春、そしてパンダ

1. 僕はパンダと出会う

 黒鳥智也くろとりともや──黒板に無造作に書かれた名前。その横に立つ僕。


 クラス替えという一年に一度のビッグイベントの上さらに転校生の発表ということで、2年B組の生徒達のテンションは最高潮まで達していた──僕が教室に入るまでは。

 「期待外れ」という声が聞こえてきそうなクラス一同の眼差し。ここまで露骨にガッカリされるといっそ清々しい。


 挨拶もそこそこに僕は指定された席に座る。前後の席に座っている生徒に倦厭けんえんされる素振りはなかった。まあ無論、僕に挨拶することも当然ないが。

 地味な見た目とはいっても、自分の評価がさすがに「衛生的に無理」と言うほどのレベルまでないことは分かっている。居てもいなくても平気、その程度のものなのだろう。


 ホームルームが始まり、担任が二年次のカリキュラムについてや進級生としての過ごし方についてなどを語り始める。

 担任は生物の授業を受け持っているそうで、男女共に人気があるのか、度々生徒達に突っ込まれては笑いを取っていた。正直、進級した生徒をホモサピエンスの進化に喩えた話については意味が分からなかったが。


 思っていたよりもホームルームって長い。転校初日という緊張感も相まってか、眠気に襲われる。

 本来ならば退屈極まりない時間なのだろうが、なぜだろう、いくらか心地良い。これほど穏やかに時間が流れるのはいつ以来だろうか──。

 

 そんな呑気なことを考えていた矢先。


「おーいしろがね、起きろ。誰かアイツ起こしてやってくれないか」


 担任の一声で遠ざかっていた意識が戻る。


 ──シロガネ?


 聞き覚えのある名前だ。生徒の視線が一気に名前の主に向けられる。僕も釣られて後ろに顔を向けた。


 しろがねと呼ばれた生徒が誰なのか一瞬で判明した。最後列の席で、見事なまでに机に突っ伏して寝ている。前に座っていた生徒が何度か呼びかけて、やっと彼は目を覚ました。

 癖のないさらさらショートヘアに小麦色の肌。卵型の顔に、大きなアーモンド型の目。世間ではベビーフェイスと呼ばれる部類だろう。半目に半開きの口、さらには頬に机の跡が残っているせいで、せっかくの甘い顔立ちも今は台無しになっているが。


「お前なー、授業中いつも熟睡してるのは知ってたけどさ。新学期一発目のホームルームまで寝られると、流石に先生もショックだぞ」


 担任が困ったように眉を潜めて笑う。何が面白いのか他の生徒も笑い出す。というか担任、いつも授業中寝てるなら注意しろよ。


「なんだ先生。それなら早く起こしてくれればいいのに」一ミリも反省する素振りもなく、彼は大きな欠伸あくびをする。まだ微睡まどろんでいるのか、相変わらず目には覇気がない。


 いや、微睡まどろんでいる訳ではない。彼はふと顔をしかめると、はっと気づいたように机の隅に放置されていた眼鏡を掛けた。

 どうやら寝ぼけていたのか、視界がいつもより悪いことにしばらく気が付かなかったようだ。しかし眼鏡を掛けたことで、彼の特徴的な目が隠れてしまったことは少し残念に思える(僕個人の意見ではない、一般的に見て、だ)。


 それより、一つ気になることがある。僕は今朝、こいつに会ったような気がするのだ。

 いや、こいつの顔を見たのは今が初めてである。というより、僕は今朝会った人物の顔自体見ていない。

 

 なぜなら、その人物はパンダの着ぐるみを着ていたからである。


 しかし間違いなく、今朝僕に話しかけてきたパンダ野郎は、自身を「シロガネ」と名乗ったのだ。


 ──まさか、こいつじゃないよな?


 嫌な汗が背中を伝う。やめてくれ。

 転校初日に目をつけられた変人の正体が同じクラスの同級生だとしたら、多分、いや、確実にろくでもない事に巻き込まれる。

 そもそも、あんな気怠そうな生徒が、早朝から校舎前でパンダの格好なんかして立っているだろうか。そんな訳はないはず。ああいう校則や風紀とは無縁な奴は、予鈴時間ギリギリまで家のベッドで寝ているはずだ。

 一学年だけでも300人程度はいる。「シロガネ」なんて苗字、探せば他に誰か一人ぐらい居るだろう。

 

 などと考えを張り巡らせていると、つい彼と目が合ってしまった。

 恐らく転校生紹介の時から眠っていたのだろう。初めは目を丸くし、僕の存在に驚いているように見えた。が、一瞬で何か思い出したのか、ぱっと顔が明るくなり、爽やかな笑顔を僕に向けてきた。


 あ、やばい。こいつだ。


 僕の中の何かが音を立てて崩れていくと共に、忘れたい今朝の出来事が一気に頭を駆け巡った。




「そこの眼鏡君。キミ、トンボ倶楽部に入ってみない?」


 「眼鏡君」て僕のことか? 一見、僕以外に眼鏡を掛けた生徒は見当たらない。しかし僕は声の主を無視して歩いた。


 なぜなら僕の目の前に立っているのは、パンダの着ぐるみだからだ。そいつの手には「トンボ倶楽部」とペンででかでかと書かれたプラカードと、赤い風船が握られていた。

 側から見れば、まるでデパートにいる客寄せマスコットだ。とりあえず関わってはいけない雰囲気であることは、誰が見ても明白だろう。


 しかもパンダのインパクトのせいで、思わず触れるのを忘れそうになるが、何だ、「トンボ倶楽部」って。16年の人生で一度も聞いたことがない言葉だ。


 全くもって意味不明なクラブ名について考えていると、さらに頭の中が混乱してくる。

 そもそも、クラブ名に「トンボ」が付いているくせに、勧誘用コスチュームがなんでよりによって「パンダ」なんだ。僕が知らないだけで、実はパンダとトンボには何かしら結びつきでもあるのだろうか。いや、今は考えるのはよそう。余計に混乱する。


 とにかくこの場から早く離れなければ。自然と歩くスピードも早くなっていく。しかし時既に遅し。


「ねえ、なんで無視してんの? 眼鏡君」


 異常なまでの速さで僕の隣を並走してくるパンダ。   

 こちらも競歩レベルには足を早めているつもりだが、相手は息切れする様子もない。それと、無機質な笑顔で僕の顔を覗き込んでくるのが単純に怖い。


 このままではらちがあかない。とりあえず、この異様な人物から逃げるのは諦めよう。


「眼鏡君って、僕のことですか」


「うん。キミ以外に眼鏡掛けてる子、周りにいないじゃん」


 それはそうなんだけども、何だか言い方が腹立つ。


「あの、勘違いしてるみたいですけど、僕は二年です」


 すると、パンダはわざとらしく首を傾げた。頭部が重いのか、プラカードで頭部を支えている。

 背後で、女子生徒達がひそひそ話しているのが聞こえる。「何あのパンダ。コスプレか何か? 怖くない?」「一緒にいるの友達かな。近づくのやめとこうよ」最悪だ。この変態のせいで、僕まで風評被害食らってるじゃないか。


「知ってるよ。でも、クラブの勧誘に学年て関係なくない?」


 それもそうなんだけども、何なんだこいつ。見た目も相まってか、妙にこちらの神経を逆撫でされる。


 僕もわざとらしく溜息を吐く。同級生だか先輩だか知らないが、根暗そうな見た目の人間に、このような失礼な態度を取られたら、さすがに嫌悪感を抱くだろう。


「あの、僕は部活とか一切興味ないんで。勧誘なら他所でどうぞ」そう吐き捨て、背を向ける。


「分かった。じゃあまた次誘うよ」


 話聞いてた? というか次もあるのかよ。

 もう一度断ろうとするも、予鈴のチャイムに遮られた。チャイムに反応し、校門周辺の生徒が急いで校舎に向かい出す。


「やべ、チャイム鳴っちゃった。悪いけど、俺もう着替えなきゃいけないから、じゃ」


 あたかも僕が引き留めていたかのように、パンダは「ごめんね」と手を顔まで上げながら、去って行った。


 まあともかく、向こうから立ち退いてくれて良かった。「次」とは言っていたが、パンダ野郎もわざわざ、僕のような地味で愛想もない奴に、二度も絡みに行くことはないだろう。

 僕もこんなところで突っ立っている暇はない。早く職員室に向かわなければ。僕は昇降口へと足を運ぶ。そういえば、職員室ってどこだっけ。


 ──とそこへ。


「忘れてた、眼鏡君」


 背後からの声に、思わず反応してしまった。振り返ると、やはりそこには先程と同じパンダがいた。


「……まだ何か用ですか」


「いや、自己紹介するの忘れてたと思ってさ。俺はしろがね。よろしく」


 関わらないよう言ったはずだったが、やはり話を聞いてなかったようだ。そもそも自己紹介するつもりなら、せめてその頭を取れ。

 

 すると、「シロガネ」と名乗った人物は、こちらに手を差し伸べたかと思うと、僕の手を握り締めた。いや、正確には、持っていた風船を僕の手に握らせた。

 そして、今度こそ奴は僕の元から走り去って行った。昇降口とは真逆の方向に。


 よく見ると、風船にはプラカードの字体と同じ「トンボ倶楽部」と書かれていた。

 いや待て、何故挨拶代わりに風船を渡す。もしかして、ビラのつもりか?

 と言うより、今更ながら「トンボ倶楽部」って何だ。パンダの存在感が強すぎて、つい聞くのを忘れていた。


 様々な疑問が頭の中でぶつかり合い、喧嘩しているようだ。いやしかし、そんなことより、今はもっと大事なことがある。




 ──職員室の場所、アイツに訊いておけば良かった。

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