2. 僕はパンダと再会する

 ホームルーム後、全校集会、学年集会と、新学期お決まりのイベントが終わった。

 何故、毎度わざわざ全校生徒、各学年と集会を分けて行う必要があるのだろう。学年問わず、言いたいことは共通している。「勉学や部活に精を出し、節度を守って学校生活を過ごすこと」。


 しかし、そんな茶番のような時間も、授業の代わりだと思えば幾分マシだ。

 それに、この一連のイベントを我慢してしまえば、昼には帰宅できるので、生徒にとってはむしろ好都合とも言える。


 放課後になり、生徒が一斉に帰り支度を始める。真っ先に教室を出て直帰する者、カラオケに誘う者、既にクラス内でグループを作る者、隣のクラスに顔を覗かせる者、等々。

 各々が、通常より早めの放課後時間を楽しんでいた。僕を除いて。


 現在、僕の目の前の席には今朝のパンダ、もとい、しろがねが向かい合って座っている。

 案の定、帰りの挨拶が終わった瞬間、奴は「黒鳥くん」と声を掛けてきた。当然、僕が逃げる余地はない。


 最悪だ。


 奴は涼しげな表情でこちらをじっと見つめている。眼鏡越しに映る薄茶の瞳からは、何を考えているのか窺うことはできない。制服を気崩し、少し気だるげに椅子の背もたれに肘をついている姿は、どこかアンニュイな雰囲気を醸し出している。

 同じく眼鏡を掛けていても、印象とはこれほどまでに異なるのか。自分を卑下する訳ではないが、感心する。

 未だに、こいつが今朝の奇天烈なパンダ野郎である事実が、疑わしく思えるほどに。


「にしても、驚いたよ。まさかキミと同じクラスだったなんてさ」


 不意に奴が口を開いた。それはこっちの台詞だ。口には出さないが。


「同じクラスメイトとして、改めて自己紹介。俺は銀哲太しろがねてった。ギンタでいいから。よろしく、黒鳥くん」


 奴はまた僕に手を差し伸べるが、僕の手は机の下に引きこもり中だ。しかし、こいつもしつこい。左手を宙に浮かせたまま、話を続ける。


「そういや、俺が今朝あげた風船どうしたの?」


「空に飛ばしたよ」


「うわ、ひどい。椅子に括り付けてくれてもいいじゃん」


 誰がそんなことするか。しかしこいつ、冗談で言ってるのか、はたまた本気なのか、判りづらいところが怖い。



 やれやれ。このままではいつまで経っても解放してくれそうにない。とりあえず、何でもいいからこいつに聞いてみるか。


「ていうか、今朝の恰好なに、あれ」


「え、今朝のって?」


 すっとぼけた顔をするな。絶対分かっているくせに。


「……パンダのこと」


「ああ、パンダね」


 愛くるしさの欠片もない目つきをした人間に、「パンダ」なんて可愛い単語を言わせるのがそんなに楽しいのか、こいつは。

 少し目を細めながら微笑む(いや、正確にはニヤついてる)しろがねを見て、思わず舌打ちしてしまいそうになるが、我慢する。

 こいつ、顔に似合わず結構性格悪いんだろうな。


「だって部活の勧誘に大事なのって、まずはインパクトじゃん。だから可愛い着ぐるみでも着ておけばさ、人は自然と集まってくるかなーって。それに俺、人生で一度は着ぐるみ着てみたかったんだよね」


 その結果、新一年生は皆気味悪がって、誰もパンダに近寄ってこなかったわけだが。


「で、人生初着ぐるみの感想は?」


「暑かった。もう着なくていいかな」



 それからやや沈黙が続く。春風の強さに、校舎側の窓がガタガタと音を立てる。僕は続けて質問した。


「そもそも、なんで僕に付きまとうわけ?」


「それはもちろん、黒鳥くんを勧誘したいから」


「だとしてもさ、別に僕にこだわる必要なくない? 入部してくれそうな人、もっと他にいるでしょ」


 すると、しろがねは握手を求めた手で僕の顔を指差した。その刹那、奴の瞳に光が宿った、気がする。



「だってキミ、眼鏡掛けてるじゃん。だから入部にうってつけなんだよね」



 ──は? 今何て?



 一瞬、頭の中がフリーズした。待て待て待て、理解が追いつかん。恐らく、この時の僕の表情は、奴の目には何とも間抜けに映ったに違いない。


「いや、ちょっと待って、意味が分からないんだけど」


 思わず疑問をそのまま口にしてしまう。僕があからさまに困惑しているのとは対照に、しろがねは相変わらず涼しい顔をしている。


「もしかして、僕を勧誘している理由って、それだけ? 眼鏡を掛けてるから?」


「そうだけど」あっけらかんとした言い方に、拍子抜けしそうになる。


 転校して早々、あれだけ思い出に残った(トラウマとして刻まれた)勧誘を受けたのに、あまりにしょうもなかった勧誘理由のせいで、僕はぶつけどころのない怒りが沸々ふつふつと湧いていた。

 

 しかし、まだ僕はこいつに「トンボ倶楽部」というのが何なのかを訊けていない。恐らく、そのクラブの活動内容に、眼鏡を掛けることが必要とされる理由があるはずだ。そうだ、先にこちらについて質問すべきだったのかもしれない。


 僕はゆっくり息を吐き出し、今にも溢れ出しそうな怒りを静かに抑える。


「聞くの忘れてたんだけど、そもそも、『トンボ倶楽部』って何? 普段どんなことしてんの」


「倶楽部に入る気になった!?」前のめりになり、ぱっと目を輝かせるしろがね。新しい玩具を買ってもらった小学生みたいな反応だ。


 というか、この流れでどうしてそういう反応になるんだ。

 今の僕の表情が、少なくともクラブ入部に興味を示してそうな顔でないことだけは、自分でも分かる。


「違う。いいから答えて」


 僕が冷たくあしらうと、しろがねは少し残念そうに背もたれの上に突っ伏した。そして、少し考える。


 ややあって、奴は突っ伏していた顔を上げると、再び僕の目を見据えた。


「色々考えてみたけど、活動内容は特に決めてないかな。いつも部員それぞれやりたい事やったり、退屈凌ぎに生徒からの相談事に乗ったり」


「帰る」


 言い終わるのが早いか否か、僕は席から立ち上がり、机の側に下げていた鞄を乱暴に取る。


 やはり聞くだけ無駄だった。入部条件も、活動内容も、全部適当。どうせ暇人が、暇人のために、暇を持て余したクラブを作ったんだろう。

 こんな存在意義ゼロのクラブに、僕の理想とする平凡な高校生活を捧げてたまるものか。


 教室を出ようとする僕に、流石にしろがねも慌てた様子。


「あ、待って黒鳥くん。そうだ。キミを勧誘したのには他にも理由があって──」


「今朝も言ったと思うけど」


 今度は、しろがねの言葉を完全に遮る。抑えられなくなった怒りを、自分が発する言葉一つ一つに込める。つい口調も荒くなる。


「僕、部活に入る気は一切ないから。分かったら、今後僕に関わらないで」


 しろがねが座っている方を一切振り返ることなく、僕は、彼一人が取り残された教室を後にした。

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