第十七話 九鬼使節団
潮風が打ち身に沁み、じわりじわりと痛みがその存在を訴える。全身に余すところなく打ち身をこさえ俺は舟に揺られていた。
しずかを兄である九鬼嘉隆の下へ送り、その後羽豆崎まで送ってもらう為だ。
伊勢から羽豆崎までは海で七里、二十八キロ程度の距離。時間にして五時間程で、その後は陸路で熱田へと向かう。熱田までは歩いて三日だ。こちらの面子は藤さんとその部下三名。
小平太には伊勢で留守番をしてもらっている。
ちなみに七転八倒姫の名に違えず俺はあの後七回投げられた。
二度三度は投げられるのもやむなしと考えていたが予想以上に酷い。ボコボコにされた俺を見て藤さんは肩をすくめてフォローの言葉を紡ぐ。
「ま、乙女心を弄んだ対価としては安いもんじゃろ色男」
などと戦国ヒャッハー理論で丸く収めた気になっていた。
俺は令和ボーイの文明人なんだ、おまえら蛮族のモラルで語るな畜生!
「おーい!オメェらー!今戻ったぞー!」
すっかりいつもの調子を取り戻したしずかさんの声が大海原に響く。
九鬼の姫の帰還に船団が喜色に包まれる、やはりこれが彼女の素らしい。
俺と出て行って何故か性格が変わって戻ってきたとか嘉隆に顔向け出来ない所だ。危なかった…
ふとしずかさんが俺の方に視線を寄越す…が俺と目が合うとふいっと顔を逸らされてしまった。
どうやら彼女には嫌われてしまったようだ。
「絶対に離さない」なんて意識の無い彼女に聞かれる事はないと吐いた言葉だったと言い訳をしようかとも考えたが、考えたらあの時の俺はあれで結構本気だった。
そしてその「離さない」期限はまぁ多く見積もっても兄である嘉隆に無事に引き渡す今日までだ。
誤解を生むような事をうっかりとはいえ耳に入れてしまった責は自分にある、彼女を惑わせてしまった咎を素直に認め言い訳は控えよう。
そんな九鬼の姫の帰還を一族、男も女も老いも若きも総出で喜んでいる。中には涙を流している者までいた。その皆の喜びの様子を見て俺は報われたと感じる、本当に良かった。
あの時無理をしたのは無駄ではなかった。
嘉隆は一番大きな舟で俺達を迎えてくれた。その舟に着いてそれまで俺に塩対応だったしずかさんが話かけてくる。
「オマエ…熱田まで行くんだろ?」
「おお?ああ、そこで親父様に色々と話をしてくる」
別れに一言も無いのは少し寂しいと思っていたが彼女からは予想外の言葉が飛び出してきた。
「それ、アタシも行くからな」
意外な事にしずかさんが同行に名乗りを上げた。羽豆崎、熱田は徒歩での旅になる。しずかさんは病み上がりなので無理はしないで欲しいが、まぁ馬に乗れば大丈夫か?
九鬼としても一族として親父様へ顔を通しておく必要があった。九鬼の縁者が使者として行くのは良いとは思うが病み上がりの姫にその役を任せるのは…ま、それは長である嘉隆の決断次第だ。
「おい、しずか!!」
そんな事を考えていると船内の嘉隆から戸板を震わせ彼女の部屋への出入りを制する声が飛んだ。外には藤さんとその部下、しずかさんと九鬼の者が数名が控え、俺だけが船内に通された。
舟の部屋には嘉隆、そして俺の二人だけだ。
前回は神宮の常興さんの俺救出部隊が入ってきたが、やっと落ち着いて九鬼嘉隆と話が出来る。
「この度はウチの愚妹が本当に迷惑を掛けた!」
髭面の海賊風の男に勢い良く頭を下げられる。
「いや、何事もなく、本当に良かった」
俺は先の九鬼の一族がしずかにみせた反応を思い出し、安堵の表情を浮かべる。
彼女が無事に生きていてくれて何より、そして後遺症もなかった。
常興さんとも戦争にまではならず、首斬り国主の押し入りもなかった。
万事円満解決だ。
どこかボタンを掛け違えていたら大惨事になっていた所だったが。
「何事もなかったのか?」
嘉隆が俺の顔を伺いながらそんな言葉を投げてきた。
何事も無かったろ…?
「ふーむ…何かあったらお前さんに「責任」を取ってもらうつもりでいたが」
いきなり出てくる責任の二文字に背中を冷汗が伝う。
何処のボタンを掛け違っても俺一人で責任を取るには重すぎるのだが…
「何事もなく帰ってきたようで残念だ」
かっかっかと嘉隆が笑う。何言ってんだ、何事もなくて本当に良かっただろ!?俺は頭に疑問符を浮かべながら嘉隆の顔を見た。
「羽豆崎と熱田には文を出してある」
そう、先ずは羽豆崎で九鬼の一族が住める出来る場所を確保し、そして熱田へ赴き港を作る助力を仰いで資金の目処をつけ、鯨を入れる港を作る。そんな諸々を一通り話し嘉隆は納得する。
「…それとこれはまだ向こうに話は通していないのだが、
元々羽豆崎の近隣で跋扈していた生粋の海賊で過去の俺が転封し陸に上げた連中だ。今後町を作り港を作り街道を作り鯨を入れ物流を管理するに当たって人手が欲しい。なにより彼らは元地元の羽豆崎の海に詳しい。
陸路なら伊勢湾を迂回し十日かかるところを海ならたったの五時間、伊勢湾の安定を十分に確保できれば伊勢の水先案内、そして今後は大きな船を駆っての大量輸送も考えている。
羽豆崎の海に詳しい連中を陸で遊ばせておく余裕はない。
「…千賀のオヤジか」
「知ってるのか?」
「勿論だ、元々ここいらはアイツらのシマだ、むしろ今まで話に出てこないのが不思議だった」
…俺が千賀を転封したのは季忠の記憶からして割と最近だった筈だ。彼らが転封された事を嘉隆は知らなかったようだ。
「あいつ等の世話になる事は覚悟していたが…素行が悪いのがなぁ」
このヒャッハー時代にあって嘉隆に素行の悪いと言わせるとは…不安しかない。
「だが俺らもこの近隣の暗礁やら潮の流れが分からない事も多い、知らん連中でもない、なんとか折り合いをつけるさ、よろしく頼む」
一応嘉隆は納得してくれたようだ。
「そうだ熱田に妹君が来てくれると言っていたが」
先ほどしずかさんに言われた事を思い出した。病み上がりなので無理はして貰いたくはないが、嘉隆はなるほどといった顔をした後少し顔を曇らせる。
「これから一族で世話になる熱田への挨拶の為、九鬼の縁者代表としては悪くはないんだが……」
快活な嘉隆らしくない言葉尻に迷いの感じる言葉に深く溜息を吐いて嘉隆は言った。
「悪くはないんだが……アイツ、バカだからなぁ…」
「聞こえてんぞクソ兄貴ィィィ!!!」
間髪入れずに壁ドンをしてくるメスガキさん。
「オメェが失礼なことしねぇか心配してんだコッチは!!!」
それを壁ドンで返す嘉隆、壁越しに大声で喧嘩しないでほしい。
舟の壁は確かに薄いが聞き耳を立てているとは…あの淑やかな姫は一体何処へ消えてしまったのかすっかり元気なDQNメスガキさんに戻っている。
だが安心したといえば安心した。
「悪いが挨拶の使者はアイツともう一人つけさせてくれ」
嘉隆は九鬼の代表として彼女を送り出す決意をしたようだ。
「どうやってもアイツ一人には任せられん」
その決意は彼女にだけは任せられないという決意だったようだ。
「ま、お前が面倒見てくれるなら大丈夫だろ」
嘉隆はカラカラと笑ったが、俺は内心先程の「責任」の言葉を思い出し、心の中で身震いした。
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