第56話 閑話:(第三者視点)とある神を祭りで称える話

 海賊団の女頭領であるメルツェンは、珍しいことにケルシュの姫と飲み交わしていた。

 ばったり出くわした、というのが正しい。ケルシュの姫がぼろぼろ泣いていたので、声をかけずにはいられなかったのだ。


 祭りといえば、どこもかしこも人々でごった返す。ただでさえ交易で人通りが盛んなバスキアが、いつにも増して騒がしくなるのだ。落ち着いて座って料理を食べるのも一苦労。飲食店はすぐに埋まるし、立ち食いも難しい。しかも、ここのところ一週間ごとに何かしらの祭りが開かれており、さすがに気が滅入ってくる頃合いである。

 精霊の聖地というよりも、もはやお祭りの聖地になりつつある。騒ぎたければ、バスキア領に行けば何かある。退屈している奴も、新しい刺激が欲しい奴も、バスキアに集まれば新鮮な何かが待っている。新しい商売がやりたければまずバスキアにやってこい。そんな場所としてバスキアは認知されつつあった。


 要するに賑やか過ぎるのだ。

 こうも喧しいと、特設広場の貴賓席にゆっくり座れる、という特権を利用してくつろぎたくなるというもの。

 そんなわけで、ラム酒やらワインやらを片手に、オードブル形式の肉の盛り合わせをゆっくり堪能しようとしたところで、例のぼろ泣き姫に遭遇してしまったという次第である。


(何も泣くほど感極まらなくてもいいじゃないか、アタイにはよく分からないね)


 やたら塩っぽいハム肉をつまみながら、メルツェンは眉間にしわを寄せた。


 謝肉祭、のような何か。少なくとも、白の教団の謝肉祭のやり方ではない、単に肉を振舞うだけの祭り。

 しかし、今宵はケルシュの神をたたえる祭りでもある。催事場の中央にごうごうと燃え盛っている火は、遥かな星空への送り火である。ケルシュの一族の習わしによると、亡くなった先祖たちの魂は、大いなる天へと昇って子孫を見守っている、と言い伝えられている。

 空へ昇る煙は、先祖たちの世界への渡し橋。血族の紋様を刻んだ骨を天に送ることで、先祖の魂を弔って安寧を祈る。供物の肉は、今を生きる民でありがたく分け合って食べて、先祖たちの霊やケルシュの神々は、肉を調理して燃やした煙を食べる。肉を焼くと縮んで形が変わるのは魂が抜けるからで、その抜けた魂が煙の形となっているのだ。だからケルシュの民は、生肉を食べると病気になると考えているし、特に理由がなければ焼いていない肉を食べようとしない。


 広場中央の燃え盛る篝火を眺めて、「ようやく父さんと母さんを送り出せる」とさめざめと泣いているケルシュの姫を傍目に、メルツェンは気まずさを覚えていた。


(そういうもんかね。人は誰だって死ぬときゃ死ぬんだ、ちゃんと見送れなくても、それを負い目に感じなくていいのにさ。それに、そんなに覚えておきたけりゃ、紋様を楯の裏にでも刻んで残しておけばいい)


 海の民、ヴィーキングにも似たような習わしがある。武勇に優れたもの、民から慕われているものを弔うときは、小さな船を作ってそれをおかの上で焼く。殊更身分が高い者であれば、馬や副葬品、志願するようであれば妻も一緒に焼かれる。

 だが、中には海の魔物との戦いでそのまま命を落とすものも多い。死体がなければ天上の館ヴァルホルへ送り出すこともできない。そういう時は死体がなくとも副葬品だけ焼いて送る。その煙を目印に、あとは自らの武運で天に辿り着いてもらう他ない。そういうものなのだ。


 そもそも、幾度となく航海に出て戦いながら暮らしていると、ちゃんと天に送れる方が珍しい。だから入り江ヴィークの民は、たとえ死体が残らなくても武勇が天高く届くよう、神の加護を得られるよう、一生懸命に戦う。


 ケルシュの姫は優しすぎる。人がいつ死ぬかは運命の定め。きちんと弔ってあげなくては、ではなく、己の力で死後の世界まで渡ってもらうのがヴィーキング流の考え方だ。




 ――そんなことを考えていたら。


「おや、これはこれは。メルツェン殿にケルシュの姫様ではないか。奇遇だな」


「珍しい取り合わせですな。これも神の思し召し。どれどれ、もしよろしければ女傑お二方にあやかって、相席させてもらいましょうかな」


 領主代理のアドヴォカートと、キルシュガイスト大司教が、やや疲れ気味の様子でやってくる。

 どうやら彼らも貴賓席でゆっくり過ごしにきた口らしい。

 断る理由もない。二人ともこのバスキア領における有数の権力者である。特に判事の仕事を兼任して多くの裁判を求められるアドヴォカートは、やたらと多忙を極めており、あの考えの読めない迅速果断たる領主アシュレイよりよっぽど頼りにされている。


 別に構わねえよ、と近くの席を勧めると、深く息を吐きながらアドヴォカートが着座した。


「こんなに祭りばかりで、よくまあ採算が取れるものだ。考えられん。あの男は乱心したか?」


「いつものことですな」


 ラム酒を煽りながら、きつい冗談を交わしあう領主代理と大司祭。どうやら日頃の鬱憤が溜まっているらしい。

 隣では相変わらずケルシュの姫がぐすぐす鼻をすすっている。


「……アタイは知らねえけど、あの旦那、聞くところによると儲かってるらしいぜ。会場設営費も人件費もほとんどかかってないらしいし、企画進行やら運営やらは若手の商人たちを使いっ走りにしてるんだと。運営の若手商人たちも、いろんな人脈もできるし、自分のところで取り扱っている商材をアピールする機会にもなるし、おかげで張り切っているとさ」


「ほほう、お得意の人任せですな。いやあ、バスキア子爵の手口はいつも面白い、ちょっとした思い付きをこんなにあっさりと実行に移せるのだから、本当にあの方はとんでもない方だ」


 苦笑いするキルシュガイスト大司教。だが案外核心を突いている発言かもしれない。

 どんな思い付きも実行に移すまでに非常に大きな負担がかかる。だが、その負担のほとんどをスライムが解消してくれている。これがあの、実行力の塊のような青年の"真の強み"なのかもしれない。


 本来なら、祭りで散乱するゴミなどの後始末にも非常にお金がかかる。

 しかしこの領地では、スライムのおかげで、翌日には領地はきれいさっぱり片付いてしまう。


 大規模な祭りに付き物の盗難沙汰や乱暴狼藉についても、スライムが各地に目を光らせているおかげで、大規模な騒ぎに発展するのは未然に防がれている。人攫いもなければ殺傷沙汰も起きない。どこもかしこも街灯で明るく、このご時世では珍しいぐらいに安全であった。


 言ってしまえば、本来ならもっと収支に悩むはずのところを全然悩まなくてもいいのがバスキアの長所。設営にも後始末にもお金がかからないバスキア領は、お祭りごとを開くのにこの上なく適した領地なのだ。


 いろんな祭りを常に開いておけば、やがて、面白い祭りを開きたい人が集まり、アイデアが集まる――。


「本当に大したお方だ。私もこれでついに大司教なのですが、酒は飲めるし肉は食える。異教の神を祝うお祭りにもこうやって大手をふるって参加できる。これがもっと、白の教団の敬虔な信徒の多い場所だとどうですか。私はこうやってくつろぐこともできんでしょうな」


「いい事を言うではないか、大司教どの。敬虔な信徒なぞ増やす意味はない。諍いの種だ。いっそバスキア領での布教活動を全部辞めてはいかがかね?」


「はっは、領主代行も冗談がお上手だ! 領民同士の諍いにお困りですかな? みんな同じ教えを信じれば諍いも落ち着きますよ?」


 またもやきつい冗談が飛び交う。どうやら領主代行はこの手の冗談を好むらしい。いつも渋い顔をしている姿しか見たことがないので、メルツェンにとっては冗談を言うアドヴォカートの姿は少々意外だった。


(よく考えたら、ここにいる四人って、絶対に接点を持つはずがない四人だな。アタイもバスキア領に巻き込まれなかったら、貴族仕えなんてしてないし)


 木の香りが付いた燻製のチーズ、そして胡椒が効いた干し肉を同時に口に運ぶ。ちょっと贅沢な食事だが、メルツェンはこの食べ合わせが好きだった。


 満天の星空の夜。

 しみじみと酒を味わっているアドヴォカート領主代行。際どい冗談しか口にしないキルシュガイスト大司教。ようやく涙が落ち着いてきたところなのに、もう一度目を潤ませているケルシュの姫。

 祭りの喧騒が遠くに聞こえる。ゆらめく篝火だけ眺めて、物思いに浸るのもなかなか乙なものだ。


「……ケルシュの民は」


 ふと、ケルシュの姫が静かに口を開いた。声が少しだけ湿っぽく震えていた。


「そなたらヴィークの民のように、代々受け継いできた英雄の血もなければ、不敗の神話を轟かせていたわけではない。かといって、白の教団のように大陸全土にその在り方を肯定してもらえるような信仰を持っていたわけではない。我々はどこまでいってもはぐれ者だったのだ」


 元の故郷から追放されて五十年。厳しい寒さの日もあれば、明日の見えない日もあった。自らの民族を、自らの運命を信じ切ることが難しい日もあった。そもそも、自分が一族の姫として正しい生き方を歩んでいるという証明・・さえなかった。己を肯定・・してくれるものが何もなかったのだ――と。


 ぽつぽつと語ったそれは、弱音以外の何物でもなかった。


「私が死んだらきっと何も残らない。何も残らなかったらどうしようって思っていた。だから、この祭りを。見て、ようやく、報われた気がして、たまらなく、胸に、し、沁みるのだ……っ」


 絞り出すような彼女の言葉。最後の方はもう涙声で消え入りそうになっていた。

 ぱちぱちと生木が燃える音。篝火にゆらめく影。ケルシュの神を称えるこの祭りに、様々な人が参加して楽しんでいる声が聞こえる。

 きっと、この光景はケルシュの一族のだったのだ。それをあの青年は、あっさりやってしまったわけで。




(多分だけど、このまま足の裏に口づけをしろって言ったらこの姫はすると思うぜ、領主さんよ。ほんとお前ってクソ野郎だよな)


 きついラム酒を喉に流し込む。メルツェンは話題を変えようと思った。おそらくこの話題を続けても、ケルシュの姫が泣き止む予兆がなかったからである。

 そう思っていると、キルシュガイスト大司教が助け舟を出してくれた。


「そういえばバスキア子爵には妻がおりませんな。おかげで大商会から、ひっきりなしに縁談の申し込みが舞い込んできているとか」


「あー、それな。アタイ振られちまったんだよなあ」


「!?」


 全員がこちらを振り向いた。ちょうどいい、とメルツェンは思った。

 これは事実である。悪い酒に思いっきり酔ったついでに、ちょっとからかってやろうとアシュレイに粉をかけてみたのだ。風情もひったくれもない。要は"一夜を共に過ごせ"というやつだ。酒で酔った勢いもある。


 元より、たいして自分に興味を持ってなさそうなのが腹立たしかった。

 それに、ヴィークの民は強い奴こそ魅力的、という考えを持っている。四大元素のひとつ、炎の大精霊をたった二人で制圧したというあのアシュレイであれば、その点は申し分もない。顔立ちも彫りが深く悪くない。だから淡い期待をもって声をかけたのだ。


 あっさりと断られてしまったが。


「はーあ、一発ヤらせてくれりゃ全部吹っ切れるのによぉ」


「え、え、え」


 ケルシュの姫は一瞬で泣き止んでいた。キルシュガイスト大司教は、自分の出した助け船が余計な方向に行ってしまったことで反応に困っていた。

 アドヴォカート領主代行に至っては、心底どうでもよさそうにうんざりしたため息を吐き出していた。


 空気が一気に変わった。だがそれがメルツェンにとって心地よかった。昔から空気を制するのは好きだ。

 彼女にとっては別にさほどまずい発言をしたつもりはない。いつ死ぬか分からないヴィークの民は、これぐらい平気でやるのだ。

 というより、まさか振られるなんて思ってもいなかった。この自分の申し出を断るなんていい度胸をしている、と思い返しても苛立ちが沸々と湧いてくる。


「ったくよ、今度無理やりあいつの家に押しかけて、力に任せて押し倒してやろうか――」


「へえ、面白そうな話してるじゃないか」


「ぬあああっ!?」


 アシュレイの声。思わず変な声が出る。心臓が飛び出たんじゃないかと思うほど早鐘を打った。

 音もなく忍び寄ってきた当の領主本人、もとい嵐の中心人物に、また場の空気は一変する。


 アシュレイ・ユグ・バスキア城伯。

 史上稀に見るほど威厳のない男。

 だが、気が付けば周囲の人間が忖度する状況になっている奇妙な領主。思い付きのようにあれもこれも手を出して、やるべき仕事だけ山のように作って投げていく。これがもし無能な上司であればよかったが、なまじ切れ者すぎるだけに困るのだ。


「? なんでお前転げ落ちてんのさ」


(き、聞かれてた? 聞かれてなかった? どっちだ、どっちなんだ!)


 上手く言葉が紡げない。心臓が痛い。

 腰を抜かしたメルツェンをよそに、当の領主は呑気に机に腰をかけていた。自由過ぎる。さっきの話を聞いてなかったのだろうか。

 ちなみにスライムは勝手に地面に落ちたハム肉を食べていた。こっちも大概自由である。


「まあいいや、それよりできたか・・・・?」


「む……っ」「は、はは、いやはや、冗談がきついですな……」「え、え、と……」


 アシュレイの口癖である。挨拶代わりに"できた?"と聞いてくるのだ。ほぼ大体、アシュレイは周囲に仕事を投げまくっている。だから誰彼構わず挨拶代わりに、できたかどうか進捗を聞いてくる。ある意味で恐怖の掛け声である。

 当然こんな祭りの中で仕事を遂行している奴がいるはずもない。そういう冗談なのは分かり切っている。

 だが、妙な圧迫感はある。威厳はない男だが、こうやって進捗管理は滞りなく行うので、まあ貫禄がなくても問題はないのだろう。

 威張り散らしたりしないし覇気も感じない青年なのだが、任せた仕事だけはしっかりやることを求めてくる。


「ま、それはともかくよ、ちょっとみんなに食べてほしい料理があるんだ。ぜひ感想を聞きたくてね」


 またもや話がころっと変わる。相変わらず無駄な話をしない男だ。破天荒ともいう。


 そんなアシュレイが手をたたくと、スライムがこんがり焼けた何かを持ってきた。よく分からないが、濃いタレの甘辛っぽい匂いがただよっており、見たこともない形をしている。

 どうやら新しい料理らしい。「飢饉のときにもすぐ調達できるし、栄養価も高いし飼育も簡単なんだ」と夢みたいな口上をつらつらと述べている。だが形に見覚えがない。


 よく分からないが旨そうだ、と全員が恐る恐る顔を寄せたタイミングで、アシュレイが説明を始めた。




「まあ、昆虫の幼虫・・・・・なんだ、これ」


 ――――――。


「新しいバスキア料理の看板を飾ってもらおうと思っているんだ。これ以外にも十種類ある。掛けること二個で、一人二十匹だな」


 驚愕の内容。しかも勝手に数値目標まで与えられている。さらに一匹でいいところを念入りに二匹。

 こんなに悪意なくキツい提案を無邪気・・・に行うなんて、とメルツェンは度肝を抜かれてしまった。ヴィークの粗雑な荒くれ野郎どもでも、ここまでえげつない思い付きは実行しない。

 完全に逃げる機会を失ってしまった。


「ほら、口開けろって」


 その上、あろうことか、感極まってさっきまで泣きはらしていたケルシュの姫から行こうとしてた。人選が最悪である。感情の高低差が滅茶苦茶になってしまう。案の定、ケルシュの姫は固まって目を回していた。可哀想すぎる。さらに言えば、割と大きめの幼虫を選んでいるし、本当にこの男はクソ野郎・・・・極まりない。

 あいも変わらず、人の感情を滅茶苦茶にする天才である。


 領主は領主で、ほれほれ、とケルシュの姫の頬にぺちぺちと虫を当てて遊んでいるし、姫は姫で、涙目のまま頑張って口を開けようとこわごわ震えているし、とにかく絵面がひどすぎる。


(……こいつ、一応貴族様なんだよな? 王家に刃向かったり、中央貴族らと対立している有力諸侯なんだよな?)


 ようやく心臓の鼓動が落ち着いてきたころ、メルツェンは上手く説明できない、噛み合わない気持ちを覚えていた。






――――――

涙目で口を開ける女の子が大好きすぎて、つい衝動で書いてしまいました……

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