第十五話 指溺み

メスガキさんは一命を取り留め、意識を取り戻したもののその後二日ほどは熱を出し寝込んだ。

生死の境をさ迷い…いや一時は彼岸の向こう側に足を延ばし彷徨い戻ってきたのだ。温かみの失せたあの時、正しく死人であった彼女の怖気を伴う冷たさ、それを知る俺は熱を帯び苦しげに息を漏らす彼女に憂いすら抱かぬ畜生であった。

彼女の額に手を当て熱がある事に安堵すら覚える。

別段一本背負いとか裸締めの意趣返しとかそういうつもりは全くない、これっぽちもない、微塵もないつもりだがまぁ多少はね?


ちなみに俺は健康そのものだった。

賢いやつは風邪ひかないとか聞いた気がする、更には日頃の行いの差が如実に出てしまった結果であろう。

お天道様は見ている。


そんな彼女の療養中に女中のおばさんからは事ある毎に「殿方にはご遠慮頂きたいのですが」と釘…とまではいかぬ針を一々刺され肩身が狭い。

それでも俺が彼女の側にできる限り居る理由はここは伊勢、そして神宮であっても彼女は招かれざる客なのだ。俺が看ていないと彼女は本当に独りなのだ。

首斬りマッスィーン北畠具教がいつ押し入って来ないとも限らない。その時は彼女を抱えて裏口から逃げるつもりだった。一度も二度も変わらんだろう。

本当にあの絶望的な状況から運良く命繋いだのだから元気になって巣立つまでは面倒を看ていたかった。

そんな訳で俺はなるべく彼女の部屋で相手をしていた。


そんな療養の暇潰しと本を差し入れたりもしたが、残念な事に彼女は文字が読めなかった、代わり彼女は身の上話をするのが好きで、俺はできるだけ聞くに徹していた。

…ただこれがもう少しだけでも自分が興味惹かれる話や他愛もない話題だと嬉しいのだが、華やかな笑顔で語る内容のほとんどが、


D Q N 自 慢 であった。


決して神父や牧師に対して悪行の悔悟や罪の赦しを得る為の告白といった類の話ではない。百パーセント純粋な蛮族特有のDQN自慢だ。

時は戦国、ヒャッハーがのさばりDQN行為は日常茶飯事だ。その辺は藤さんも小平太もそう変わらない。

この時代のモラルの低さは電車やバスでタバコを吸うのが当たり前だった昭和世代とも比ぶべくもない民度の低さだ。やれ誰を肥溜めに落としただの饅頭と一緒に馬のクソを並べて食わせただの猫で三味線を作っただの、令和の文明人としてはアタマの痛くなる聞くに耐えない類のものばかりだった。

正直そろそろこの頭おかしいエキセントリックDQN自慢を聞くのが、表皮だけでも可愛い女の子と話す事よりも苦痛になってきていた。


◇ ◇ ◇


「オンナの興味を惹くものだぁ?」


小平太の間の抜けた声が返ってくる。

彼女の興味をもう少し別の…なんというかベクトルを逸らしたい。藤さんなら良い提案をしてくれるかもしれないが今此処にはいない、ダメ元で小平太に相談してみた。


「それなら櫛か手鏡よ」


小平太にしては意外、堅実な答えが返ってきた。


「自分の容姿に興味のないオンナはいねぇ」


確かに女性はコスメグッズなんていくらあっても喜ぶものだろう。

男顔負けなDQN自慢ばかりする少女ではあるが、ここ数日の数多の受け答えからお洒落に年相応に興味があるような反応は確かにあった。


「ありがとう小平太、良いアイディアだ ちょっと探してくる!」


「あいであ?」


間の抜けた返答が返ってきたがその単語の説明は出来ないし理解させるのは不可能だ。小平太には感謝の言葉だけを置い櫛と手鏡を見繕うべく街へ繰り出した。


「ウチのカシラはたまにようけわからん事を言いよるな」

「ま、花街では定番だし間違いなかろ」


その言葉は俺には届かなかった。


◇ ◇ ◇


日に焼けた彼女には黒より赤の方が似合っている気がした、そんな程度で選んだ赤い櫛と手鏡。

安物ではあったが反応は悪くなかった。

最初こそ目を見開き俺と櫛と鏡を交互に三度見ほどして猫が警戒するような反応を示していて何か失敗したかと内心焦ったが、鏡を覗き込んでは顔を映し角度を変えたりしている。

気持ちその横顔が紅潮し緊張しているのが分かる。

犬や猫も鏡に映った像を自分と認識できずに威嚇する事がある。大体五歳児くらいの知能がないと鏡に映った自分の姿を自分と認識できないと聞いた事があった。もしかしたら鏡に映った像を自分と認識出来ず鏡の中にいる生物に困惑し威嚇のような気持ちを持っているのかもしれない。

なるほどと一人納得し、彼女に『鏡に映っている像は自分だ、威嚇する必要はないぞ』と諭そうとした時、メスガキさんは鏡を見ながら盛んに櫛で髪を梳き始めた。

…どうやらメスガキさんの知能に問題はなかったようだ。少し彼女を侮っていた。

俺は心の中で詫びた。


櫛と手鏡の効果は覿面だった。本来の目的通り明らかに興味のベクトルを変える事に成功し、彼女は驚く程大人しくなった。

やはり時代を越えても女の子にコスメは効果抜群なのだと感心する。

暫くは夢中で鏡をみたり髪を梳いたりと忙しそうだったが俺に声がかかる。


「その…後ろの髪を梳いて貰えるか?」


恥じらうように俺にねだってきた。

どうも身体が自由に動かす事が出来ず難儀していたようだ。

…まぁあの時一度死んだ身なのだからな。


「ああ、構わない」


正座した彼女の後ろに座り黒髪を丁寧に梳く。

あの冷たい海に浸かり寒空の下で一晩過ごしたのだ、腕や指に何らかの後遺症が残っていてもなんらおかしくはない。

あの場で出来る限りの事はしたつもりだったが、それでも後遺症があると思うと少し申し訳ない気持ちになった。

あの時もっと何か出来たのではないか、そう自問自答し少し後悔の念が浮かび罪悪感を感じてしまう。

温かい湯に浸かって全身マッサージでもすれば良くなるようにも思うが…さすがにそこまでは出来ない。

あの時は緊急時だったとはいえこの時代の扱いでは既に子供ではない。彼女と夫婦にでもならない限り彼女の肌を見る事はないだろう。


それよりもっと現実的な、今の俺に出来る事を考えよう。

ふと彼女の黒髪を梳いていて、潮風に晒されることが多いからなのか手入れが余り出来ていない事に気付く。

せっかくの綺麗な黒髪なのにもったいない、椿オイルとか髪に良いと聞いた気がする。

種の中身を煮て絞る…だったか?椿なら何処かで見かけた気がするから今度試しに作ってみよう。

そんな事を考えながら髪を梳いているがどうにも彼女の様子がおかしい。


大人しすぎる。


横顔を覗くと顔を更に紅潮させている。


「な、なんだ私の顔を見て………すえただ…?」


ふと彼女の顔を無遠慮に眺めていた事を指摘される。

呼ばれ方に何か違和感を感じたが、頭は椿オイルで止まったままで余り考えずに無遠慮な感想が口を突いて出た。


「ああ、良い顔になったと思ってな」


暗闇の中で見た死相を湛えた幽鬼のように青白かった顔が、今は血色も良くなり華やいだ表情を浮かべている。

本当に良い顔だ。


「……………ァオァ…」


彼女はオットセイか何かの鳴き声のような反応に困る声…ともつかない妙な音を漏らし逡巡し、俺に食いかかる。


「い、いつもは良くなかったって事!?」


まだいつも程の覇気は無いが、紅潮した顔を更に赤くして問い正してくる。


「一言もそんな事は言ってないだろ」


謎の受け答えに困惑はしたが体調も良くなって少し調子が戻ってきたようだ、ついこちらも笑みがこぼれた。

そんな俺を見て何が心の琴線に触れたのか分からないが彼女は赤い顔に瞳を潤ませ…布団代わりの衣類を被った。


…おかしい、いつもの調子ならわかめとか何とか雄弁に俺への罵倒が奏でられた筈だが、何か彼女のトラウマか何かに触れてしまったのだろうか?

そんな彼女の様子を少し心配していると布の山の中から腕が伸びてきて俺の手を掴んだ。


「手…にぎっていい?」


衣類に遮られくぐもった声で控えめに問ってくる。いいも何も彼女は既に俺の手に指を絡ませている。


「こんな手で良ければいつでも貸してやる…だから早く元気になってくれ」


そう励ましの言葉をかけ、指に絡む彼女の小さい手を優しく握り返す。衣類の向こうで丸まっていると思しき彼女の顔色を伺い知る事は出来ない。だが彼女は俺の指に絡んだ細い指をいっそう深く握り返してきた。


◇ ◇ ◇


九鬼嘉隆に文を書く。


矢を受けて海に落ち、共に流された事。

彼女の命に別状は無いが冷たい海に浸かってまだ体の動きが鈍い事。

今は久志本の屋敷で療養をさせているが不自由なく過ごしている事。

暇そうにしていたので櫛と手鏡を与えたら大人しくなった事。

もう暫くしたらそちらに戻す。


文を読んだ嘉隆が唸る。


「なんだあのバカ案外うまくやってるんじゃないか?」


敵地にいる妹の事は心配ではあるが一々心配していては他家に嫁がせる事もままならない。

ただ文の内容では敵地にも関わらず暇そうにしているとか大人しくしているとか、妹の性格からして気に入らない状況であれば全てを投げ飛ばして戻って来そうなものだ。

案外今の環境が気に入っているのだろうと兄は安堵の息をこぼした。

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