第二十五話 藤吉郎改め

熱田から二週間ほどの旅路を経て羽豆崎へ帰ってきた。俺、藤さん、しずか、三郎太、藤さんの部下三人。そして往路より一人増え晴れて藤さんの妻となったねねさん。

馬にはねねさんが乗った。

しずかは「歩いている方がラク」と歩いて帰ってきた。

体力的に問題があるようなら俺がまた背負うと覚悟もしていたが、むしろ俺より彼女は元気が有り余っているようだった。

とても元気すぎてこんなに元気なら行きも大人しく歩かせれば良かったと心から思う。


◇ ◇ ◇


羽豆崎に帰ってきてから俺は六月に開催する富くじの為に伊勢と行ったり来たりを繰り返していた。一度やった祭事なので伊勢の皆も流れは理解しているが、今回は藤さんの助力を得られない。

何故なら藤さんは新しい港「豊浜」の村長として毎日忙しく走り回ってもらっている。

名前も木下藤吉郎から千秋藤吉郎に変わり、一応は小さいながら羽豆崎の城主である俺が後ろ盾になっている事も皆に伝わっている。

この新興の港で村長など面倒事の塊のような役職だ。

偉ぶった所で九鬼に千賀、血の気の多い連中ばかりだ。

隣の古い漁村の連中も無駄に血の気が多い。

何かの弾みで彼らの勘気に触れてしまうと最悪海に浮かぶまである勢力が三つ、その上で綱渡りをさせられている。

…させている。

だが現場に足を運び、皆と一緒に汗を流す藤さんの働きぶりならきっと大丈夫だろう!

…きっとな!


そしてねねさんがすごい。

彼女は村に来た翌々日には全員の顔と名前を覚えていた。信じられない事に一月経つ頃には隣の漁村の連中の顔と名前までも覚えていた。そしてその情報を藤さんと共有しているようだ。

人は名前と顔を覚えられると態度が変わる。

大勢の中で「そこのお前」と指名されるより「山田太郎」と直接指名されるのでは言葉の重みが違う。

名前と顔を覚えるなんてのは些細な事でありその積み重ねをあの二人は一つ一つしっかりやっているのだ。

また彼女はこの時代では珍しく女性なのに読み書きが出来る。この時代女性の教育水準は高くない、俺はしずかさんをアホの子呼ばわりしているが、あれで標準…より若干上である。

杉原家は…あの奥方さまのせいでイメージが悪いが、ねねさんの教養の高さを鑑みると間違いなく良い家柄であったことが窺える。

彼女は将来的に子供を集めて読み書き算術を教える教育機関を作り教えたいとまで言ってくれている。

メッチャ有能人材やんけこの娘…


更にはねねさんは陰鬱な顔をした者を笑顔にする魔法を持っていた。

気分が沈む理由は人それぞれだが、そんな彼らに茶を出すだけで憑き物が落ちたように晴れやかな顔になるのだ。

なんでも「茶柱が立っていた」とか。

それだけで吹っ飛ぶ悩みの軽さもどうかとは思うが、ただ茶を出すだけで晴れやかにしてしまう。

その晴れやかな空気は人に村に伝播していく。村全体が彼女の小さな影響で良い雰囲気になるのだ。

類は友を呼ぶのか有能は有能を呼ぶのか、藤さんが惚れ込んだ理由が分かった気がした。


◇ ◇ ◇


そんなある日、羽豆崎の港に初めての鯨がやってきた。


阿 鼻 叫 喚 の 始 ま り で あ る。


港は未完成、鯨を解体する建屋も出来ていない。解体をする為の包丁も足りていないし、なんなら人手も足りない。何もかも、何もかもが圧倒的に足りなかった。

しかし鯨はそんなないない足りないのこちらの事情など全く考慮してくれない。


放 っ と く と 腐 る。


あの鯨の巨体が腐ると大惨事だ、ニオイだけならまだしも体内に溜まったガスで大爆発するまである。

その巨体をなんとかするべく村一丸となり連日祭りのような戦場のような喧騒が続いた。

それまでは鯨を解体する為の大きな施設など無用ではないかという意見もあったが、この騒ぎでそれは聞かれなくなった。

とにかく鯨を解体し片っ端から肉塊にしてく。

だが包丁の数はとても心許ない、壊れないように気を付けつつ解体を進めていく。

名刀「あざ丸」を俺はこの為に持たされたのではないかとこの騒ぎに拠出するかどうか悩んだが、そんな俺の思い詰めた様子を見かねて藤さんが止めてくれた。

代わりに隣の村から包丁やら人やら資材やらを借りてきてくれた。

手が足りなければ腐らせてしまうであろう部分を隣の村の彼らに融通する事で優先的に処理させた。

藤さんマジ出来る男すぎる…


包丁不足なので解体が出来る人の数に限りがある、なので手隙の者には鯨肉を燻製にする為の小屋を幾つも建てさせた。

この小屋も小さく強度にも不安があるが今は仕方がない。

そのうちもっとマシな小屋を建てようと心に決めつつ鯨を塩水で洗い、水気を抜いて乾かし肉塊を小屋に釣り煙で燻す。

この燻製鯨ベーコン、臭みが強くクセがあると言えば聞こえがいいが正直あまり美味くない。

味を整えようにも調味料が足りていない、とにかく足りない!

この大量の鯨肉に丹念に擦り込めるほど確保出来る調味料が無い、当てもない!

もうホント塩水しかない。

せめて塩…塩田とか作りたい…作り方は……もちろん知らない、安易に海水を乾燥させたら塩が出来るんじゃないかくらいにしか考えてない。

ただ俺が思い付きで作ろうとしてロクなことにならないのは澄酒の一件でよく理解した。

「雀は稲を食う駆除しろ」とか「苗を植える間隔を狭く3倍の量を植えれば米が3倍収穫できる」とか言い出して混乱した例に聞き覚えがあった。

そういうわけで詳しい者に聞いた所、知多で塩田を作る事は出来ない事もないらしいが雨が多いので鯨ベーコンを作る建屋の余熱でも利用できないかと言われた。

そうかぁ…塩田は雨が降るとダメだったか…

燃料も馬鹿にならない木も炭も足りていない、石炭か石油でも無いものか…

クセの強い鯨肉にせめて風味付けにでもと思い、建屋が多い事を利用し各種ウッドチップやら茶がらやら中山屋さんの酒かすやらで複数の風味付けを試みた。

強い臭みを消す一助くらいになれば…と考えた末の苦肉の策だがハズレもあったが当たりもあった。

比較的良く出来た風味の鯨ベーコンは北畠、松平、そして今川に献上し、ハズレ味は交易品としたり我々で頂くものとした。

研究の余地は大きそうで他の方法を試したいという者もいて今後が楽しみになってきた。


◇ ◇ ◇


そんな折に藤さんが多忙の中、かしこまって俺に話を求めてきた。茶を出し二人をねぎらい話を聞くと藤さんが話す。


「結婚を機に名前を変えようと前々から考えちょってな」


念願のねねさんとの結婚を果たした証というのが嬉しいのかねねさんと共にニコニコ顔だ。そんな結婚記念みたいなノリで名前変えるもんなんかねこの時代?


「ほう、それでなんて名前にするつもりだ?」


藤さんと気軽に呼べなくなるのはちょっと寂しいものもあるが、藤さんのそしてねねさん二人の新たな門出ともいえる改名だ、大いに歓迎したい。


「藤吉郎改め秀吉にしようと思うとる」


………


「とはいえ苗字も変わって名前まで変わったら誰か分らんからな、暫くは千秋藤吉郎秀吉と名乗るつもりじゃ」


………は?

いや…そんなどうしてそんな名前に…?

名前自体は縁起も良さそうでDQNネームという類のものでもない。だが俺はこの世界で今まで「秀吉」なんて名前の奴に会った事は無かった。

ようは太朗や一郎二郎といった一般的な名前ではない。

他人の空似?たまたま…?


「ああ……良い……名前だな……」


ええと…俺が知ってる豊臣秀吉エピは…確か草履を体温で温めて信長に怒られてた気がする。まぁ草履を人肌程度に温められたらキモいもんな。

それで信長にサル呼ばわりされてたんだっけか…?そういえば最初に出会った頃小平太にハゲネズミとかサル呼ばわりされていたような…?

え、これどうなってんの?どうなるの?

んーー?もしかしてこの人此処にいていい人じゃないんじゃない?

でも信長が死んだから本能寺の変は起こらないし秀吉天下人ルート無くなっちゃってね?


くらりと、眩暈がした。

そして…なんだかおなかが痛くなってきた。


「殿どうした?」


すまない、殿は 脱 糞 のお時間だ。

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