!ございますので!!」


そう、まさしくこういう時の為の物だ、大丈夫落ち着け俺!

慌てて俺は立ち上がり控室にある澄酒の入った箱を取ってこようとするが、焦りからか、思ったよりアルコールが回っていたのか俺は途中で足をもつれさせすっころんだ。


「ぷふっ!」


背後で少し吹き出した具教の笑い声が聞こえた。その声色に怒りや不機嫌さが滲んでいないのを理解し少し肩の荷が軽くなった。


控室で進物の箱を漁っていると伊勢神宮の見習いが俺についているのを自覚した。

ああ、こういう時は俺が取ってくるんじゃなく、この見習いに任せれば良かったか…色々と回っていない頭で北畠具教の為の澄酒の箱を見つけ、それを千鳥足の俺ではなく見習いに持たせ二人の待つ部屋へと戻った。


◇ ◇ ◇


何故か酒盛りが再開された。

もうこうなったら具教を酔い潰す勢いで酒を勧める。

そして酒の席にした上で謁見でするつもりだった話を聞くとつまるところ澄酒の話、旨いやら融通してくれた事への感謝やら中山屋への文句やら斬れない事への鬱憤やら、ようは酒の話だ。

素面ではなく酒の席で話すと丁度良い感情的な内容だった。

しかしいつもならセーブをして話を聞く事に徹するのだが、俺は既に出来上がってしまってべろべろだ。

常興さんもいつもより声がデカい気がする、あれももうダメだろう。

そうして澄酒に舌鼓を打ちながら具教は酒の席ならではの話の飛ばし方をする。


「それにしても千秋の、なんとも面白そうな事をやっているようだの」


「はへ?」


「やっとるんじゃろ…鳴海で…」


鳴海…鳴海って事は競馬の事か?伊勢にいてそんな話まで耳に入っていたのか。


「そんな面白そうな事を…」


具教は目頭を押さえて震えている。酒に酔った上でこういう謎のリアクションをされると下手に刺激すると刀でも抜きかねないので正直対応に困る。


「呼べよ!」


具教は叫んだ。


「儂も呼べよ!!」


呼んで欲しいんか…正直こう言われて拒否したら刃傷沙汰は確実だ。拒否するという選択は無い。だからいつ呼べるかを回らない頭で思案する。

五月は今川義元と尾張守の斯波が来る。流石に一緒の席は不味い。

なら六月でいいか…酒で普段よりも更に回らぬ頭でそんな返事を返した。

具教は酒の席とはいえ機嫌良さそうにニッコリ顔である。普段の厳かな表情は無く威厳もへったくりもない、酔った眼に映る具教はなんかバカ殿のようにすら見えてきた。


そんなわけで急遽六月に北畠杯の開催が決まった。

尾張守の斯波義銀に許可を得ないで勝手に尾張に伊勢の国主を迎えていいのか…?と脳裏に思い浮かんだが、そんな事は些事と酒に溺れ泡と消えた。

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