第三十八話 小平太の桶狭間

一同舟に揺られ川を遡上し鳴海宿に赴く。枯れ葉が舞うようになり冬は近い、身を切る風はもう冷たい。


「どういう風の吹き回しじゃ?」


驚きの表情で秀さんが小平太に訊ねる。小平太が鳴海競馬場の番を請け負うとは全く考えていなかったようだ。


「フン、俺もそろそろ気持ちを切り替えないといかんと思ってな」


小平太は強がっているのか憎まれ口で返す。だがその言葉にいつもの余裕は無く、緊張している事が窺える。

小平太にとっては実に二年と半年ぶりの鳴海である、彼は死闘を繰り広げたであろう桶狭間へ戻ってきた。

俺は競馬場の建築の為に何度も来て感慨も薄れているが、小平太の目にはどう映るのだろうか。


◇ ◇ ◇


「すまんが俺と殿の二人で拝ませてくれんか」


第六天魔王神社への参道の麓

小平太の部下の兵を含め二十名ほどが居る中で小平太が皆に向かって話す。秀さんはもう何度も来ているからか素直に応じてくれた。


「おう、しっかり信長様の御霊を拝んで来い」


一緒に来たそうにしている部下もいたが入れ替わりで参拝すればいいじゃん、神社は逃げないからな!

俺は小平太と二人で丘の上の第六天魔王神社へ向かう。


「殿」


丘を上る中、小平太が俺に耳打ちをしてくる。


「その…信長様は化けて出ないんだよな?」


…そーいや最初に出会った時おばけこわいみたいな事いってたな。


し ら ん が な


「勿論だ、俺がしっかり御霊をお祀りしておいた。」


キリッといた。

この大男こんな顔してそんなにお化けがこわいのか、ギャップ萌えを狙うにしては可愛くない。

開けた丘の頂にある小さな神社、第六天魔王神社の文字に小平太は眉を顰める。

俺はツッコミを許さん雰囲気を醸しつつ前に進み、手慣れた祝詞を上げて誤魔化す。



祝詞を上げ終わり、俺が後ろを振り返ると小平太が土下座をしている。

参拝方法なんてものにこだわるつもりはない、小平太の気の済むようにやったらいい。

俺は邪魔にならぬように小平太が自然と起き上がるのを静かに待つ。そうして小平太の様子を確認すると彼は土下座をし顔を伏せ静かに泣いていた。

涙が境内に落ちる。

多分小平太は信長の最後を見ている、俺には分からぬ慚愧悔恨もあるのだろう。

此処は小平太にとって特別な場所なのだ。

小平太は暫く泣いた後、涙を止め深く地面に額を付けた後顔を上げた。

俺はそれに対し態度に出さぬよう注意を払い再度祝詞を上げ、締めくくった。


◇ ◇ ◇


持ってきた茶を振舞い、落ち着きを取り戻した様子の小平太が桶狭間あのときの話を始めた。


「豪雨は壁となり鎧の音を足音を消し、雷は敵の警戒の叫び阻み、俺達は一直線に義元の本陣を目指した」


「俺が絶対に義元の首級を上げるのだと意気逸っていた」


「奇跡なのか運命なのか、それとも信長様には何か確信があったのか数万の軍の中で大将義元は此処に陣を構えていた」


「周りにいた今川の兵を槍で薙ぎ倒し、大将義元に討ちかかった」


「義元の胸をめがけて槍を突いた、どんな堅い鎧を着ていようがその鎧ごと貫き刺し殺すつもりで俺は渾身の突きを繰り出した」


「だが義元は鋭い刀で俺の槍の先を斬り飛ばした」


「槍がただの木の棒となり呆気にとられ首を取る手段が無くなったと思い慌てた、だが腰に刀がある事を思い出した」


「そんな俺の横を抜け、新介が義元に飛びかかった。奴に先を越された事にしまったと焦り、普段ならすんなり抜ける腰の刀を引き抜くのにもたついた」


「だが義元は雄たけびを上げ、新介を大上段から斬った…新介は絶叫し、更に喉元を一突きされ絶命した」


「一瞬だった…今までの攻めろ殺せ首級を上げろ…そういった勢いが義元の雄たけびの一撃で吹き飛んだ」


「新介の返り血を受け、義元が赤く染まっていた」


「痙攣する新介を見て俺は血の気が引いた、冷静になったのではない、冷や水を浴びせられ脳髄が痺れ動けなくなった」


「ひょっとして俺は今川義元より弱く、これから一方的に鏖殺されるのではないか、そんな恐怖の種が心に宿った」


「恐怖か幻覚か義元の瞳に鬼を見た…鬼に睨まれ…怯え一歩後じさった」


「あそこで何故…俺は一歩前に出なかったのか…命は惜しく無いと常日頃から思っていた筈なのに…俺の足は震え歯の根は合わず俺を見据える義元の瞳がただただ恐ろしかった…」


「気持ちは空回りし、呼吸はどうやっても整わずそれでも…一歩前に踏み出そうとしたその時、義元の稲光を伴った一振りに恐怖し過剰に反応して飛びのいた…が俺の足はまとも動かず、着地もままならず無様に坂を転がり落ちた」


「気が付いたら味方は総崩れ…豪雨の中で遠く信長様の声がした気がした」


「俺は震える両の脚を抑え、力の抜けた腰で転がるように無我夢中で逃げた」


「天祐かと思った雷雨は俺を逃がす為だけにしか護ってくれなかった」


「俺の…俺のせいなんだ…」


小平太が桶狭間の中心の記憶と苦い胸中を吐き出す。


「あの時…俺が死を恐れず、義元を畏れずにたったの一歩を踏み出し槍を突き出したら…俺が死んでも次の男が義元の首を取ったかもしれないのに…」


小平太は土下座をし、頭を地面にこすりつけ涙を流している。



桶狭間の戦い



何故戦国の三英傑が一人織田信長が死に、歴史が歪んだその理由を知った。

何のことは無い、ほんの少し義元が足掻き…気迫でまさった。

義元は気合で新介とやらを斬り伏せ、小平太を退け信長軍を挫いた。

それは槍の如く義元の命を刺し貫こうと一直線に向かった信長軍の槍の先を崩し、そのまま勢い削がれ総崩れになった…それだけだった。


「信長様…すまねぇ…すまねぇ…」


小平太はおばけが怖かったのではない。信長の死に対して罪の意識を持ちずっと…ずっと深く後悔していたのだ。いっそ呪われでもしたら彼は救われたのかもしれない。

桶狭間の戦いの中心から生き残った彼の言葉を、この歪んだ歴史の真実を俺はずっと忘れないだろう。


いつか公記として記し後世に残す時の為に。



冬も間近となった冷たい風が土下座し涙を零す大男をいつまでも撫でていた。

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