第53話 密偵の捕縛と二重密偵の交渉・証券取引所の開設

 3317日目~3346日目。

 戸籍謄本づくりが功を奏したか、もしくは深夜の不審な時間に人込みを避けて密会を行っている連中を見張っていた効果が出たか、とうとう何人かを間諜を捕らえることに成功した。


(やはり潜んでいたか。そりゃそうだよな、どこの領地にも少なからずよそからの密偵は放たれているものだ)


 常識といえば常識である。俺だって周囲の領地に対して似たようなことを行っているのだから、人のことを言えたものではない。

 だがこんなことが続くと面倒なので、禍根は早めに絶った方がいい。

 なので尋問にかけて、あれこれと口を割らせようと手を尽くした。


 とはいっても非人道的なことは行わない。尋問に暴力を用いるのは前時代的である。


 具体的には、眼球などの全身の掃除や、脱毛の手伝いを行ったぐらいだ。尿路結石や痔ろうなどの病気がないかの検診も行った。

 まぶたの裏の瞼結膜にごみが残っていると目を傷つけてしまう恐れがあってよくない。無駄毛の処理もついでに行ってあげる。時間がないので毛根ごと思い切り引っこ抜くだけだが致し方ない。検診に至ってはスライムの分離帯が体内に入り込むぐらい。もちろん体に異常は発生しないはずである。


 麻酔は投与しない。やむを得ない事情である。

 二匹目を詰めようとしたところで間諜の一人から泣きが入った。


「じゃあ後はよろしくな」


「……本当に貴方という人は信じられませんな」


 これ以上の尋問は領主代行のおっさんに任せるとして、俺はさっさと部下たちと一緒に今後の対処を検討することにした。


(どんな方法で本国と連絡を取り合っていたか、符丁あいことばはどのようなものを使っていたか、ついでにバスキア領の二重間諜スパイとして働くつもりはないか……とけしかけてみて、情報を抜き出せるだけ抜き出してやろうじゃないか)


 自領地内に間諜が育っていないときの賢いやり方。

 それは相手が手塩にかけて育てた間諜を引っこ抜くことである。そうすれば間諜としてどのような訓練をすればより優秀な間諜として育つか、という知識も含めて、まるごと手中に入れられる。


 このあたり、いきなり体当たりで真似事から入ったバスキア領よりも、歴史ある他領地の貴族のほうが具体的な知見を蓄積しているはずである。ぜひともあやかりたいものだ。


 ちなみに余談だが、一人、やたらと綺麗な女性が実は間諜だと発覚した。

 各地を渡り歩いてとうとうバスキア領に流れ着いたという踊り子の女性だったが、尋問にも口を割らない根性があった。


(やっぱり綺麗な女だと、いろんな要人の男性を誘惑できるってことなんだろうか)


 自害しようとしたので慌てて止めたが、利用価値はとても高そうである。是非ともうちの領地に鞍替えしてもらってバスキアのために働いて欲しいところである。




 3347日目~3369日目。

 バスキア銀行が融資業務を始めてからしばらく。新しく作ったバスキア式の契約書も、大いに銀行業務に役立っている。なれば次の一手として、証券取引所を立ち上げて、かねてより導入を進めたかった先物取引の概念を導入することにした。


(スクロール契約書で切手を作り、一枚当たり桶百杯分の小麦との交換を約束した証券として発行して、それを売買する――重要な点は、"交換を約束した証券"というところだ)


 先物取引の概念を理解するために、一つ農家の例を挙げる。


 小麦などの農作物は、干ばつ、天候不順、虫害などで収量が変動する。飢饉などが起きて収量が少なくなると、当然価格は高騰する。

 他にもどこかで戦争が起きたりすると、生活必需品である小麦は価格が急激に跳ね上がる。

 国や領地によっては、価格高騰を抑制するような施策として、ある一定上の価格変動が起きたときには倉庫から古い小麦を吐き出して価格調整を行うような施策を取っているところもあるが、いずれにせよ需要と供給にしたがって価格は上下する。


 価格変動で困るのは農家である。十分な蓄えがあるならばともかく、生活基盤が農業しかない状態でそのような価格変動に左右されては、運が悪い年が数年続くと首が回らなくなって路頭に迷うことになる。最悪の場合、豊作の年だったのに赤字になってしまうからと一家心中を図るような農夫たちも出かねない。


 そこで、先物取引の登場である。

 その年の収穫期の時点での小麦の価格が実際にいくらになるかは分からないが、先に"交換を約束した証券"を売るのだ。

 春の段階で"権利"だけを売り、秋の収穫期で実物を引き渡す。運が良ければ、秋時点の実際の相場よりも高値で売りさばけるだろうし、運が悪ければ秋にどれだけ高騰していてもその恩恵を受けられない。

 春時点ですでに"交換する権利"を売ったのだから、あとはそれを執行するだけ。


 逆に言えば、春の段階で「これだけのお金があれば十分生活できるな」という価格を先に見つけて、妥協して売ることも可能なのだ。

 半分は春の段階で売り、もう半分は秋に売る、でもよい。豊作や不作で実際秋にどれだけ収穫できるのかも予測できないだろうし、春に100桶、秋に100桶売る予定でも秋に140桶しか収穫できませんでした(春の100桶を執行すると手元に残るのは40桶だけ)という事例も出てくるだろう。


 農夫たちの生活が安定する一つの選択肢。先に権利を売買する。それが先物取引である。


(この先物取引が、大手商会の商人たちにとっても計画を立てやすくて便利なんだ。年間の事業計画として小麦を一万桶ほど流通させたい、と思っている商人がいれば、一万桶分の小麦を調達する目算を立てなくちゃいけない)


 商会にも年間の事業計画はある。

 懇意にしている宮廷料理人や料理人組合ギルドがいるとして、彼らに毎月八百桶程度の小麦を卸すような契約を結んでいたとしたら、年間で一万桶弱の小麦を調達する必要がある。

 そして先物取引の段階で先に五千桶の小麦(を交換する権利)を確保しておけば、あとは飢饉が起きて市場がどれだけ荒れようが、調達するために頑張るのは残り五千桶だけでいい。


 将来のリスクを見越して、価格変動のリスクを抑えられる選択肢。大手商会であればあるほど、付き合いのある相手(=固定量を調達しなくてはならない相手)は増えるし、価格変動リスクは避ける傾向にある。


 生活を安定させたい農家たち、価格変動を抑えたい商会たち。

 そんな両者の要望に応えるのが、この"先物取引"だ。


 大陸でもあまり類を見ない、かなり新しい概念であると聞いている。

 将来必ず買います・売ります、という売買の証書の効力と信頼があって初めて成立する取引。偽造が困難である契約書を作り上げたバスキア領だからこそ、証券取引所を開く意義が大きい。


(証券取引所を開いて、先物取引を取り扱うことができれば、バスキアの商取引がより盛んになるはず。きっと今までよりも商取引の規模が大きくなるに違いない)




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