第四十八話 初夜

「うしおーおとうちゃんだぞー」


羽豆崎の屋敷で俺を出迎えてくれたしずかと抱えられたうしおに挨拶する

しずかはうしおをあやしながら挨拶をうながす

俺はうしおの視界に出来るだけ大きく入るよう雄大にポーズを取り、自己アピールをする。


「おとう!ちゃん!」


おう、おとうちゃんだ、最近はうしおに日本語が通じて何よりだ。

そんなうしおに先手必勝の不意打ちをかます。

くらえ!徳川家康をも抱腹絶倒させた渾身の顔芸季忠新作スペシャルパート二だ!


「きゃっきゃっきゃ!」

「ブフォゥーー」


うしおが笑い喜ぶ、そして俺とうしおの様子を微笑ましく見ていたしずかが盛大に吹き出した。

勝ったな。俺は勝利を確信する。

一通りうしおを撫で繰り回し、元気だなこいつ…いっちょ揉んでやるかと全力で撫で繰り回す。

…体力あるなこいつ


…そして悟る。俺ではしずかに育てられたモンスターをあやしきれない。既に体力お化けとなったうしおの小さな手でへとへとになった俺は馬乗りになられ頬を引っ張られ、もみくちゃにされる。

このままではいつまで経ってもしずかと語る事が出来ない。うしおを鎮める事は諦めしずかに話しかける。


「しずか、後で大切な話があるがよいか?」


その言葉に反応し、しずかが僅かに顔を曇らせた気がしたが威勢良く言葉を返してくる。


「お、おう、なんでも聞いてやるぞ!」


なんとも心強そうな返答が返ってきた、姉御か?


「あー…今ではなく…できれば今夜寝所で二人だけで話せるか?」


俺の顔にまとわりつくうしおの指が俺の鼻やら耳の穴やらに食い込み顔の部位を変形させる。あーやめてーユルシテ―。本当にこんな状態ではまともに話す事はできない。

そんな俺の様子を見て彼女はニッコリと微笑み応えた。


「わかった、うしおを預けてくるから先に寝所で待っててくれ」


彼女はうしおを手早く俺の顔から引きはがし、さやを呼んで部屋を出る。

部屋に残った俺は顔が変形していないかさすり確認する。

そうしながらも心の中で一本背負いを受ける覚悟を決め、彼女の機嫌を損ねないようにどうやって謝り倒したら良いか神妙な顔で思案した。


◇ ◇ ◇


寝所に寝間着のしずかが入ってくる。

暗がりで細かい表情までは分からないが、少し緊張しているように感じた。

先の時間でさやから何か聞いたのかもしれない。だが仮に全て聞いていたとしても俺から直接彼女へ謝罪をしなければならない。全てを有耶無耶にして逃げてしまいたい欲が心に染み出る。だがここで自らの嘘を認め謝れないと最低限の人間性を自らに示せない。それではいつまでたっても大切な事から目を逸らし逃げてしまう気がする。

そう、うんこをもらしながら。


俺の前にしずかが正座する。

それは昔のような荒々しい座り方ではなくいつの間にか女性らしいしおらしい座り方だった。

少しの間沈黙が流れる、声に出すのが恐ろしいが意を決して言葉を紡ぐ。


「すまない!」


俺は深々と額を畳にこすりつける。


「ど、どうしたすえただ…」


「…俺は嘘をついていた」


「…嘘?」


その反応は意外そうなものだった。どうやら先の時間でさやからは何も聞かされていないようだ。


「一緒に寝ていれば子供を授かると言ったが…あれは嘘だ」


「え?」


呆気にとられたような表情を浮かべるしずか。

彼女は俺と『一緒に寝ている』と周りに言っていただけで、行為の話をしてこなかったのだろう。

一番身近にいたであろう侍女のさやでさえも知らなかった程だ。周りも九鬼の姫である彼女に対して下世話な話をしなかったのかもしれない。


「赤子は男女の契りを交わさないと授かる事は出来ない…俺はしずかとまだそれを行っていない」


「どう…して」


その言葉を聞いてしずかは混乱しているようだ。彼女からしたら契りを結ぶ事を拒絶する愛の無い裏切者だと感じたろうか。


「知っての通りお産は命懸けだ…年若く体が未熟だと死ぬ事もある」

「俺はしずか…お前を失いたくない」

「お前の気持ちや九鬼との縁を蔑ろにしても…俺はお前に一緒にいて欲しかった」


俺は相変わらずの土下座をして言葉を紡ぐ。


「そんな事は全て俺の杞憂かもしれない、だが石女と噂され、お前が傷ついていると聞かされ俺の浅慮に気が付いた」

「子を産むのはいつだって命懸けだ…だがもっと先でも良いのではと、俺はお前の気持ちも考えずに先伸ばしにしてしまっていた」

「本当に今まで騙していてすまない」


俺は包み隠さずに吐き出した。

こういう時の過去のパターンは一本背負いは確実、その後の関節技も視野に入れて覚悟を決めた方が良い。

だから地面に亀のようになり一本背負い対策、寝技に持ち込まれてもそう簡単に落とされないように、そして上から頭を足で踏まれても横薙ぎに蹴られても脳が揺さぶられないよう、がっちり畳に頭を固定している。

だがいつまでたっても衝撃は訪れなかった。高度なフェイントかと訝しみながらおそるおそる頭を上げると、しずかは驚きを顔に表し両の眼からぽろぽろと大粒の涙を零し固まっていた。

俺と視線が合うと彼女は溢れる涙でいっぱいになった目を細め笑顔になった。

細めた目から大量の涙が零れるが、しゃくりあげながらも彼女は言葉を綴った。


「いつまでも…あたしにややこができないから…離縁されるかと…思った」


彼女は千秋と九鬼の縁を繋ぐ架け橋として、その役目の重大さを俺よりも強く自覚した上で俺を好いてくれている。その強い覚悟と愛を今更ながらに感じ、そんないらぬ心配を彼女に強いてきた俺の今までの嘘と誤魔化しを恥じ入る。

しずかは涙を溢れさせそれだけに留まらず、鼻水までも垂らし酷い顔になっていた。

しゃくりあげる声と鼻水を啜る音で酷い事になっている。だがその表情は安堵に満ちていた。


俺はしずかを強く抱き寄せる。


「すえただ…?」


突然の俺の抱擁に驚いた彼女だが、応えるように腕を俺の首に回す。彼女を抱き寄せて初めて気が付く。

細い腕だが俺より強靭な二の腕。同世代の娘より一回り小柄な体躯、薄い胸、細い腰、だが俺を投げ飛ばす尋常でない脚力を持つ華奢な脚。それでもあの伊勢の海で命がけで介抱した時よりも彼女はずっと大人になっていた。


潤んだ彼女の瞳を見つめる。まだ涙を湛え、何かの拍子で涙が零れそうだ。

そんな彼女に…躊躇いながらも口づけをする。

彼女に嫌がる様子は微塵もない。安堵し、はにかむような笑顔を浮かべた彼女の頬が紅潮しているのが夜闇の中でも解った。

幾度となく彼女を騙してきた俺だが、絶対にもう彼女の気持ちを裏切らない。


そうしてこの日、俺としずかはようやく正しく体を重ねた。



結果から言うと一撃必中だった。

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