第58話 閑話:(第三者視点)ある国王の独白
3462日目~3466日目。
始まりは定かではない。
その日、帝国と共和国で戦争が勃発する、という噂が市場を駆け巡った。市場では、我先とばかりに商品を買い求める者たちが続出した。
帝国とも共和国とも遠く離れたバスキア領が、戦火に巻き込まれる心配もほとんどないというのに、商品をそうやって買い集めるのはおかしいのではないか――という冷静な意見は、大多数の騒ぎでもみ消されてしまった。
先物が欲しい。現物が欲しい。そんな声が一気に高まった。
証券取引所は大勢が一気に押し寄せて騒動になり、スライムを駆り出して混雑整理を行う羽目になった。くる人くる人に整理券を配り、列を乱す人や我先と争う人をひっ捕らえ、混雑解消のためにたくさんの人員を駆り出してまでして、辛うじて暴動を免れているという状況である。
(だが、依然として人々は熱狂のさなかにある。おかしい。戦争の勃発なんて情報、俺には回ってこなかったぞ)
近隣の四男爵らにも、チマブーエ辺境伯にも事前に手紙を送ってみたが、戦争をするという情報はつかんでいないらしい。クソ大司教の伝手を使って調べたが同様である。
他国とも交易の接点を持つ貿易港もあり、人通りが盛んなバスキア領だからこそいち早く情報が舞い込んできたとも考えられる。
だがしかし。
(戦争が起きるという噂はおそらく嘘だ、相場を荒らすだけの風説の流布に違いない。早めに鎮静化を図らないとまずい)
そう、おかしいのだ。セントモルト白教会の大司教や、チマブーエ西方辺境伯の耳にまだ届いていないような重要な情報が、民間で伝わってくるだろうか。
普通に考えて、情報の伝播速度が遅いのは一般人である。どの国とどの国が戦争を準備しているという情報は、極めて機密性の高い情報である。当事者の二国であっても、何の意図もなしに積極的に広めたいものではない。
だというのに、一般人がなぜかこの手の噂を声高らかに言いふらしてまわっている。いろいろと考えておかしい。
そもそも戦争状態とは、始まりを明確に特定することが難しく、片方の国が入念な準備の後に宣戦布告を行って始まるものもあれば、トラブルから一気にもつれ込んで後追いで宣戦布告を行うものもある。
前者ならば、奇襲を兼ねて直前まで情報を隠匿するし、後者ならばそれだけすでに緊張状態になくてはならない。
いずれにせよ、こんな噂だけが先行するのは不自然極まりない。
証券取引所には、今、怒号が飛び交っている。我先にとあらゆる商品を買い求める声が響く。
商品の先物価格もどんどん高く伸びていき、見たこともない数字にまで達している。小麦や大豆などの、緊急事態措置の発令対象ではなく、衣服やら香辛料やらお酒の先物価格が急騰しているというのが、また歯がゆい。
(帝国と共和国の不仲は有名だ。緊張状態にあってもおかしくはない。だが、現状は、あくまで外交上のいちゃもん付け程度しかなくて、交易が極めて少なくなっているだけで、小競り合いもあくまでお互いの示威行為だというだけのはずだ。まさか情勢が変わったのか? いやでも、しかし)
こういうとき、バスキア領の弱点が露骨に出てくる。
他領地の情報の正確な把握。
自領地内に蔓延っている虚偽情報の排除。
どちらも、今のバスキア領には欠けているものだ。
(! 待てよ、うちの領地に押し付けられた難民たちが何やら言ってたな。共和国と帝国は仲が悪いとか戦争云々とか。これは、もしかすると……)
まさか、難民をうちに押し付ける段階で、すでに工作の下ごしらえを済ませていたというのだろうか。
すでに難民たちにあることないことを吹き込んでおいて、それをすり込んでおいて、そして今になって火をつけたのだとすれば。
バスキアの領民たちが、高度な教育を受けているものが少なく、市民議会のような政治的議論を行う慣習もない――という点に目をつけられてしまったのだとすれば。
(……この一連の騒動、バスキアの経済を崩壊させようと手を引いているやつがいる、ということか?)
戦争の噂につられて、商品価格は異常に吊り上がっている。
そしてそれに輪をかけて、実際の商品価格よりも先物商品価格がひどく乖離して高騰している。
民衆は市場の熱狂にあてられて、次から次へと商品を買い集めようとしている。
バスキアの経済は、かつてないほどの混乱に陥っている。
ふと、思い出したのは、かつての日の国王の言葉。
「茨の、道……か」
まさにちょうど、この折に際して国王より一通の親書を貰っている。内容は、バスキア領の状況を
かなり遠回しではあるが、裏の意味を読み取れば"バスキアを王家直轄地として引き渡せばすべて解決する"という催促でもあった。
ありとあらゆる発展が起きている奇跡の領地、バスキア。
それに首輪をかけるとすればどのようにすればいいか――その答えを今、暗に示されている。
すなわち、政治的な工作。
◇◇◇
「――政治的な工作だけが、あのバスキア領へ打ち込める唯一の楔になる。あのチマブーエ辺境伯にも、枷をはめる必要があろうな」
リーグランドン国王、ギュスターヴ・クールベ・リーグランドンは、数々の策がようやく実を結んだことを確認し、大きく息を吐いた。
バスキア領。
人もほとんどおらず、ろくな統治さえもできていない、大陸からも見捨てられた場所。
社会の吹き溜まりとして機能していたこの場所が、今や、世界の誰しもが知る発展の地になっている。
農業も、工業も、流通も、観光も、さらには金融まで。
やることなすこと、節操もなく手を広げては、しっかりと成功を収めている。
さらには、最近は催し事を積極的にバスキア領にて開催し、人々を多く集めて、文化の発信地として機能し始めている。
これが何を意味するか。
いまやバスキア領は、王都よりも国際的な影響力を持ちつつあるのだ。
(王都で下水道の整備をさせたころが懐かしい。あの時は驚いたものだ。あの一件を経て、あの男は追放せねばならん、と確信した)
ギュスターヴは愚かな王ではない。統治の手腕は奇を衒うところがない。
まごうことなき王道。人の能力を信じず、代わりに仕組みを重んじ、それを整備することに血心を注いでいる。
有能な人物を厚く遇する王はいる。人を見る目がある、とその王は賞賛される。だが後世の歴史書にはそうかかれないことも多い。なぜならその有能な人物に叛乱を起こされた時に、いともたやすく瓦解するからである。
有能な人物も厚く遇するが、あくまで制御の効く形でなくてはならない。
国王ギュスターヴには一つの強い行動理念がある。それは、千年王国の礎たらんこと。
そのためには、あの危険すぎる力を上手く排除して、何とかして適切な制約をかける必要があった。
冒険者ギルドの強い後押しもあった。
国を超えて強い影響力を各地に持つ傭兵団のような連中。もとい、国に所属しないが故に誰も手を付けることができなくなってしまった強大な利権組織。表社会から裏社会まで、暴力で遍く広く、様々な場所に顔を出しては影響を及ぼす集団。
白の教団と、冒険者ギルドは、一国と真っ向から戦うことができる組織である――とはよく言ったものだ。
そんな冒険者ギルドから、あの男は蛇蝎のごとく嫌われている。
あのアシュレイという男は危険である、王都から遥か遠くに追放せよ、と、名指しで横やりを入れてくるのだから、よっぽどの事であろう。
(金を生まず負債のみを生みだすバスキアの地方を、あの男は見事にまとめ上げて、国にとって肝要な貿易地にしてしまった。その手腕、目を見張るものがある。全く惜しい男だ)
ギュスターヴは考える。王家に味方すれば安泰であったのに、全く惜しい男である、と。
バスキア領を王領として、王家直轄地にしてしまえばよかったのだ。
そうすれば、伯爵領相当の重税を王家に治める必要もなかった。
王国議会だって、こんな内政干渉のような強引で露骨な議決にはなかった。
その後も、凶悪な罪人の押し付けや、難民の押し付けという嫌がらせを受けることもなかった。
全て、王家直轄地という威光によって退けることができる程度の些事だ。
だが今のバスキアには、それを対処できるほどの政治能力がないのだ。
(知っているとも。人を受け入れることぐらい大したことがない、と思い上がっていたのだろう。甘く見たな、バスキア子爵)
労働力を欲していることは、ギュスターヴの目から見れば明らかだった。だから名目さえ用意すれば飛びつくと予想していた。
時間稼ぎをしたいという事情も透けて見えた。切羽詰まっているのは明白であった。
だからこそ、
難民を送りこむという嫌がらせ。
難民の処遇に悩んでいた各諸侯からも喜ばれる施策であったため、中央貴族に反目していた諸侯たちから譲歩を引き出す一手にも使えた。
更には、密偵をまぎれ込ませる作戦として。
とどめに、バスキア領内の経済活動を攪乱させる毒も仕込んでおいた。戦争を匂わせるような風説の流布と、それにより大きく一儲けすることを許可する密約を、大手商会たちと結んで、準備は整った。
そんな中、まさかバスキア証券取引所なるものを開設するとは、はっきり言って予想外であったが――渡りに船とはこのこと。鴨が葱を背負って来たのだ。
あとは、通常の商品取引のみならず、先物商品取引を活用して、市場価格を大きく変動させてしまえばいい。
(さて、あとは価格安定のための非常事態宣言の発令の許可を求めに来るだろう。チマブーエ辺境伯は迅速に許可を出すだろうが、王命でそれに待ったをかける。慎重な調査が必要だ、と時間を稼いでいる間に、バスキア領の経済は大いに荒れるだろう)
バスキア領は、素晴らしい領地である。
魔術研究所を自前で用意しており、技術革新は申し分ない。産業も十分以上に育っており、さらには大精霊が見つかったという素晴らしい"権威"がある。
バスキア領が、一点欠けているもの。それは政治的な力。
国王ギュスターヴとて、あの"猛牛"チマブーエと渡り歩いてきた老獪な為政者である。すべては国の安寧と繁栄のため。
"化け物"を飼い殺すための包囲網は、徐々に完成に近づきつつあった。
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