第十四話 七転八倒姫

名もなき小さな神社の社の中、辺りが徐々に光に溢れていく。凍える寒さの中でも朝日は仄かな温かみを万物に与えていく。

吐く息は白い、だがどうやら俺もしずかさんも無事に生きて朝を迎えられたようだ。

彼女の顔を覗くと疲労の色は濃いが、昨晩の青い肌と死の影は無かった。

とはいえ彼女の体力に不安がある。矢傷の手当ても布を巻いただけだ。

意識を取り戻さない彼女は何らかの後遺症を抱えてしまっているかもしれない、早く安全な温かい場所に移してやりたい。

此処が島なのか伊勢の海岸なのかも分からないが、早く小平太か常興さんと合流しよう。


昨晩は混乱していたが常興さんと九鬼の戦はどうなったのだろうか…

大事になっていないと良いのだが…


彼女を起こさないように気を払いつつ肌を引きはがす。

なんとも不衛生なハナシなのだが、海水と汗でベタベタなのだ、密着した肌が文字通りくっついていた。

ベリベリと密着した肌をはがしていく。はがれる肌がこそばゆい。こんな状況で彼女が意識を取り戻したら罵倒の嵐と怒りの一本背負いどころでは済まなそうなので細心の注意を払って静かに肌をはがす。

そうして意識を肌に向けると昨晩は夜闇の中で必死だったのもあり全く気にならなかったが、朝の光の中彼女の小麦の肌に目が奪われ慌てて目を逸らした。

つい妙な熱を帯びてしまうところだった。

こんな事を知られたら他意があったと思われかねないが、運良く彼女は何の反応も示さずに眠ったままだった。

ただこのまま彼女の意識が回復しなかったら…と不安がじわりと意識を蝕む。


「彼女は生きてる!!」


その不安と気持ち悪さを払拭する為、わざと口に出し自らに活を入れる。

彼女の血色の良くなった顔を見て言う。


「そのうちにまた元気な罵詈雑言を聞かせてくれ、眠り姫さま」


彼女の肌を蓑で素早く包み、その上に着物を羽織らせ背負う。真冬の夜、一晩では着物はまだ乾いていない、彼女に直接着せるのは厳しい。

そして俺は全てを諦め褌一丁だ。

凍える寒さだが着る物など無い、だが暫く歩くなり走るなりすれば体も温まるだろう。

昨日の雨が雪にならなかっただけ感謝しないといけない。


流された方向を考え、伊勢と思しき方に向かって彼女に気遣いながら早足で歩きはじめる。

歩きながら一人テンションを上げる為に誰に聞かせるともなく語る。


「北畠の野郎、九鬼が伊勢の地に入ったら首を刎ねるとか言ってやがったな」

「ちくしょう!俺が!俺が蘇生させたんだぞ!!」

「せっかく命を繋いだのに簡単に首を刎ねさせてたまるかってんだよ!!」


これで首を刎ねられては俺は一体何の為に彼女を生かす努力したのか分からない。彼女から離れるのは常興さんを説得し九鬼からの和睦の使者という体にして貰ってからだ。


「絶対に、絶対に離すものか!!」


海岸線を蓑巻の女を背負った全裸の不審者が声を張り上げカラ元気で鼓舞しつつ、そんな不審行為を二時間程も続けたろうか、小さな漁村を見つけた。


村人は褌一丁で女を蓑巻にして背負い、そしてその女を離そうとしない俺を変態か犯罪者かと遠巻きに冷ややかな目で監視していた。冷静に考えれば本当に不審どころの騒ぎではない。

だが神宮の常興さんの手の者が来たことで空気が明らかに良いものに変わった。

伊勢の大神の御威光は凄いな…ウチはどうなんだろうと少し悩んだ程に劇的だった。


俺としずかさんは服を換え、伊勢へ向かった。

捜索隊の者達は神宮の久志本の屋敷まで道案内をしてくれるそうだ。道中彼らに昨日の戦の顛末がどうなったのかを聞いたがどうやら常興さんが俺の叫びに気がつき、捜索に切り替えてくれたらしい。


だが昨日は雨もあり捜索は無理と切り上られたが、潮の流れに見当をつけ幾つかの捜索隊を編成し朝早くから探してくれていたそうだ。

そうか…戦の方は大事になってなくて良かった。

いや、十分大事だったが。

未だ俺の首に腕を回しぐったりとしている彼女を見て想う。

意識を回復しない彼女は俺の首から腕を離そうとしない。ふと飯屋で彼女に首を締められたのを思い出し身震いする。

僅か三日前のことの筈だが大分昔のように感じられた。


◇ ◇ ◇


「季忠殿!」


神宮では久志本常興さんが野獣の面ではなく、柔和な笑顔で喜びを露わに迎えてくれた。


「常興さん、心配をかけた捜索隊の皆も本当に助かった」


俺は常興さんと皆に感謝する。


「して、その娘は?」


当然の疑問であり、今後彼女の療養を考えれば常興さんだけには隠し立てはできない。


「彼女は九鬼嘉隆の妹で名をしずかという」

「先日小平太を投げ飛ばし俺をしょっ引いていった本人であり…昨日常興さんの兵を何人か海に投げ飛ばした張本人だ」


それを聞き流石に常興さんの顔が渋いものになる。


「昨日先陣を切って6人の兵を海に投げ込んだ者ですか…」


6人も投げてやがったかこのメスガキさんめ…


「九鬼からの和睦の使者…という事にしてくれないか?」


無理な相談に常興さんの表情が一層渋いものになる。


「彼女は俺を常興さんに送り届ける使者だったハズなのだが、突然見境なく兵を海に投げ飛ばして…無理を承知で頼む、本当に争う意志は微塵も無かったのだ」


口に出すと我ながら意味不明で驚く、本当何考えてんだこのメスガキさん…

ははは…乾いた笑いがこぼれる。


「九鬼のお転婆…というには過ぎた「七転八倒姫」の事は聞き覚えがあります」


妙な二つ名つけられてますぞ、メスガキさん?

そして過去俺以外にも同じような狼藉を何度も繰り返していたのだと呆れる。


「探索の者から聞いた話では昨晩は相当無理をして彼女の命を救われたのでしょう」


あー蓑巻の女を背負った全裸の俺を見て彼らも最初は相当面食らっていたな…彼等からその無理の一端を報告されたのだろう。


「幸いな事に兵に死者は出ておりませぬ、ここは熱田の大宮司殿の顔を立て彼女を九鬼の使者として迎え入れましょう」


苦笑いをしながら応えてくれる常興さん。


「ありがとう、常興さん恩に着る!」


彼女の安全を確保出来た事に、自分の苦労が水泡に帰さなかった事に内心大きく胸をなでおろした。


◇ ◇ ◇


一室を借りメスガキさんを横たえる。

この時代は布団なんてものは無く、衣服を体の上に掛けるだけだ。

だが彼女を安全な場所に無事に寝かせる事が出来き心から安堵する。ここまでが本当に遠かった…

世話役のおばさんからは「殿方にはご遠慮頂きたいのですが」と嫌味を言われてしまった。

まだ俺も混乱気味で彼女に対し過保護になっているのを自覚する。

安全に休息出来る場所を確保したしここらが潮時か、出来れば意識が戻るまでとも思ったが、それだといつになるかも分からない。


彼女の薄い胸が自発呼吸でゆっくり上下している。意識はないようだが確かに生きている、十分だろう。


一人満足しその場から立ち上がり去ろうとしたその時、俺の裾に架かる指があった。驚いて指の主の顔を見る、潤んだ瞳がこちらを見つめていた。


「意識が…戻ったのか」


このまま目が醒めない事もあるのではないかと思っていたが…良かった。

猛禽類を思わせたメスガキさんの眼光にあの時の力は無く、年相応の少女の瞳で俺を見つめている。

暫くの後に俺の問に応えたのだろう、意識があると小さく頷く彼女。その顔には俺を罵倒する事しか頭になかったメスガキさんの面影はなかった。何処か儚げでまるでお姫様のような表情だった。


彼女はゆっくり口を開き、俺は拡声器を思わせる甲高い鼓膜を震わせる大音声を覚悟した。


「…いか…ないで」


彼女にいつもの威勢は無く、か細く懇願した。

彼女からすれば昨日戦った相手の屋敷、敵地の真っ只中というのは不安なのだろう。肩には傷もあり心細いのを理解する。

やはり俺は少し情が移って過保護になってしまっているようだ。


「大丈夫だ、ここにいる」


俺は彼女を安心させるよう手をしっかりとにぎり、目と言葉、そして掌の温かみで彼女に伝える。

俺のその言葉に彼女はあのDQNメスガキさんと同一人物なのか疑わしい可憐な笑みを向けた。

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