4. 僕の家族

「智也、新しい学校はどうだった」


 僕の父親──白鳥海舟しらとりかいしゅうが帰ってきた僕を出迎える。

 短く刈り上げた白髪混じりの髪にひげ。ひと睨みしただけで猛獣さえも屈服させそうな眼光。しかしわざわざ威嚇せずとも、彼の立ち居振る舞いからは、形容し難いほどの畏怖を感じさせられる。


「別に、普通だよ」


「つまらん返事だな」


 父は鼻でため息を吐き、少し残念そうな顔をする。

 組員にとって組織のトップは畏敬の象徴だが、僕にとっては普通の父親だ。

 それに、父は見た目とは裏腹に、実は穏やかな性格だ。無駄な争い事は好まず、暴力だけで相手を抑えつけるような真似はしない。

 そんな父の人柄は組員にも伝わっているようで、父を支持する人間が多い要因ともなっている。


「若が新しい学校で大変な目にあってないか、俺は一日中不安でしたよ!」


 西澤が心配そうに僕の顔を覗き込む。まあ、色々な意味で大変だったが。

 西澤敏之にしざわとしゆき──先程の坊主頭だ。彼には幼少期から目付役として世話になっている。

 良い奴だし、周りの組員からの信頼も厚いが、僕との付き合いが長いためか、少々過保護な面がある。


「西澤の奴、お前が帰ってくるまでずっと落ち着かなくてな。こっそり学校に乗り込もうとしやがったんだ」


 父が笑いながら言う。西澤が実行しなくて良かった。こいつなら本当にやりかねない。


「そんなに心配しなくても大丈夫だって。そもそも、普通の高校生が監視つけてたら変だろ」


「では若、もし学校で気に食わない奴とかいれば相談してくださいね。その時は、俺がそいつめときますんで」


 笑顔で言っているが、目は本気だ。


「尚更やめろ」


 思わずため息が漏れる。筋肉馬鹿の西澤に締められた生徒は、少なくとも一ヶ月は入院生活を送る羽目になるだろう。


「おい西澤、お前がわざわざ出しゃばんなくても、若ならそんな奴瞬殺できんだろうが」


 横から他の組員が割り込んでくる。それを聞いて、西澤は申し訳なさそうに頭を掻いた。


「申し訳ありません、若! 若の腕前を知っていながら、俺は失礼な事を」


「だから、高校生は、暴力交えた喧嘩はしないんだよ」


 そう言い、僕は彼等を一瞥いちべつした。途端に、彼等は「ひっ」とヤクザらしからぬ情けない声を上げる。

 父譲りの目つきはの悪さは、良くも悪くも相手を容易く萎縮させるようだ。


 疲れた、と呟きながら父の部屋を出ると、僕は自室に戻る。「白鳥組」本部は、本館と別館に分かれている。本館は会議や儀式、交渉等に利用される場であり、毎年、全国各地の組員や幹部が多く集っている。一方、別館には父や僕の部屋があり、幹部や関係者以外は立ち入ることができない。


 部屋に入った瞬間、何だか本当にどっと疲れが出てきた。鞄を机の上に放り投げるように置くと、すかさずベッドに倒れ込む。

 ここは唯一、「若頭」という立場から自分を解放できる場所だ。枕に顔をうずめ、「はぁー……」と僕も情けない声を出してみる。

 いくら現在は極道の人間ではないとしても、組員の前で弱音を吐くわけにはいかない。僕が高校生であろうと、組長の息子であろうと、弱みを見せることは、相手に隙を与えることと同じである。極道とは、そういう世界なのだ。




 この実態を見て分かったであろうが、僕の家庭は少々特殊だ。

 僕はこれまで、自分が極道の息子である事を恨んだことはない。父が僕のやりたい事に口を挟んだことは一度もないし、組員達も気は荒いが、根が悪い連中ではない(もちろん全員とは言わないが)。


 しかし、社会的立場において、ヤクザはどうしても不利な状況に立たされる。


 極道の息子というだけで、小学生の頃から僕は、周囲から強い偏見を持たれた。


(白鳥君の家って、お父さんがヤクザの偉い人なんでしょ?)


(あいつに関わったら、俺たちヤクザに殺されちゃうよ)


(あんな物騒な連中が、うちの近所に住んでるとか本当最悪)


 流石に全国的に有名なヤクザの息子なだけあって、今まで一度も虐められることはなかったが、クラスメイトが僕に接する態度は、まるで腫れ物にでも触るかのようだった。当然、友達なんて一人もいない。


 一人でいるのにはもう慣れていた。そもそも、極道の世界しか知らない僕にとって、今では一般人カタギと共通の話題を探して話す方が疲れる。

 しかし、僕に向けられる偏見の眼差しは、いつまで経っても苦痛でしかない。


 だから、僕は逃げた。頼むから、一度くらい普通な生活を過ごさせて欲しい。友達なんて望んでない。青春なんかクソ喰らえ。


 ただ、誰にも注目されず、地味に生きていたいのだ。




「あの銀とか言う奴……、いつか一発殴りてぇ」


 無意識に、心の内に閉じ込めていた声が漏れた。

 何が、「高校生は暴力交えた喧嘩はしない」だ。自分で言っておいて可笑しくなる。

 結局、僕もそう簡単ににはなれないらしい。

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