第三十一話 鳴海の一夜場

「オオイッセイヤアアアアアア!!」


「たーおれるぞォォ!!」


気合いの入った男共の掛け声が辺りにこだまし木の倒れる音が轟く。


尾張国 鳴海宿から東に半里


俺達は今川義元の命により人気のない山間の土地で競馬場を作る為に木を切り倒し、秀さんは俺にはよくわからん道具で器用に測量なんてやっている。


◇ ◇ ◇


駿河からの帰り際、元康は何度も俺に確認してきた。


「本当に兵を出さずともよろしいので?」


正直な所尾張を刺激したくないので三河の連中の力は借りない事にした。


「ウチは新兵ばかりで戦の訓練をしていないのです、その分工兵の訓練として活用させたいと思ってます」



尾張の情勢を知りたいと言ったところ九鬼義隆が詳しかった、この手の事情に詳しい部下がいるらしい。


現在尾張は三つの勢力が牽制し合っているらしい。


尾張の守護代である清洲城の斯波義銀しばよしかね、それを支える筈の犬山城の織田信清おだのぶきよ、そして今川義元配下の将、那古野城の井伊直盛いいなおもりだ。


尾張を力で支配した織田信長亡き後、そんな尾張の政情不安を見るに見かねて義元公が仕方なく治安の安定化に努めている…という名目で那古野城を占拠している。


ちなみに熱田も羽豆崎も今はこの井伊直盛の庇護下にある。


俺が自由に動けてたのは直盛さんのおかげだったんだ!ありがとね!!


織田信清は井伊直盛に対し那古野城からの退去を求めているが、それをのらりくらりと躱しているらしい。


そして斯波と織田は主従の関係にあるのだがぶっちゃけかなり仲が悪い、戦場で会うと井伊直盛を無視して争いかねない、それを分かった上で老練な政治手腕で三つ巴の状態を維持しているようだ。




熱田ウチの者だけで作るのなら言い訳も立ちます」


元康も無理して兵は出したくない、そもそも元康は領内に一向宗という爆弾を抱えている。


建設現場は井伊直盛が名目上守っている場所とはいえ尾張他国で三河の松平が活動したら何の弾みで戦が始まるか分からない、出来るだけ天秤が傾かないようにしたい。


…そうなる事を見越した上で義元は命令したのだろうが俺はまともな兵を持ってない、戦は勘弁願いたい。


「週に一度松平の家中の者を寄越して下さればそれで共同で作業をした事にしましょう」


俺も元康から寄越された三河のお偉いさんと顔を繋いでおけるというものだ。


「競馬場が完成した暁には元康殿に武者と馬をご用意頂いて試馬会を開きましょうぞ!」


内にも悩みの多い元康は新たな面倒事が思ったより負担が軽い事に安堵したのか顔を弛める。


なるべく家に帰って美人の奥さんと家康(?)大事にしてやれよ!


そして俺達が談笑する様子をネットリとした視線で見てくる三河武士、元康と話す俺に対して嫉妬のような視線を感じる…


きめぇよ…


◇ ◇ ◇


工事を始めて一週間、三河からは本田正信ほんだまさのぶがネットリとやってきた。


「熱田大宮司殿、松平元康様の使いで参じました」


三河の将との顔通しだけだ、何をさせるでもない。形だけ来てもらう約束をなので茶でも飲んで世間話をして適当にお帰り願おう。


「ようこそいらっしゃいました、こちらへ」


工事現場の仮設事務所に通して茶を出す、きちんと茶を立てるような余裕はないが無いよりマシだ。


「ふむ…やっている事は大工と人足の仕事ですな、三河ウチの勇壮な兵を寄越してもやる事がなかったやもしれませぬ」


フフフと笑いながらネットリと嫌味を言われる。


「いや全くそうですな、自分戦は不得手でしてこのような訓練ばかりをさせております」


俺は、はははと自嘲気味に笑う。


「それでは某が此処に来た理由は尾張との緊張を高め戦をしたい方の命に対し、尾張との緊張を高めたくない大宮司殿の差配ですかな」


ネチャってるけどコイツわかってんな。


「そんな所です、ウチの兵は新兵ばかりで織田に睨まれたくないのです」


「そのような弱腰では足元を見られたりしませぬかな?」


争いを回避する為にはマウントを取る事も必要だ、だが戦える兵が他にいるのならそちらに任せたい、三河の猪武者とかな。


「兵にも家族がおります、弱腰と罵られようが逃げようが生きて家族の元に帰すのが将の努めかと」


「戦に勝つことが将たる者の努めでしょう」


く…確かに…どちゃくそ論破されたぞ…


「戦場から逃げる腰抜けなど兵でも将でも信頼など得られぬでしょう」


コイツ当てつけてくるな、いい気になりやがって…


「熱田大宮司殿は戦場に縁がないご様子、戦場というより信仰と言い換えたほうが分かりやすいですかなぁ?」


コイツここぞとばかりにネチャァってきやがったな…


「熱田大宮司殿は信仰と家族なら家族を選ばれますのかな?」


ドヤァ顔がうぜぇ、コイツめっちゃ挑発気味にやなこと聞いてくる、だが俺の返答はこっちだ。


「信仰と家族なら家族を選びましょう」


熱田大宮司という肩書があろうとも家族の方が大切だ、無宗教の令和っ子をなめんじゃねぇぞ!


その答えに対し本田正信ほんだまさのぶは絶句し驚きの表情を見せる。


「…熱田大宮司殿がそのような畏れ多い事を…」


この答えはドヤっていた奴を大いに困惑させたようだ、その混乱に付け込む。


「目を瞑って…静かに心の中で妻と子の笑った顔を想って下さい」


大人しく目を閉じる本田さん、素直か?


俺も家族の顔を思い出す、熱田の、羽豆崎の、先日の松平一家の笑顔も


「信仰はその愛する家族の笑顔を曇らせるものであってはなりませぬ」


本田正信は目を瞑ったまま眉間の皺を深くしている。


「そのような…惰弱な…」


眉間に皺を刻んだまま顔を赤くして目を開いた本田正信は絞り出すようにうめく。


お、効いてんなー?


「信仰は決して貴方を、家族を不幸にする為のものではありません。もし自らの進む道に疑問を感じましたらご家族の笑顔を曇らせないようお考え直しください。それがひいてはお家の為、国の為、皆の為になるでしょう」


綺麗事を並べてみる。


ドヤァ…ヘーイヘイヘイヘーイ!おっしゃ、それっぽい事言ってやったぞ!勝ったわコレは!


俺は表面上は大宮司スマイルで、心の中では荒々しく両手でダブル中指を大空に向けて雄々しく立てる。


とはいえこの本田さんの言ってた戦場で逃げる者は信頼されないというのも事実だろう。それは過去を顧みて俺は大いに反省しないといけない。


◇ ◇ ◇


工事の方は幸いな事に天気にも恵まれ工兵二十人で一月ほどでなんとか形になった。

なんと一周六六〇間(約一二〇〇メートル)の競馬場だ。


水はけの良い土地ではないので水の通り道を作り競馬場を囲い掘を作った。


また、トラックヤードもなだらかな坂を作る事で堀に水を逃すようにした。


しかしここまでやると堀もあり広さもあってちょっとした城だ、砦どころか近くの鳴海城にも劣らない。


こうして人知れず世界初だと思われる競馬場、鳴海競馬場が完成した。

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