第四十三話 強者松平
松平杯午後の部、待ちに待った武者競馬の時間だ。
二月に一度の頻度で元康は鳴海競馬に家臣を出してくれている。
この武者競馬は午前にやったお祭り騒ぎのような町衆競馬と違い、その勇壮な走りぶりから既に名物になりつつある。
だが元康の家臣の出で立ちを見て岡部のオッサンは驚きと嘲りの表情を浮かべていた。
「武者競馬というのに鎧はつけぬのか!?」
騎手は皆風に影響を受けないようしっかりと服の裾を纏めた旅人のような出で立ちだ。確かに武者というにはいささか勇壮さには欠ける、それに対し元康は落ち着いて答える。
「つけませぬ、これは馬の力量を最大限引き出す競技とみました。下手な小細工はせず馬を疲れさせぬように上手く扱う者が勝者となります」
「鎧や兜、旗などもっての他、背中に背負う家紋だけで十分に御座います」
元康の言った通り出場者の背中には大きく家紋が描かれ、それぞれの家を背負っていた。
流石元康、既に競馬の何たるかをわかっておる…俺が言ってもこのオッサン聞かないからな…
だが元康に対しても岡部のオッサンは不満を隠さず、それどころか元康に対しこばかにするような言葉を吐いた。
「このようなな出で立ちでよくぞ武者などと名乗れたものよ!」
えー酒に酔ってるからといってそういうこと言っちゃう?大丈夫か?戦争なんじゃあねぇの?正直俺は内心結構焦っていた。
だが元康はその言葉に何の反応も示さず沈黙で通した。
この自信に満ち落ち着いた雰囲気…まだ二十歳そこそこだというのに舌戦などでなく競技を実際に見せる事でわからせるそんな強い意志を感じる。
ヤダ…流石将来の徳川家康…靴舐めたい…
武者競馬でのスタートの銃声は久野さんに頼んだが、久野さんは出来るだけ正確に馬のデータを取りたいと辞退された。
代わりに目を輝かせていた岡部のオッサンに頼む。
「まぁ仕方なぃのう!」
うっざ…何が仕方ないのか微塵もわからん…
顔がにやけるのを隠し切れないウッキウキの岡部のオッサンが赤ら顔でスタートの銃を引く、発砲音が響き各馬一斉に大地を蹴り土埃を上げトラックに躍り出る。
岡部のオッサンは馬の出走を見て驚きの表情をする。
それは勇壮で、力強く、早すぎた。
武者競馬は雄馬とはいえ先程行われた町衆競馬とは隔絶された実力のレースだ。何度か俺も武者競馬を見ているが回を増す度にその経験から早く、強くなっている。
人馬一体となって走るその姿は走る芸術だ、出来て間もない鳴海競馬場の目玉になるだけはある。
この強者の圧倒的な走りを背景に元康が精悍な声で話をする。
「某も治部大輔様より一枠の出場を許されておりますれば、此度はその選定も兼ねております。」
「…ぐ、ぬぬぬぬぬぬ…」
岡部のオッサンは唸っている。
勇壮で力強いただ走る事以外は考えない走りを見て、槍だの弓だのを持って走るものでないとは理解出来たようだ。
正直
「おっおっおっおっおっ…」
そんな喧騒の中、久野さんが妙な声を上げている、目は先頭集団に釘付けのようだ。
「おっほーーーっ!」
ゴールと同時に変な奇声を上げた。思わず口を押さえ馬札を見ながら目を輝かせている。
あれ?もしかして当たったか?
周りは喧騒に包まれており久野さんの奇声を訝しむ人は少ない、そして俺と目が合い近寄ってきた。
「せ千秋殿!こ、これは当たったのですか!?」
押し殺した声で俺に馬札をこっそりと隠しながら見せてくる。出された馬札には『陸ー参』当たっている。倍率は二.六倍。
俺も久野さんの隠したいという心の声を読み取り小声で耳打ちをする。
「おめでとう御座います、間違いなく当たっております」
目を瞑って小さくガッツポーズをする久野さん。俺は彼にまた耳打ちをする。
「馬札を任せて頂ければ配下の者が下の換金所で換金して参りますが?」
一般の換金所は戦場のような騒ぎになっているがここは貴賓室、下には特別な換金所が併設されている。
久野さんは俺の顔と馬札を見比べ少し迷ったようだが、
「い、いえ某が行きましょう!」
鼻の下を少し伸ばしニヤつく顔を抑えながら自分で行くと決めたようだ。貴人は大抵こういう面倒は誰かに任せるものだと思うが、興奮しすぎたか?
彼は一人そっと喧騒を離れ階段を降り、換金所へと向かった。
もう少しお堅い人かと思っていたけど意外におちゃめさんだ…
…ところで線香は消さなくて良かったんだろうか?
圧倒的な強さを見せつけた元康に挨拶もそこそこに…きっと強力なライバルになる元康に挨拶をするのもイヤだったのだろう、岡部のオッサンは足早に鳴海城へ戻っていった。
きっとこれから鳴海城で競馬の為馬と武者を育成をするのだろう。
これから岡部のオッサンに特訓を受けるであろう家臣の人も大変だな…
久野さんは丁寧に挨拶をして部下数人と共に遠江へ帰って行った。半分以上燃えてしまった線香に気付いてからは別れるまで渋い顔のままだった。
そしてそれを泰然と見送る松平元康、強者の風格だ。
「お見事でした」
俺は元康に賛辞を送る。もみ手をして媚びれる程俺はご機嫌取りが上手い訳ではない。これは心からの賛辞だ。
岡部のオッサンにも頭を軽く下げ見送る余裕、この貫禄でまだ二十歳…やっぱり将来の徳川家康はすげぇな…と感心していたが、
「…いえ、正直怒り心頭でございましたが、皆の実力を見せつける事が出来溜飲が下がり申した」
元康は、はははと笑った。
…そうかキレる寸前だったか。
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