第十六話 姫の心を弄ぶ鬼畜生

上巳の節句を越え冬の寒さも和らぎ、徐々に草木の芽吹きを感じさせる頃、大阪から藤さんが帰ってきた。

紙を五年分まとめて買う事で安くなったと重いだろうに大量に持ち帰ってきてくれた、だがこれで暫くは安泰だ。

そんな出来る男を祝っていつもの飯屋で呑んでいる。


「はぁ…そんでお主その九鬼の姫ちゅーのを口説いとるんか?」


素っ頓狂な事を言う藤さん、思わず吹き出してしまう。

口説いているとは心外だった。


「怪我人の介抱をして世話をしているだけだ、他意など無い」


親鳥が雛の面倒をみる心意気だ、俺としては元気に伸び伸びと飛び立ってくれる事を願うばかりだが。


「おんしゃあよぅ…鈍いのも度が過ぎれば罪ぞ?」


藤さんからは呆れを帯びた応えが返ってくる。

いやいやいや、ないだろう、もう少し事情に詳しい小平太にこの盛大な誤解を解いてくれるよう促す。


「え、兄ィ口説くつもりなかったのか??」


重ねて素っ頓狂な答えが返ってきた。

…そこまでか?


「これは悪い男じゃわー…」


大げさに藤さんが眉をしかめ額をぴしゃりと手で叩く。


「あんないたいけな姫の心を弄んでなぁ…」


小平太は非難をこめた残念そうな目で俺を見る。


「鏡と櫛まで贈っておいて…乙女心を弄ぶにしても道徳心の欠片も無い、鬼か外道か畜生か…」


なんだか随分酷い言われようだ。

それを聞いてその場にいなかった藤さんが小平太に問う。


「なんじゃそりゃ?」


「それがのう、彼女の気を惹く為に良い案はないかとな…」


ヒソヒソ声で俺のある事無い事を語り出す始末。

この距離だ、全部聞こえてるぞ…

戦国ヒャッハーの基準で令和の良心モラリストである俺を語ってもらいたくない。

俺は心は立派な令和の文明人なのだ。


「いや、無い、本当に無いからな」


特に藤さんは彼女の事を知らないから言えるのだ、聞いて驚け。


「彼女はなぁ…まだ数え十三だぞ」


何処からか訴えられかねない年だ、そんな子供相手に恋愛とか正気の沙汰ではない、だが戦国の常識は俺とは大分違った。


「何言うとんじゃ兄ィ二年経てば十五じゃねーか、男なら元服よ」


待てばいいという前向きすぎる答えが小平太から返ってくる。


「そも十三で嫁にいくのが珍しいという事もあるまい」


更に藤さんが非常識な追い打ちをかけてきた。戦国ボーイのこいつらの常識とモラルが俺とは乖離しすぎていて頭が痛くなる。

頭が痛くなって反論も面倒になってきた俺は無理矢理別の話題を藤さんに振る。


「そういえば藤さんは彼女を連れて来るかもとか小平太から聞いていたがそれはどうなったんだ?」


藤さんが渋い顔をして小平太を睨む。小平太はどこ吹く風で藤さんの視線をいなしている。


「…まぁちょっと足を延ばして尾張の朝日村まで行ったんじゃがな」


彼女の所に行くには行ったらしい、そうなると彼女が此処に来ていないという事は…


「わしゃあねねのおっ母からえらく嫌われてての」

「親父殿は信長様の家臣でワシの事を評価してくれていたのだが、信長様がのうなっておっ母の勢いに逆らえずな…」


あー親父殿は将来有望な藤さんを買っていて娘さんを嫁がせるのに前向きだったが、職を失って出世が見込めなくったから結婚に反対している奥さんを押し切れなくなったのか。

藤さんは無職だろうと変わらず有能なのに違いはないんだがな…


「ねねも待っていると言ってくれたのだが…」


肩を落としうなだれる藤さん。

ふむ、力になってやりたいが…女性には生理的にダメと言われると結構何を言ってもダメなんだよな。

そして聞いておかないといけない事がある。


「ところで、ねねさんの歳は幾つなんだ?」


「今年で十四じゃ」


あーもう、これは俺と会話が成り立たないワケだ…


◇ ◇ ◇


この所はしずかさんの部屋に日参し、彼女の体調を確認するのが日課となっている。

春が近くなり気持ち空気も温かくもなり、彼女の体の調子も大分良くなってきたようだ。

俺の顔を見るなりぱっと表情を明るくさせ、華やいだ声で俺の名を呼ぶ。


「すえたださま!」


「このなよワカメ!」などと呼ばれた事を思い出すが、そもそも彼女との付き合いはそんなに長くない。そんな呼ばれ方をしたのは最初の二日だけで罵倒語を駆使し敵対的な態度をする彼女の方がイレギュラーだった可能性もある。

七転八倒姫なんて物騒な二つ名を持ってはいるものの、それは行動に対してのものであり性格と関係ない二つ名…これは少し無理があるか?

なんにせよ彼女は一応九鬼のお姫様で、これが彼女の素の性格なのではないかと思い始めていた。


だが藤さん達と話し、俺がどうも彼女を勘違いさせてしまっている可能性を指摘されて今日はその確認をするつもりで来た。

とりあえず彼女に九鬼の兄の下に帰る事を話すが、余り彼女の好みの話ではなかったらしく話しているうちにみるみる表情が曇っていった。

…え、帰りたくないのか?


「すえたださまは…私に九鬼へ帰って欲しいのですか」


その声には明らかに不快の感情が乗っていた。


「そうは言ってもこのまま伊勢に居るわけにもいかんだろう…一応ここは敵地だろう?」


というか事が起こらなかったから良かったものの、伊勢にいるうちはいつ国主の北畠具教が首を刎ねに乗り込んで来てもおかしくない。


「それなら…すえたださまも一緒に…」


顔を赤く染め口ごもる彼女。


「俺はその後羽豆崎と熱田に行く」


元々俺は北畠と九鬼の仲を適度に離し伊勢の海の治安を回復する為に動いている。その為にも九鬼が安住出来る土地、取り急ぎ羽豆崎の俺の土地の確認を急がねばならない。九鬼や彼女の為にも必要な事だと思ったが、彼女の口からは結構な爆弾が飛び出した。


「…絶対に私の事を離さない…と仰って下さいましたよね?あれは嘘だったのですか?」


彼女はそう言って非難の瞳を俺に向けた。

ンーーー…?

………そんな事言ったか?いつ………いや…そんな覚えはない…が…?

だがこれは返答を違えると俺の立場が確実に危うくなるヤツだ…だが制限時間は決して長くない。反応を返せずにいる沈黙を俺が忘れていると察した彼女は続ける。


「私を背に抱え伊勢の浜を走った時に確かに言ってくださいましたわ」


彼女からは落胆の声色と冷ややかな視線がセットで送られてくる。

背に抱え伊勢の浜を走ったって…彼女を蓑に包んで全裸で疾走した時…?

…ああ思い出した、景気付けに何かを叫んで走らないと凍えてしまう寒さの中で叫んでいた言葉だ。


「…た、確かにあの時は弾みでそんな事叫んだ気もしないでもないが」


え、それよりあの時に意識あったのか?嘘だろ?


「弾み……」


しまった、これは言葉選びを間違ったか?

俺の応えに驚愕の表情を浮かべ、瞳に非難の色を濃くし俺を刺すような目で見るしずかさん。


「え、いや、そうではなくあれは体を温める為のただの掛け声であって他意はないというか…」


ああ、我ながらこれはダメだ…言葉選びを間違った上に更に上塗りをしてしまった気がする。自らの墓穴をより一層深く掘っている実感がある。

目の前の七転八倒姫の全身から怒りの波動が放たれた。

まずい!そう思い身構えた時にはもう俺の視線を搔い潜り懐に潜り込んでいた。彼女身のこなしは来ると分かっていても反応すらままならない。


「この……女の敵ィィィィ!!!!」


やはりこっちが素か!俺はすっかり復調した彼女に喜びながら、久々に天地が逆さになる感覚を思い出していた。

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