第57話 刑務所の労働環境の改善・予実管理の導入

 3442日目~3461日目。

 とうとう刑務所の環境を、より快適で過ごしやすい場所へと整えることにした。

 これには領主代行からかなり強い反対があったが、俺は労働生産性の向上のためにやむなしと判断した。

 懲罰の観点から囚人への罰は厳しくあるべき、という意見も十分にわかる。特に、領主代行のおっさんは普段裁判で罪人たちを裁く仕事についているから、懲罰を与えて罪の深さを噛みしめてもらう重要性をよく知っているのだろう。


 だが俺は、膨大極まりないバスキア領の事務作業を処理するためには、労働環境の改善が必須であると考えた。


(だって、もっと業務をしっかりこなしてほしいしな)


 まずは寝具。清潔な麻布のシーツを用意し、暖かい毛布を複数用意した。

 次に部屋。人を落ち着かせる心理効果のある観葉植物を用意し、隙間風が入ってくるような亀裂は全部埋めて、光を十分に取り入れるため広い窓を採用した。


 食事も栄養バランスを考えて、野菜と肉と穀物を美味しくとれるように日々の献立を考えた。囚人から希望があればそれも積極的に採用するようにした。

 朝起きたら軽い体操を行う。昼休みの時間は食事だけではなく、刑務所内部の中庭で身体を動かしたり、球技で遊ぶことができるようにする。盤上遊戯や読書などの娯楽も与える。

 衣類、室内装飾品、嗜好品、日用品などは刑務所内で自分で購入できるようにする。


 極めつけは風呂だ。風呂はバスキア火山迷宮の源泉から引いてきた温泉に漬かることができて、マッサージも受けることができる。長時間座りっぱなしでも、これで翌日まで疲れを残さないだろう。


 ここまで快適であれば、きっと領民からは不満の声が挙がるだろう。

 下手をすると、自分の生活よりも豊かじゃないか、と言われてしまうかもしれない。だが俺はこの改革を断行した。


 理由は単純である。全ては労働生産性を引き上げるためである。

 要は、日々こなしてもらうノルマを増やしたいのだ。


(まずは予実管理をしてほしい。数値目標に対し実績がどの程度進捗を記録しているのか、それを記録してほしい)


 予実管理。

 平たく言えば、予測値と実績値の乖離を取ることだ。


 迷宮倉庫の在庫数。領地内の税収と支出。関所を通る交通量。農作物の収穫量。とにかく数値を取って管理しているものはほとんど全て・・・・・・が予実管理の対象だ。なので扱う数字が一気に増える。

 これを伝えたときの監獄内の罪人たちの反応ときたら凄かった。絶望して叫ぶ奴もいた。泣き崩れる奴もいた。


 実際の数値があればいいじゃないか、という意見もある。予測値なんて意味がないし、実際に調べたときの数値がわかったら十分じゃないかと。そもそも予測値を作るのか手間である。昨年、一昨年、それより昔の実績値をわざわざ調べて、その年の経済活動が活発だったか不況だったかなどの外部要因も加味して係数を乗じて……と行うべき仕事は一気に増える。


 では何故こんなことを行う必要があるのか。


(バスキア領が成長するにつれて、事業の多角化が著しく進んでいるからだ)


 参画している市場の多角化。貿易港を有し、倉庫業、金融業、観光業、工業、農業、イベント興行、その他諸々――バスキア領の手を付けている事業は、とにかく手広くなりすぎた。


 多角化が極端に進むと、経営者の認知限界を超えて事業が肥大化する。現状が良いのか悪いのか、それを把握するのが飛躍的に難しくなるのだ。


 本来、多角経営の利点は、事業間の連携にある。自らの組織内で資源を融通しあうことで、普通ならもっとコストがかかったり時間がかかるところを、より早く、より安く、調達・提供することができるのだ。

 さらに、多角経営を行っている分、ある事業が不調でも他の事業が好調であれば穴埋めが効く。好調なものだけ残して不調なものは潰す、ではない。実はその不採算事業のおかげで他の事業が下支えされているということもある。


 では、どう把握するか。

 ただでさえ数が多く、把握が難しい各事業。市場動向も、実績の推移も気に留めないといけない。そこに多角経営による資源の融通が起これば、紐解くのが非常に困難になる。


 そこに生産活動の数値的な検証が必要になるのだ。

 予測値を建てて、実績値がどこに着地するのかを見る。試行錯誤トライアンドエラーの考え方、そして知見の蓄積。


 逆に言えば、予実管理がなければ、その事業にかなり精通している必要がある。個人の能力に頼り切りになってしまうわけだ。それはかなりまずい。


(予測値を立てる数値分析の専門家、を養成するのも面白いと思うんだよな)


 バスキア領には新規ビジネスの事例がたくさんある。新たに商売を起こしたい人間に、積極的な融資を行っている。

 だが、成長途上にある事業は、設備投資や開発投資といった一方的な出費に耐える期間がある。収入が入ってきて事業が立ち上がるまでに、それに耐えられるか。

 そのような"予測値を立てるための知見"を、バスキア領ではどんどん蓄積・研究したいところである。


(うちにも経理担当者はたくさんいる。財務官がこれを一手に担ってくれている。だが、彼らには数字の計算・・の専門家ではなく、数字の予測値の妥当性検証・・・・・・・・・の専門家になってほしい)


 例えば、ある製品の価格を三割引き下げるという戦略的意思決定をしたとする。

 そのためには、調達先や生産工程をどのように調整するか、販売数量の目標をどのように変化させるか、そしてどれだけの資源を投入するか、を検討する必要がある。


 刑務所の連中にはひたすら手を動かしてもらい数字をひたすら作り上げてもらって。

 戦略的意思決定は、バスキア領の担当者で実施する。

 予測値の立て方も、実績値の計上方法も、バスキア領から全部指示して、しばらくはより正確な予測を作る実験・・に付き合ってもらう。囚人はしばらく実験に振り回されるだろうが、我慢してもらう他ない。


 そんな大まかな展望を抱きながら、俺は監獄の労働環境の改善をどんどん進めていくのであった。

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