第四十九話 職人気質と武士のメンツ
伊勢の北畠から変な文が届いた。
『拝啓元気か?中山屋の澄酒を買いたいぞ?そこはかとなく中指』
要約するとそんな少し物騒な内容だった。
買いたいもなにも伊勢のお店なんだし直接取り引きすればいいのになんで俺なんかにお伺いの立てるみたいな事をしてんだ?
疑問に思いながらも今川杯に向けてお偉いさんに出す澄酒が欲しかったので中山屋さんに赴くことにした。
◇ ◇ ◇
「先ぶれを出して頂けましたらお迎えに上がりましたものを」
いや、そんなえらくないから。
店主の中山永吉さんは相変わらずの人の好さそうな笑顔に低姿勢で突然やってきた俺を歓迎してくれた。
酒蔵に入ると独特の芳醇な香りが零れている。
酒樽は前回来た時より多くなっており、研究費を出しただけあってしっかりやっているようだ。
その数多の樽の中から一つ、柄杓で澄酒を掬い白い陶器へと移すと酒にはもう全く色がないように見える。
「おお…完璧じゃないか…」
「九割…といったところです…陶器や木の升では分かりにくいですが水と並べ比べると透明度が落ちているのが分かってしまいます」
永吉さんが悔しそうに言う、今年は神宮の遷宮が百年ぶりに行われる。
そこに一応
職人としてそういった努力に対し結果が伴わなかった事に残念な気持ちになるのは理解はするが…
「酢にするなよ…?」
「…お約束した事は違えませぬ」
じり…と永吉さんの笑顔から妙な緊張感が生まれる。それは自らの職人意識を否定された事から湧く負の感情だろうか?
永吉さんは一見人の好さそうな笑顔で低姿勢だけど、話し込むと変な人なのがバレるタイプだ。
だがその変な人から醸し出される極上の酒、その拘りが濃縮された美味さだった。
張りのある辛さとその奥にあるほのかな甘味、永吉さんの研究成果の検分に存分に舌鼓を打った後、此処にくる事になった大本の原因である北畠からの文の話をする。
「そういえば伊勢守の北畠からよくわからん文が届いたんだが」
「あー…」
中山さんは心当たりがあるのか、きまりの悪い顔をする。
側の番頭さんの顔を見ると明らかに顔色を悪くして中山さんを睨んでいる。
「その…北畠の使いという者から城に酒を納入しろというお話がありまして…」
良い話じゃないか?
多分澄酒は俺が中山屋さんから買い取った物をお偉いさんに流しただけだ。その中には勿論北畠具教も含まれている。早速伊勢の国主の目に叶ったようなら目出度い事じゃないか。
「ですがどうにもお武家様が頭ごなしに納入を強要するような雰囲気に…その…」
「売り言葉に買い言葉といいますか…その…」
なにやら雲行きが妖しくなり、話し辛いのか側についていた番頭さんが話を変わってくれた。
「先月の末の頃、北畠様の使いの方が当店にお見えになり、酒をご所望になされました、曰く『今後はウチに直接納品するように』との事でした」
正月の祝いに俺が北畠具教に送った酒の出所を調べて直接取引する為に来たのか。
ちょっと家臣の立場的に高圧的ではあるが、まぁ国主の北畠家は名家だし直接納品出来るのは名誉な事ですらあるよな。
「ですがウチの主人、永吉としましてはまだ完成してもいない澄酒を余所様、特に国主様にお出しするのが憚られまして」
そう主人を少しばかりフォローと前置きをして語ってくれた。
『生憎で御座いますが、全量幡豆崎に納入予定で御座います。お引き取り頂きたく存じます』
『この
『虎の威を借りる三下が!ウチのモンに手出ししたら二度とおめぇんトコのご主人様の望むモンは手に入らねぇぞ!』
『貴様!伊勢の国主様に対してなんたる無礼!』
『うるせぇ!欲しかったら幡豆崎の千秋様に文でも送れ!』
『塩まいとけ塩!!』
なにやってんの…
なにやってんの………………
何故俺の名を………
この人根本的に商売向いてないんじゃないか…?
とはいえ多分最高の酒を作る男になった中山永吉さんを北畠具教は斬れなかったのだ、そして俺へ文が届いた…と。
少し気が遠くなった、永吉さんは流石に反省しているのか気まずそうな顔をしてこちらをチラチラと見ている。
俺は恨みがましくも少し魂の抜けた焦点の合わない目を永吉さんに向ける。
くっそ…俺抜きで勝手に盛り上がりやがって……
そんな放心した俺に永吉さんが語る。
「生活は苦しく、店を畳み一家離散の憂き目にあった中で我儘を聞いてくださった恩を忘れてはおりませぬ」
永吉さんは俺に向かって頭を下げる。
俺は確かに前回全量を幡豆崎で買うと言ったが、あの時はとりあえずある物を酢にする前に全部回収し、そしてその対価として次の酒を作って貰う為に多めに金銭を握らせる目的だった。だが永吉さんの中ではそれは今後も全量ウチに卸す事が決定していたらしい。
窮状を周りに話せずに破産なんてわりとある話だ。というか前回の来訪時が本当にその分水嶺だったのだろう。
…それに元をたどれば酒に灰を撒いて永吉さんの研究意欲を焚き付け、生活を苦しくした元凶は俺だ。
「わかった、俺も言葉は違えぬ、全量買い上げよう。そして半分を羽豆崎に送らせろ、残りは原価でこの店に卸す」
前回は少なかったから全量でもあっさり飲みきったが今のこの蔵の量の酒が来ても困る。
ウチに酒があっても貢物外交くらいにしか使えない。そもそも販路が無い。
「それはどういう事で?」
「まだ未完成という気持ちは理解しないでもないが、北畠の件もある。今回は俺が北畠具教に頭を下げて話をつけて来るが、今後は
北畠に請われて判断を俺にブン投げるなと釘を刺す。
永吉さんは職人として納得いかない所もあったようだが北畠に俺が頭を下げるという言葉を聞いて飲み込んでくれたようだ。
「そして『元祖澄酒伊勢中山屋』名義で売れ」
これだけ質の良い酒だ、ブランドを確立させて売ればいくらでも売れるようになるだろう。
◇ ◇ ◇
なんとなく丸く収まった風に見えるが、俺は頭、そしておなかが痛くなっていた。
これから北畠になんと言って酒を贈ったら良いだろうか…面会を求め土下座して穏便に済ませられると良いのだが…
俺は中山屋さんの厠で頭を悩ませた。
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