5. 僕と症候群

 昨日の放課後での出来事は忘れられたかのように、今日も相変わらず銀は僕に付き纏ってきた。


 登校時に校門前で待ち伏せされたり、移動教室も共に行動したり、昼休みも僕の机の側でご飯を食べたり、おまけにトイレまで付いてきたり──。


 とにかく鬱陶しすぎる。

 一応こいつなりに気を遣っているのか、「トンボ倶楽部」については触れてこないが、授業が終わる度に「黒鳥くーんっ」と僕の席まで寄ってくるのだ。

 女子校生だと、よくトイレに行く時も一緒にいると聞いた事はあるが、女子も流石にここまでしつこく一緒には居ないだろう。


 もちろん銀のことは全て無視していたが、五限目までこれが続くとなると、そろそろ精神的に限界が来ていた。


「うるさい」


 五限目終了のチャイムが鳴った瞬間、案の定話しかけてきた銀に、思わず反応してしまった。


「お、やっぱ返事してくれると思ってた」


 本当は帰るまでずっと無視を決め込むつもりだった。が、無視できるほどの余裕がなくなってしまうほど、「パンダ症候群(勝手に今命名した)」に侵されていたようだ。


「返事というか、突き放そうとしてるんだけど。昨日の鬱憤うっぷん晴らしに、僕のことノイローゼにでもする気?」


「そんなまさかー。確かにクラブの件はまだ諦めてないけど、今日はキミと単純に仲良くなりたいと思ってさ」


「仲良くなるどころか、自分から嫌われるよう仕向けてるとしか思えないんだけど」


 ふむ、と銀は顎に手を添える。考え込んだ素振りで、口元に指を挟み、もにゅもにゅと唇を動かす。


「そんな堅いこと言わない。本当、思った以上に気難しい少年だよな、キミ。そんなんだと友達できねーぞ」


「別に、友達欲しいなんて思ってないんで」


 僕の返答に、銀は「えっ」と声を上げる。そんなに意外だったか?


「まさか、卒業まで? 一人も作らず? ぼっちのまま?」


「そうだよ」と僕は頷く。友達なんて作ったところで、極道の息子なんて知られたら、皆掌返して僕の元から去っていくだろう。だったら、そんなもの、最初からなくていい。


 いいから大人しく席に戻って、と言うより先に、銀が口を開く。


「それでいいの? お前の高校生活、つまらないまま終わって」


 つまらない、か。確かに否定はできない。

「地味で、普通で、平凡な生活」──、それは言い換えれば、高校時代の青春を全て捨てる、そんな生活とも言える。


「いいんだよ。別に高校生活に憧れとかないし。僕にはそれぐらいが丁度いいんだから」


「ふーん、やっぱお前って変な奴だな」


 コイツにだけは言われたくない。

 ふいに、六限目開始のチャイムが教室に鳴り響く。


 そんじゃ、と銀が自分の席に戻って行った。

 本当に何をしに来たんだコイツ。




 放課後は至って静かだった。

 いや、実際にはホームルームから解放された生徒たちの騒々しい声が聞こえてくるのだが。

 挨拶が終わってすぐ、銀が教室を出て行ったのだ。僕を呼び止めることもなく。

 学校帰りにアイツは僕を捕まえに来るに違いない。そして、もしそのままクラブまで連行されたらどうしよう。ホームルーム中、僕はずっとそんなことを考えては、アイツから逃げ切る秘策を練っていた。だが、それも杞憂きゆうだったようで、安堵した一方、予想外のことに拍子抜けしてしまった。


 何はともあれ、僕も「パンダ症候群」から解放されて助かった。

 一日中蓄積されてきたストレスが放出されているのだろうか、今日は少しだけ上を向いて、桜の木々を楽しむ余裕がある。

 風は以前冷たいままだが、春の陽気は着実に歩みを進めており、桜の花びらも、それに合わせ次第に紅潮していく。


 景色を楽しんでいると、坂道もあっという間に下り終わる。目的の時間より少し早めにバス停に着いた僕は、スマホを取り出し、久々に音楽でも聴こうかとイヤホンを鞄から探る。

 すると、隣に二人の女子生徒が並んだ。どうやら彼女らは新一年生のようで、初めての高校授業の感想や、クラスメイトの話に花を咲かせている。


「なんかウチのクラス、格好いい男子少なくない? 西嶺高校て、イケメンが多いて聞いてたからさー、話と違ってショックなんだけど」


 やはり女子が好きな話題は恋愛なのか。それより、西嶺高校にはそんな噂があったとは初耳だ。恐らく、彼女らにとって、僕もその噂に該当する男子ではないんだろうな。

 ご期待に添えない奴が隣ですみません、と心の中で謝っておく。それより、イヤホンはどこだ。


 僕が鞄をガサゴソしている間、一年女子のガールズトークは盛り上がり、バスケ部のキャプテンの話や爽やか新人教師の話、E組の斉藤くんの話と、次々に彼女らが判断するイケメン達の名が挙げられていった。全く、入学してまだ三日目だというのに、女子の情報収集力は馬鹿にできない。

 既にバスの到着時刻にはなっているはずなのに、まだバスが来ている様子はない。どうやら遅れているようだ。


「そういや、二年にもイケメンの先輩いるよね」


「ああ、桃瀬ももせ先輩のこと? まだ見たことないけど、なんかめちゃくちゃモテてるらしいね」


「違う違う、桃瀬先輩ていう人じゃなくて。銀先輩て人!」


 女子Aが声を上げる。


 まさかここでアイツの名前を聞くことになるとは。

 まあ、一般的に見れば銀がイケメン枠に入るのは妥当だろう。それにしても、新入生達の話題に挙がるほどとは。

 女子の中でアイツはどんな評価なんだろう。つい鞄の中を漁るのを止め、彼女らの話に耳を傾けてしまう。


 すると、「あー……」と女子Bが少し顔をしかめた。


「銀先輩はね、やめといた方がいいと思う」


 てっきり女子Aに賛同すると思っていたため、少し意外だった。女子Aも同じことを思っていたのだろう。彼女の反応に不満げな顔を見せる。


「なんでよ。あ、もしかして京香ちゃん、クリーミー系男子は苦手みたいな?」


 なんだよ、「クリーミー系男子」て。草食系男子、肉食系男子ならギリギリ知っていたが、まさかこれらの言葉から派生した言葉なのだろうか。まったく、誰かの話をするうえで、一々「○○系男子」「○○系女子」と区別する意味が分からない。


 女子Bが、「そういう訳じゃなくて」と反論する(因みに女子Bの名前は先ほど「京香ちゃん」と判明したわけだが、彼女とは今後一切縁がないと思っているので、「女子B」のままにしておく)。


「私、実は銀先輩と同じ中学だったんだけど、なんかやばい噂広まってたんだよね」


「え、なにそれ!」女子Aが身を乗り出す。


「中学の時、銀先輩てかなり荒れててさ、日常的に誰かと喧嘩したり、教師と揉め事起こしたりして、不良生徒として学校では有名だったんだよ。一回、停学処分になったこともあったし」


 ほう。思わず彼女らの方へ顔を向けるところだった。変な奴だとは思っていたが、まさかそんな過去があったとは。

 「えぇ⁉︎」と女子Aは目を大きく丸める。それもそうだろう。何しろ、彼女が思い描いていた銀に対するイメージが、クリーミーから一気にスパイシーへと一転したのだから。


「本当に銀先輩て昔グレてたの⁉︎ 全然そんな風に見えないんだけど!」


 意外ではあったが、僕はそれほど驚かなかった。まあ、人間誰しも見た目で判断していけないということだ。もし今隣に立っている地味な眼鏡男子が、実は全国で有名なヤクザの息子だと知ったら、二人とも驚くどころじゃ済まないだろう。


「私も入学して、先輩がかなりマイルドになってたからびっくりした。まあ、高校に上がって反抗期も落ち着いたんじゃない? だとしても、中学時代を知ってるから、どうしても私的に先輩は恋愛対象には入らないけど」


 女子Bが苦笑する。先ほどのガールズトークのテンションはどこへやら、女子Aは意気消沈していた。割と彼女の中で、銀は意中の男子だったのだろうか。


「うん……、私もさすがにそれ聞いて冷めた。やっぱり、顔よりも中身が大事、てことか」


「そういうことですな。あ、バス来たよ」


 10分近く経っただろうか、やっとバスが到着した。乗車するバスは彼女らと同じだったが、僕は乗らなかった。




 どうやら、イヤホンを教室に忘れてきたようだ。

 別に一日なくても困らないが、どうやらウチの学校では、定期的に抜き打ちで机の中を点検される日があるらしい。たまたま休み時間に他の生徒が話しているのを聞いた僕は、念のため机の中を空にしていたつもりだったが、うっかりイヤホンだけを置いてきてしまった。

 皆こっそり持ってきてはいるが、一応校内でイヤホンの持ち込みは校則違反だ。当然、バレたら没収対象になる。


 結構値段の張ったイヤホンなので、没収されるのは困る。やれやれ、面倒だが一旦学校に取りに戻るしかない。

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