第九話 首斬り国主北畠具教
俺は何の因果か伊勢神宮の宮司、久志本常興(きしもとつねおき)さんと共に伊勢の国主、北畠具教(きたばたけとものり)の前で頭を垂れて土下座している。
俺には分かる、こいつはヤベー奴だ。
人を撫で斬りする事を厭わない強い意志を感じるガンギマリした目をしている。
もらしそう。
義元とは違うヤバさをその漆黒の瞳から感じる、相手を見た瞬間に『コイツをどういう剣筋で撫で斬りにしたら良いか』そういういやらしい思考が瞳から漏れ出ているのだ。
良くねぇから!
この北畠具教の深淵を湛えた目を見て、きっと格上のヤバさであったであろう織田信長と直に会わなくて本当に良かったと変に安堵もした。
今はもらしそう程度で堪えてはいるが、俺の小学校5年生程度の歴史教科書知識で知っている大人物に会ったらもう即脱糞する事をここにお約束する。
目の前の
「先日我が地伊で不貞を働く海賊共を皆殺しにするべく掃討に出た」
挨拶もそこそこにいきなり物騒な話だな…
「海賊共の首を撫で斬りにし、伊勢の地も静けさを取り戻したのだが…」
お通夜的な静けさだろ…
一応神職ににある俺としてはお伊勢さまの土地を血で染め上げても大丈夫なんだろうかと心配になる。
「だが陸と海では土俵が違う、賊は今も海で燻っており伊勢の海まで伊勢守の威光をもって保障されたとはいえぬ。放っておけばまた燃え広がろう」
ああ、皆殺しにしたくてたまらなかったのに逃げられて残念がっているという頭おかしい発言か。まぁ陸と違って船での戦となったら追うのも一苦労だ、皆殺しなんてそうそう出来ないだろう。
「海賊共には十分に煮え湯を飲ませた、故に我等に遺恨はない」
遺恨ないとか勝手な事を…一方的に殴りつけておいて気が済んだからもういいやというサイコパスムーブだな。
こんな絶対に関わりたくないあたおか系の人種が何故こんな眼前にいるんだよ…よほど俺の日頃の行いが悪かったのか、前世の罪業が深いのか。
「そこでだ、伊勢の海は伊勢の大神の聖域、其処元らの意見を聞きたい」
伊勢は材木の輸出を生業にしている、小回りの利かない重い木材を載せた船は海賊の格好の的だ。この輸出業は海路の安定が必要不可欠でそのために海賊の排除が求められる。
それで伊勢の海は伊勢神宮の管轄なんじゃない?なんとかしてって所のようだ。
千秋季忠の記憶にも海賊退治の記憶があった…が、まぁ今回とはかなり前提条件が違う。この時代の海運に携わる国主において海賊退治は『よくある話』なのだ。
しかしこりゃ常興さん随分無茶振りされたもんだなー。
今回の主役、伊勢の海を奉じる伊勢神宮の宮司、久志本常興さん。
彼は俺と同様に宮司であり神を奉るが、いざとなれば国主の為に兵も出す。この時代ではありふれた武将だ。
主役の彼が面倒事に巻き込まれるのを目前で見て同情しているが、それと同時に何故俺がこんな場違いな鉄火場にいるのか疑問を感じた。
「そこで今日は久志本殿から知恵者と評判高い熱田の大宮司、千秋季忠殿のお力を借りようとお招きした次第だ」
…は?
俺は思わず横に座る常興さんに視線を向けると常興さんは申し訳なさそうにこちらに目配せをしてきた。
突如として降って湧いた面倒事に体が強張るのが分かった。
ちくしょう!常興さん人の好さそうな顔して俺をはめやがったな!?
この場で
俺はできるだけ人前で泣きながら脱糞をしないと決めたのだ。
できるだけ。
故にもう少し穏便にこの鉄火場から逃げる為に考えを巡らせる。
「えーと…彼らを水軍として雇うとかは…?」
海賊も自らに利のある条件があれば動くかもしれない。
「彼奴らがこの神聖な伊勢の地を踏むことは断固として許せん、打首獄門にしてくれる!」
この人ほんとに首斬るの好きだな…首斬りマッスィーンめ…
雇う金がないか、遺恨ある相手を身内にしたくないか、はたまたただ首を斬りたいだけなのか。他に理由があるのかもしれないが今の言い方だと伊勢に彼等の居住を得るのも難しそうだ。
「海賊は現在伊勢の海の島を拠点にしておるが我とて人の子、伊勢の地を踏まぬのなら仏の心で許してやろう」
遺恨無いとか言いながらも上から目線の一方的な要求だな…まぁ伊勢守なんて役職頂いてるのだから上なんだろうけど。
ただ海賊が島を拠点としているなら生活には困窮しているだろう、飲料水の確保だって一苦労だ。
明日を考えないヒャッハー共では交渉の余地は無いだろうが、海賊にも家族との生活があるのならその生活を保障する事でなんとか彼らと交渉し管理できないものか。
伊勢領はアウト、諸島ならセーフ。
そして他領も多分セーフだ。
「それならば…海賊共に首輪を付け子飼いにする事をお許し頂けますでしょうか?」
ここの言い回しを共存とか言ったりすると俺がこの場で斬り殺されかねない。そういう剣呑な雰囲気を深淵の目から感じるのでなるべく言葉を選んで紡ぐ。
「ふむ」
具教は少し思案する。
「その方がその手綱をしっかり握り伊勢の海が平穏であるなら其処元も異論はない」
しっかり手綱を握れてないと言いがかりをつけていつでも斬り殺すとも取れるがとりあえず話合いの余地…俺が無事五体満足で此処から出れる可能性はありそうだ。
「大きな海賊を伊勢湾の水先案内として神宮が管理し、伊勢湾の警備をさせ規模の小さい海賊を取り締まらせます」
「島は警備の拠点とし、新たな海賊が住み着く事を防ぎ、それとは別に彼等の居住地を他領に用意しましょう」
「ふむ…他領であるなら口は出さぬが其処元にそれが出来るのか?」
深淵の目が俺を捉える。
その「他領」については一応心当たりがあるのだが…
「正直話し合い次第です…が、可能性はあるかと」
具教の深淵を湛える瞳に俺が映り、溺れている。こわい。
「血の気の多い海賊共がそのような生温い水先案内などといった生業で納得するものか?」
この時代少なくない蛮族が存在する、目の前の具教も俺からすれば蛮族の一人ではあるが。
そんなヒャッハー共が大人しく水先案内なんてやるとは思えない、むしろ利権を当然の権利と解釈し無限に拡大させていくだろう。
小規模の海賊の取り締まりは良い案だと思ったが特権だけに依存させるではなく自身で稼ぐ生業が欲しい。
「その者らには鯨を取りに行かせます、水揚げする港の整備も長い目で見れば土地の発展に寄与するでしょう」
きちんと整備した港で肉を加工すれば金になる。俺は神社を作って鯨の御魂でも祀ろう。
だがあまり海賊への処遇に手厚くしては具教の殺意が俺に向くかもしれない、慌てて具教の顔色を伺う。
「ふむ」
具教は何処か満足気に漆黒の目を細めて思案している。
「目下海賊共の最大勢力は九鬼であろう」
九鬼…なんかスゲー名前だな…
「話が纏まる事を願っておる」
そう言って具教は退室した。
…生きた心地がしなかった…が今日も脱糞は免れた。落ち着きを取り戻し息を吐く、そして震える抗議の目を横の常興さんに向ける。多分俺は今結構ヤバい顔してる。泣きそうだ。
「も、申し訳なし」
開口一番謝ってくる常興さん。
「ですがこの問題は伊勢だけでの解決が難しく…」
言いたい事は山ほどあるが、とりあえずたった今絵を描いて示したのは俺だ。
それを放り出して逃げるワケにもいかない、先ずは海賊と話し合いの席を設けよう。
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