第十一話 海賊王九鬼嘉隆

「丁寧に連れて来いって言ったろ!!!!」


朦朧とした意識の中、大音声が耳に刺さり脳に覚醒を強要する。

波の音と揺れから舟の上のようだが、それらをかき消すが如き声量の暴力が戸板越しに俺の三半規管を打ち抜いたのだ。


「だから丁寧に連れてきたんじゃないの!!」


それに応じる鼓膜を鋭く穿つ甲高い女の声。両者は百メートル先にも届きそうな声量で言い争いをしている。戸板の一枚二枚は誤差の範囲だ、彼等の声を妨げる壁にはなり得ない。波の音を掻き消し罵倒を繰り返す二人の声に俺は切に耳を塞ぎたいと願うが生憎手足が動かない。怪我で動けないのではなく、どうやら全身を何かで包み縛られているようだ。


「蓑で巻いて縄で縛って運んでくるのは丁寧とは言わねぇんだよ!!」


なるほど、俺は蓑に巻かれて縄で縛られているから動けないのか。


◇ ◇ ◇


九鬼嘉隆(くき よしたか)が咆える。


「海賊じゃねぇ!!!!!!」


首斬りマッスィーンの北畠具教が言っていた九鬼という海賊の親玉が目の前にいる。その事をオブラートに包んで話したつもりだがどうも認識に齟齬があったらしい。海賊面の大男の怒声が部屋を圧壊させそうな音圧で空間を支配する。

腹、頭、耳、脳、とにかく全身に響く音の圧が凄い。音で俺を圧殺せんとする強い意志を感じる。


「ウルセーーーよ兄貴!!!!」


部屋の圧力の色を負けじと変えようとする、俺の隣に座る九鬼しずかと名乗ったDQNメスガキさんが叫ぶ。

俺の鼓膜は破壊寸前。

もうやだこの部屋…


とりあえず縄は解かれたが着ているものは褌のみ、なので俺は蓑で巻かれたまま九鬼嘉隆、そして九鬼しずか両名の前に座る。


「千秋季忠殿だな」


面識の無い髭面の悪漢に俺は名前を呼ばれる。約全裸で身を守るべき刀も無く心細い。

だが俺の覚えている貴重な未来知識の歴史の教科書(小学五年生)で九鬼嘉隆なんて海賊に覚えはない。

しかしこれだけ迷惑なヤツの事を歴史に少しは残しておくべきだろ…俺は未来の教科書委員に心の中で文句をつける。


「千秋殿の話は聞いておる」


俺は困惑の表情が表に出ないように努める。

え?いや、ちょっと何それこわい…俺の何を知ってるの、っていうか千秋季忠って俺が知らないだけで有名人なん?教科書に載ってた覚えないんだけど?


「まぁ今後はよろしゅう頼むわ」


いやいや待って待って怖いんだけど?自分の知らない事を一方的にこの髭の悪人面の大男に知られてるのは正直恐怖でしかない。


「町でアタシらを嗅ぎまわってたこの胡散臭い蓑巻きのアホ面不審者を兄貴は知っとったんか?」


すごい。

すごい流暢に少女の口から丁寧に罵倒の言葉が飛び出してくる。訝しげにゴミを見る目で俺の眺めるしずかさん、どうやらこの髭の海賊の妹らしい。

アホ面はどうしようもないけど胡散臭いと罵倒するならせめてもう少し文化的な恰好させて欲しい。俺をこんな否文明的な格好にしたのはアナタですからね?

俺だって好き好んで蓑巻きファッションを嗜んでいる訳じゃないんだぞ?


そんな逡巡をしているとメスガキさんのお兄様が俺の身元を話す。


「知っとるわ、千秋季忠殿は熱田神宮の大宮司で羽豆崎の城の主じゃ」


その言葉に驚ききょとんとしたしずかさん、黙っていれば可愛いのにな。

そして再び罵声を紡ぐ為にその小さな唇を動かした。


「……は?このよわっちいざこワカメが大宮司で城持ち?」


どういう教育を受けたら言葉に一々罵倒語をつけて喋るようになるんだろうか…

似ても似つかない兄の顔は目の前にあるので分かるのだが本当に親の顔が気になってきた。


「だから丁寧に連れて来いって言ったんだろ!!!!」


声量だけでぶっ飛ばされそうな怒声がしずかさんを襲い、おまけに俺までぶっ飛んだ。


◇ ◇ ◇


「北畠にもそれなりに損害を出させたが…こっちは滅茶苦茶に負けて城まで失い、これ以上ない程に気持ち良くやられたわ!」


九鬼嘉隆はカラカラと笑い、自らの負けを認めた。その言葉からは北畠具教を意識し、尊重している雰囲気を感じる。


「やっぱりアイツに逆らって良いこたぁねぇわな!」


殺し殺され城まで追われたにしては思ったよりも理性的だ。怒りや恨みよりもその髭の海賊顔にはしんみりとした旧知の友を想うような表情を浮かべてすらいた。

そこに全力で冷や水を浴びせる叫び声が響く。


「アホか兄貴!!あんな子を庇って城失って一族郎党命からがら逃げ出してきたんだぞアタシら!?!?」

「何処までお人好しなんだよ!?!?!?」


DQN少女の指摘に嘉隆は反論できないようだ。

細かい事はわからんが嘉隆が「あんな子」というのを庇って領主の北畠と戦って城を失ったという雰囲気だ。北畠も領主のメンツから伊勢にはおいておけないが、湾内の島や他領で元気にやってほしいとそう言ってたのか。


伊勢神宮はその巻き添えになる事を恐れ、俺が巻き込まれた…と。

北畠と伊勢神宮が俺を頼ったのは伊勢から八里程度の羽豆崎に丁度一定の権限があるとみての事だろう。

「あんな子」が一体なんなのかは分からないが子供を庇って城まで失ったとは九鬼嘉隆なかなかの漢だ。個人的にはそういう義侠的な行動は嫌いではない。まぁそれに巻き込まれた者は不満だろうが。


そして俺は一応城を持っている…いたかもしれん。

俺は羽豆崎も羽豆崎の城の事も桶狭間の後、完全に頭の外にあった。城に残してきた部下の顔を冷静に思い出す。

そういう一切合切を親父殿に任せて全て放って出し、今の今まで忘れてしまっていた。

我ながら無責任なものだ。


だがここは俺の感傷に浸る場ではない、貴重な話し合いの場だ。

俺は具教と話し合った伊勢への立ち入りの禁止と島や他領への移住の件、伊勢湾の水先案内、警備、海賊の掃討そして鯨漁の諸々を伝える。


「ただ北畠は羽豆崎の土地を当てにしているようだが羽豆崎がどうなっているのか俺も確信が持てない」


引き続き親父が管理しているとは思うが、三河の松平が接収している可能性もある。


「先ずは羽豆崎へ向かい状況を確認したい。そしてその後、熱田に行って親父殿と話し合い、そして鯨を納める魚港の話をする」


鯨とってこいっていって簡単に行けるなら苦労はない。


鯨が入れる港、巨体を解体する為の基地、それを卸す町と業者、そして運ぶ為の街道。

冷凍技術のないこの時代、せっかく鯨や魚を獲ってもそれをきちんと保存用に加工出来なければすぐに腐った肉塊になる。

だがきちんと整備して食肉工場ができれば波豆鯨とでも名付けてブランド化も出来るだろう。


そんな捕らぬ狸に想いを馳せているとしずかさんから妙に冷静なツッコミが入る。


「あのさー…あのイカレ首斬りヤロウがそんな約束を守るとでも?」


伊勢国主北畠具教の評価をしずかさんが、罵倒語で優しくデコレーションして懸念を伝えてくる。


「それは…」


そう言われると確信が持てない。不本意ではあるが俺の具教に対する評価はアタマカラッポそうなしずかさんの評価と大差なかった。

今の話もほとんどは俺が勝手に都合良く描いた話であって北畠具教が守るかどうか確信が持てないでいた。

しかしあの場で見せた具教の表情は害意も殺意もない友人の安堵を願うようにも見えたのだが…このDQNメスガキさんを納得させるには根拠が弱いとは感じた。

だが嘉隆は違った。


「アイツは守る男だ」


静かに、だがはっきり言い切った。

それに苦々しく顔を歪めるDQNメスガキさん。なるほどこの声この佇まいで決断をされると従わざるを得ない、そんな空気を感じた。この声色に皆付き従う決意をしたのだろうな。


その時何かが舟の戸板に刺さる音が鈍く響いた。辺りの舟の喧騒が伝わってくる。


「オカシラ!ーー敵襲です!!」


「なんだとおおお!!旗印は何処だ!?」


「それが…三つ柏…伊勢の久志本です!」


え、常興さん?


「九鬼ィィィ!おどれ和睦の使者相手に何さらしとんじゃあああああ!!」


普段の柔和な物腰からは想像もつかない鬼の形相で常興さんが舟の先頭に立ち咆えていた。

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