第二十四話 悦びのたあ

藤さんの結婚式の後、熱田に帰ってきた俺達を出迎えたたあの笑顔が曇る。

理由は…まぁ…俺の後ろで素晴らしく弩級のドヤ顔をかますしずかさんのせいであろう。

立ち位置的に両者に挟まれた俺は逃げることも能わずいたたまれない。

両者強い笑顔で対峙し一触即発のような様相だ…

たあの笑顔の圧が強くなる。

漫画的に表現するならこの場の空間が圧縮され時間の感覚が歪む、走馬灯にも似た状態に俺は時間の相対性を理解した。


そんな俺の胸中とは裏腹に藤さんとねねさんはこの歪んだ空間を危険と判断し距離をとっている。

かしこい!さすが藤さん!かしこい!!

でも一応上司で仮にも親代わりの俺を見捨てるの酷くない!?

俺もそっちに連れ出してと目力で助けを乞うたが、藤さんは自らが招いた結果を受け入れろとばかりに残念そうに首を横に振った。

意思の疎通も完璧である、本当に出来る男!

そんな最悪の空気は親父殿が一言「そんなところで何をしておる、早く入らぬか」の声でとりあえず霧散した。


◇ ◇ ◇


夜、寝所ではたあが強い笑顔で正座し俺を待ち構えていた。


「季忠様」


たあの笑顔が雄弁に語る。

彼女なりに気持ちに折り合いをつけ、しずかさんを側室にする事を許してくれたが、昨日の今日で早速手を出したのかと文句の一つも言いたいという笑顔である。もうなんとなく完璧に理解できた。

そして俺はたあの想像しているような事はしていない。


「…誤解だから」


「誤解とは…一体何の事でございますか?」


適当な事を言って話をはぐらかすつもりではないかと疑い、強い笑顔で俺に更に威圧をかけるたあ。

俺は誠実にその誤解を解かねばならない。


「昨晩、彼女と共に寝たのは確かだ」


分かっていた事を言葉として俺から直接伝えられ彼女の表情が曇る。夫の他の女との秘め事など耳に入れられ気分を害さない筈がない。

そして俺は言葉を続ける。


「だが事に及んではいない」


彼女は鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をする、言葉の意味が分からないのだろう。


「しずかには共に寝たら子が出来る…と嘘をついた」


俺の意味不明な言に疑惑を深めるような表情のたあ。


「…何故そのような直ぐにばれる嘘を」


現実味の無い俺の答えをこの場を誤魔化す為の軽薄な嘘なのか、真贋を見定めるように呆れを含んだ言葉で返してくる。


「彼女は子が欲しいと言ったがあの体でお産は無理だ」


その嘘の根底に彼女の身を気遣うという正当な理由があると分かり、ある程度合点がいったようだった。

だがそれとは別の疑問を俺に投げかける。


「それで…一緒に寝たら子が出来ると、そんな虚言でしずか殿はご納得されたのです?」


ホントそれな。


「…驚いたことに」


正直俺もあんな嘘が通るとは思わなかった。

少しの沈黙、彼女の中で何が心の琴線に触れたのか次第に目に輝きが増していく。


「それでは…先程の彼女の笑みは…」


しずかさんの弩級のドヤ顔、その意味。


「…彼女の勘違いだ」


「まぁ!!!」


たあの驚きの声、その声色には分かりやすい喜びの色がのっている。


「あらあらあらあらあらあらあらあら」

「まぁまぁそんなうふふふふふ」


たあは突然そわそわと目を輝かせたりうっとりしたりと忙しくなった。まるで無知で愚かで蒙昧な未知の愛玩動物をみつけたかのような喜び様。楽しそうでなによりだが、そういうところだぞ?


「季忠様!」


何か思い出したかのように俺に覆い被さってくるたあ。


「睦合いましょう!睦合いましょう!今すぐ睦合いましょう!!」


俺を押し倒すのに手首を握ってくるあたり抵抗を許さないという強い意志が伝わってくる。テンションの上がったたあにその晩俺はされるがままになるしかなかった。


◇ ◇ ◇


「たあが世話を焼いてくる?」


あの晩から数日が経ち、たまたま倉庫作業をしていた俺に辺りに何者かがいない事を確認ししずかが打ち明けてきた。


「そ、そうだ!」


俺としては二人の仲が良い事は望ましいのだが、しずかは落ち着かない様子だ。

ひとまず二人の仲が険悪でないというのは個人的には喜ばしい状況だが…たあが手の平を返した理由は無知なしずかが愛玩動物的な意味で可愛いからだろう。

意外に物事が好きになる切っ掛けなんてつまらない事だったりするものだが、今まで敵意を向けられていた相手から何かにつけ友好的にスキンシップを図ってくるのは…まぁ怖いな。

そしてその好意の原点をしずかに伝える事は出来ない。下手に話してせっかくしずかが誤解した「一緒に寝る」の意味を解いてしまう事になりかねない。

もちろんたあもその理由を彼女には絶対に伝えはしないだろう、あれで賢い女だ。

そしてしずかはたあに急に愛でられる理由が分からず混乱している…と。

どうも三郎太の目も欺けているようだし、俺としてはいつまで続くかは分からないがこのまま誤解をさせたままにしておきたい。


聞くと先日たあに呼ばれ茶菓子を出され二人で話をしたらしい。

たあが出す茶や茶菓子には何か入っているのではないかと気にはなるが、警戒されても空気が悪くなるのでたあを信じよう。


「私、妹が欲しかったのです」


たあは頬を染めそう言ったらしい。

へぇ…姉がいた事は季忠の記憶から知っていたが、妹が欲しかったのか。


「私には姉がいて…私の密かに想っておりました殿方の所に嫁ぐ事が決まりました…そんな姉を私、呪ってしまいましたの」


話がいきなり不穏な方向に突っ走ったな…


「けれど人を呪わば穴ニつ、熱田の大神は見ていらっしゃるのですね…私深く反省しましたわ」


一番大切な呪いの内容と顛末が気になるが、彼女の中では何か完結しているようでその内容を問える雰囲気ではなかった事は想像できる。

もし熱田の大神様マジで何か知っていらっしゃるのなら是非お教え頂きたいんですが…


「でもせっかく出来た妹が私の想い人を取ってしまうのではないかと私、気が気ではありませんでした」

「姉は不幸でしたが私、可愛い妹は大切にしたいと思いましてよ」


たあはにっこりと今までのような強い笑顔ではなく、慈しむような優しい笑顔をしずかに向け逆に恐ろしく不安になった…と。

美人の笑顔ってわりと怖いからな。

そんな自分とは違う底知れぬ謎の価値観を持った生物の深淵に触れ、しずかさんは曖昧に笑う事しか出来なかったらしい。大の男相手にバッタバッタと大立ち回りをする彼女が底知れぬ怪物のような何かを前に怯えたような表情をみせている。


「しずか…羽豆崎に帰るまでもう暫くたあと仲良くやってくれると嬉しい」


羽豆崎へ帰るまで安全が保障されたと考えてほしい…


「そ、そうだな…」


しずかさんも俺に話す事で少し落ち着いたのか素直に頷いてくれた。全体的に意味不明ではあるが表立って二人の仲が悪いという状況ではなくなった。

これはもしかしてめでたしめでたし…か?

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