第十二話 二月の伊勢の海
憤怒の常興さんが伊勢の海原に咆える。
「ウチの客人にナニしてくれんだゴラァァァァ!!」
いつもの温厚な常興さんとは別人すぎてビビる。俺のこと心配してくれるのは嬉しいがギャップありすぎてこええよ!
「神宮の久志本の当主じゃねーか!アイツ怒らすと具教と同じくらいやべーぞ!!」
ええ…そんな常興さん…マジなん?
「兎に角大枠は理解した、今は野獣久志本をなだめる為にお前の顔を見せてやれ!」
野獣…?妙な二つ名を持ってるんだな常興さん…
「このワカメ!オメーはよぅついてこい!!」
メスガキさんに引っ張られ急かされる。
今回は具教の意図を伝えたのと九鬼嘉隆と顔を通せたことで良しとしよう。
「近いうちまた会いに来る!」
それに髭もじゃの九鬼嘉隆が良い笑顔で応えた。
「おう、また来い!!」
声がでかい以外は本当に人の好さそうな男だ。九鬼が熱田のウチの領内に住むならこの男とは今後長い付き合いになるかもしれない。この大音声に少しは慣れないといけないかもしれないが、その前に羽豆崎の城と熱田の親父殿、そして場合によっては三河の松平にも話をつけないといけない。
そうして初めて伊勢の海に平穏が訪れる事になるだろう。
少し道のりは長いが桶狭間で運良く生き延びた余生のような人生だ、求められるならやれるだけやっていこう。
「しずか!今度こそ丁寧にやれよ!」
嘉隆が目下一番の問題児メスガキさんに声を掛ける。
「わかってるって!!!!」
そう言ってメスガキさんは蓑に巻かれた俺を乱暴に引っ張り出していく。分かってない、全く分かってないからこの娘、全然丁寧の意味を理解してない!
一人で三人分姦しい彼女の姿と声が消え波間に戦の喧騒が辺りを支配する。
「まったく…千秋と縁を持ちたいからわざわざ迎えに行かせたってのにあのバカは本当になんも分かってねぇな」
九鬼嘉隆は誰に聞かせるともなくこぼす。
◇ ◇ ◇
「遠からんものは音にきけえええ」
すごい、波の向こうから常興さんの本気の声量で口上が聞こえる…でもそれって合戦の前の口上じゃん!?
やめて!わたしのために争わないで!
だが止めようにも俺の声では波間に掻き消され、常興さんの所にまではとてもではないが届かない。
そんな中、メスガキさんは身の軽さを生かして八艘飛びが如く舟を飛び移った。この揺れる舟の上での安定感と身の軽さに驚くがメスガキさんは飛び移った先の舟でばったばったと兵を海に投げ込んでいる。
なんなら船方まで海に投げ込む見境の無さよ…
しかし舟の上で柔の技は強い、脳まで筋肉で出来ているとしか思えない強さで大の男相手に無双している。
ただ伊勢側も船上戦を想定していたのか海に投げ込まれた兵の着ている鎧は竹製で沈む事なく浮いている。あれなら命に別状はないだろうがそれでも季節は二月、凍るような寒空の下、凍える海に落とされたいとは思わない。
感心している場合ではない、そもそも俺達が争う必要は全くないのだ。ちょっとメスガキさん?俺を常興さんのトコに届けるだけでいいだろ、なんでバッタバッタとちぎっては投げしてんの!?
ホントにバカなのこの娘!?!?
「ワカメーー!何チンタラやってんだ!!!」
そんな俺にメスガキさんから檄が飛ぶ。
「おせぇぞ!はよ来い鈍ワカメ!!」
檄になっているのかもよくわからない罵倒の数々。容赦なく先を進む彼女に対して俺は応える。
「蓑に巻かれてそんな器用な事出来るか!」
いやまぁ蓑巻にされてなくても八艘飛びなんて出来ないけど。
「じゃあさっさとソレ脱げやバカチンが!!!!」
即答で裸になる選択を強要するメスガキさん。この時代わりと半裸の男は多く肌を見せる事や見る事に抵抗はないのかもしれないが俺はこんな寒空の下で全裸になるような特殊性癖を持ち合わせていない。
「女の子が男に服を脱げとか言うもんじゃありません!!」
そうして全ての責任を彼女に転嫁した。いやまぁ大体十割彼女の責任ではあるのだが。
「は!?」
「ハァーーーーーーーー!?」
彼女の双眸がこちらを暫く睨んだような後に、視線を宙に泳がせた。戦場の喧騒と波の音の中、妙な沈黙が流れる。
「だ、誰がおまえなんかの貧相な…」
「その…無様で侘しくて惨めで…不格好な…」
…なんだか歯切れは悪いが罵倒する意思だけはしっかり伝わってきた。
だが二月の極寒の中、不格好であってもこの蓑巻を捨てるなんて選択はない。敵?味方が入り乱れる衆人環視の中、約全裸の褌一丁で戦場を駆け回りたくもない。先も言ったが俺にそんな性癖はない。
だがそこまであからさまに狼狽えられるとなんだか俺までいたたまれなくなり恥ずかしくなってくる。少しキマリの悪い事を言ってしまったと反省するが、彼女にはもうちょっと慎みをもった発言を心がけてほしいものだ。
あとせっかくだから全体的に俺への罵倒の文言も減らしてほしいかな。
俺と彼女の間には時の止まったような沈黙があったが、大立ち回りする彼女を戦の先兵とみたのかメスガキさんの乗っている舟に矢が射かけられた。
舟に矢の刺さる独特の鈍い音で俺達は気が付いたが、同時に彼女の肩には矢が刺さっていた。
「ヅッ!」
短い悲鳴を上げた彼女は一瞬驚いた顔をし、肩に刺さる矢の衝撃に体勢を崩し、舟から落ち小さな水しぶきを上げた。
普段は泳ぎも達者であろう彼女は腕を動かそうとして矢傷の痛みに身じろぎし大量の水を吸ったか咽る声も出さずに海の中に沈む。
「しずか!!!!」
俺は思わず大声で叫ぶが彼女の反応はない。
周りの舟や遠くの常興さんが反応したように思ったが気にしている余裕はなかった。
不味い!彼女はあれで九鬼嘉隆の妹でこの話し合いでの重要人物だ。彼女に死なれては纏まる話も纏まらなくなる。
俺は彼女を助ける為に蓑を束にして脇に抱え二月の凍り付きそうな伊勢の海へと飛び込んだ。
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