第2話 生贄 直草

 あの呪いの惨劇から数週間が過ぎて、五月も終わりが近づいていた。


 この町が呪われている理由としての一つ、これは田原から教えて貰ったことなのだが、江戸時代、越谷付近は裏江戸とも呼ばれるような場所であり、主に罪人の処刑場所や、江戸の不運を背負わせるための『にえ』と言う変わった存在に、されていたと言う。

 だが、それだけではない。

 今、日本最大級のショッピングモールがあるレイクタウン、元々は火葬場で有名な場所だったのだ。

 原因は不明だが、俺が中学になる頃には火葬場は消えており、近くにあった古墳公園の跡も何故かなくなり、学校内では身も蓋もない都市伝説が沢山広まったものである。

 噂の一つとして、生きたまま火葬場に放り込まれた少女の話である。

 その噂と言うものは、子育てに困った親が自分の子を死んだと言い張って火葬場に自分の娘を投げ込んだと言う話がある。

 火葬場の主は責任を背負わされてここを取り壊しにされるものの、警察はこの話を隠蔽、その理由としては、密かに跡地として建造が計画されていたのが、あの『レイクタウン』だから印象を悪くしたくなかったのだと言う、妙にリアルで不気味な話である。

 これも噂話に過ぎない話だが、潰れた後の数年間でさえ、麻薬常習犯の溜まり場として使用されている、レイプでの誘拐場所として使われている、と言う話が何処からともなく流れ込んできては、それは呪いとしか言いようがない、言い訳できない過去を持った町なのであった。

 そう、俺たちが住む、この町は呪われているのである。


 と言う、変わった書き出しをしてしまったのも、今日、コンビニバイトで例の胡散臭い自称霊能者である田原とレイクタウンの噂話ネタで盛り上がっていたからである。

「へぇ~都市伝説っての言うは面白いね、俺が知ってる情報としては、元々はホームレスの溜まり場だったってことくらいかな、勿論色々な話は聞くけどさ」

 そう言いコンビニの中でタバコを吸いながら語る男、奴が田原なのだが、

「田原、ここでタバコ吸ってると、また店長に怒られるぞ」

「別に良いじゃないか、客が来たらタバコの火を消すよ」

「そういう問題じゃないんだよ……」


 これから間もなく、火災安全装置が鳴り響き俺と田原は消火用のシャワーをかぶり、ブザーが鳴り響くと、あっという間に警察と警備員が駆けつけて来た。

「どうするんだよ、田原」

「……今回ばかしはちょっと、不味かったかな」

「……次のバイト先、探さないと不味いかも知れない」

 田原のここまで青々とした顔面を拝むのは初めてであったが、まあ無理もない。

 正直、俺も相当青い顔になっていたと思う。


 その後、店長がやってきて俺と田原はガミガミ言われながら店内の掃除をさせられた。

 ほとんどの商品はロストになり、店長からの長い地獄のような説教させられたが、俺に関しては処罰はなし、田原に関しては二週間の出勤停止処罰が課せられた。


「運が良いと思った方が良いよな……」

 店は直ぐに再開され、次のシフトの人と交代したが、正直俺たちの処罰は甘いと思うし、交代したバイトの方々にも呆れた顔をされたのを覚えてる。

 普通に考えれば店内でタバコを吸うなんて、普通に考えなくても有り得ない話であって、でも俺は別にこれに危機感など感じずに普通に過ごしてしまったことを凄く反省した。

「でもまあ、明君を巻き込んだことは、凄く反省してるよ」

「そんなことない、俺も反省はしてる」

「そんな自分を責めないでくれよ、今回は全部私のせいだからさ?」

「田原こそ、そう言って自分で責任を全部抱えようとしないでくれ、俺だっていつものノリで軽く注意したものの、別にタバコくらい吸っても大丈夫とか思っていたんだからさ」

 なんだかんだ言って、これは俺の責任でもある、俺はこう言って全て抱え込んで大人の対応をしようとする田原が嫌いだ。


 何か事件を起こした後だが、俺と田原は何事もなかったかのように公園で今後の話的なことをしていた。

「明君、まだ私のことを怒っているかい?」

「俺は最初から田原のことを怒ってなんていないよ、だけど今回はちょっと俺も田原も陽気すぎたかなと反省はしなくちゃいけないと思う」

「そう言って貰えると助かるよ、だけど私は出勤停止だからね」

「……まあ、ドンマイだけど、正直処罰は軽い方だと思いますよ」

「そうなんだけどねー、でも丁度良く時間が出来たから、私は師匠の仕事手伝いに集中させて貰うとするよ」

「師匠の手伝い?」

 田原に師匠がいたと言う話に少し驚きだ。

「まさか霊能者の師匠ですか?」

「そうだね、私とは別のタイプの霊能者だが、師匠はあの稲川淳二にも協力したことがあるくらい凄くて有名な霊能者だよ」

「マジかよ、すげぇ」

 稲川淳二とか、本とかテレビでしか観たことがないけど、すげぇ。

「そんな凄い人の所に田原みたいな偽霊能者が何しに行くんですか?」

「偽霊能者とは酷いじゃないか、いや、今回、師匠がレイクタウンに調査をしにくるらしくてね、それの手伝いの話で以前から連絡が来ていたんだよ」

「なんすか、この話、俺にしてくださいよ」

「いやね、明君は知ってるか分からないけど、あのレイクタウンが出来てから飛び降り自殺や変死体がもう複数人出ていてね、出来る前からも治安が悪い土地だったから、バイト中にも話したけど処刑場跡地であったり古戦場だったり、師匠が一度こちらへ来るから助手として手伝うことになったんだよ」

「なるほど、面白そうですね」

「面白くなんてあるものか、あの方は危ないモノまで呼んでしまう危険な人物でもあるからな……」

「危険な人物……?」

「そうなんだよ、テレビとかでみたことがあると思うけど、師匠は言うところのイタコなんだよ」

 イタコと言うことは、あの『今私の体の中に霊が入り混んできます』とか言う口寄せが有名だと俺は思ったが、一番俺が驚いたことと言えば、

「た、田原が女性の人とレイクタウンでデートみたいなことをするんですか?」

「師匠はとても美人で容姿の整った方だが、正直、一線置きたくなるような美貌な方だから、出来れば場外活動などは一緒にやりたくないものだ……田舎者だし」

 田原の顔は先ほどブザーを鳴らした時よりも酷いブルー顔に仕上がっており、想像するだけで嫌だとか、田原と言う男は、どこまで人間関係が苦手な人間なんだろうか、田舎者をエスコートするって所は同情するけれど。

「まあ、こんな性格だから色々駄目なんだよ、田原は、俺も週末は吉井と映画を見に行く約束があるから、もしかしたら会うかもな」

「うーん、仕事をするのは営業が終わった夜だからね、会えるかは分からないね、でもあら、吉井ちゃんとは未だにちゃんと絡みがあったのね、これは安心したよ」

「これはどう言う意味だよ」

「別に、そろそろ呆れられたとか、ふられたんじゃないかとか、こう言う心配はしてないよ」

 しているって顔をしているぞ、言うか、この話は定期的にしていると思うのだが

「ただ、彼女が元気なら、私も安心できるよ」

 そう、田原曰く、彼女の中には、この町を脅かすほどの強大なサイコパスが潜んでいると言うのだ。

 サイコパス……この町で起きた無差別殺人事件の犯人犯もゾッとするような殺人アートを見せつけてくれたが、これと同じ可能性を田原は彼女からも感じていると言うのだ。

「でもでも、年頃の男女がいつまでもデートだけって言うのはどうなのかなー?」

「なんのことだよ?」

「隠さなくても良いんじゃない? 明君の青春の方はどうなのかなーって、ちょっと思っただけなんだよ」

 そう言うと、田原はニヤニヤしてエロ動画でも見てるのかってくらい酷い顔をしたもんだから、俺は溜息を吐いた。

「……冗談止してくれよ」

 俺は気にもない恋話に対し、もう一度深く溜息を吐いてしまった。

「吉井はまだ相沢とのことを忘れきっちゃいない、俺だってアイツのことをまだ忘れていない、だから恋愛とかそういう関係にはならないし、いずれは違う運命が待っていると俺は考えてるよ」

「そんな複線みたいなこと言っちゃうかい?」

「田原の言う通りだと思うよ、だけど吉井とは映画の趣味が合うし、良い友達だと俺は思っている」

「良い友達ねぇー」

「そういうことだ、吉井の話はここまでにしよう」

 俺はちょっと恥ずかしくなり少しながらも赤める顔を下を向き隠し、三度目の溜息を吐く。


「明君、溜息ばかりしてると、幸せも逃げていっちゃうよ?」

 俺は誰のせいでこんなに溜息してると思うのかと一括すると、グチグチと意地悪に今日の田原のタバコ事件のことを攻め立ててやった。

 そして解散するとき、

「それじゃ明君、次のバイトの時に会おう」

 そう田原に言われて、もしかしたら、この二週間、田原の出勤停止期間中は彼と会う事が出来ないのかもと思ったら、こうバイトのミスをグチグチ言ってしまった自分の嫌らしさが姑息な奴だったなと感じ凄く反省した。

「田原、ごめん、なんかグチグチ言ってしまって」

「明君が気にすることじゃないよ、それに何かあれば携帯に連絡してくれれば良いよ」

「携帯に連絡しても、出てくれる方が稀じゃないか」

「それは謝るよ、まあ気軽に電話してくれよ」


 それを伝えると、田原は夜の商店街の方へと消えて行ってしまった、パチンコも営業時間が過ぎているから恐らく、これから飲みに行くのだろう。

 飲み屋には余り行かない彼が一人居酒屋へと行く、でも今日はそんな気分にもなるだろう、田原がどんな気分なのか俺には分からないけど、出勤停止処分、何度も言うがとても軽い処罰であることには変わりないが、それでも酒でも飲まないとやっていけないと、俺でもそう思った。

 

 話は進むが、週の終わり、俺は吉井と共にレイクタウンへ来ていたのだった。

 時間が過ぎたとは言え田原とこんな話をした後のレイクタウンだったから、俺はちょっとした心霊スポットにでも来た気分にでもなっていたが

「田原さん、出勤停止になっちゃったんだ」

「そうなんだよ……でも別の仕事があるから、こっちに集中出来るって、どこかに消えちゃってさ」

「あの人、凄いから何でも出来そう」

「田原はこんな超人じゃないと思うんだけどな」

 そのあと吉井は「だって田原さん、強いじゃん」と、彼が聞いたら喜びそうな言葉を言い、俺はその言葉を批判すると言う、俺と吉井はどうでも良いような話をしながら、レイクタウンの中を歩いた。

 今日の目的と言うと、吉井が夏物の服を買いたいと言うからレディースファッションを扱っている所へ店舗見に行き、そのあとレストランにでも入って食事のあとに、今週は洋物の人気小説家が書いたファンタジー作品を観る予定だ。


 と思ったのだが、女性の買い物は長い、そのままだと本来の目的であった映画が観にいけるか不安になってきた。

「篠崎君、この服どうかな?」

「似合ってると思うよ、これにしよう」

「篠崎君、下着見せられて似合ってると思うよ、と言う回答は変態だと思うんですよ」

「ブゥウウウウウウ」

 実際に見せられていたのは短パンであり、俺はまんまと騙されたのだが、俺は心ここにあらずな状態でいたことがばれてしまった。

「篠崎君が早く映画観たいのは分かりますけど、私も時間くらいちゃんと確認してるんで大丈夫です、いざとなったらナイトアワーに行けば値段だって安く済むと思うんですよ」

 ナイトアワーと言うのは営業時間が過ぎてからの上映のことであり、通常の値段よりかは安く映画が観れる特殊なシステムのことであり、だけど、

「年間パス持ってるんだから、わざわざ営業時間外放送で観る必要はないと思うんだよな」

「まあ、いざとなったらって話ですよ」

 俺も吉井も映画は良く観るため(主に俺のせいだが)年間パスを利用しているのだ。

 値段は張るものの、吉井の恋人だった相沢が彼女にプレゼントしていたため、貧乏学生の俺達でも休日なら有意義に映画を観にいけると言うわけだ。

「いざとなったらって言うけど、吉井の家には門限とかはないの?」

「門限は別にないですよ、だから大丈夫」

「マジか……門限なくたって、高校生は終映が11時過ぎる映画は入場できなくなるから、ここだけは考えて欲しい」

「流石にこれは大丈夫ですよ、はい」

「でも吉井さん、もう三時間、服選びしてるからさ」

「だ、大丈夫ですよ」

 一瞬、言葉を濁したけど、本当に大丈夫か?


 そのあと、先に映画の席予約を済ませたものの、吉井はやっぱり、あの服が欲しいと言い、仕方なく逆側のモールにある店に行くことになったり、CDショップにも付き合わされたり、家具なども見たいなど時間を有意義に使ってくれて、フリーパスなのを良いことに時間をずらして貰ったりする事態は、彼女も田原に負けないルーズさを発揮してくれたものである。


「ごめんなさい、私のせいで時間をずらす羽目になっちゃって」

「大丈夫だよ、別に時間を変えなかったら腹ペコのまま入る羽目になってたしね」

 それも余裕を見て事前に行くべきだったなんて、俺は口には出せなかった。

 時間をずらしても尚、買い物を続け、なんとか出来た時間でフードコードへ来ていた。

「フードコートがまだやってて良かったね」

「そうですね、でもこんなに多いとまた迷っちゃいそうです」

「服の時みたいに、迷うに迷わないでね……」

 俺は良くここに来たら食べるビビンバを注文したが、吉井は迷うに迷い、俺が食べ終わった後に、仕方なく俺は吉井にビビンバが美味しいよとお勧めすると、彼女は言葉通りにそれを注文しに行き、また迷った。

「フードコートなんて久しぶりで、どこで食べれば良いのか分からなかったです」

「……好きなのを食べれば良いじゃない、相沢とはどうしていたのよ?」

「幸人と行くときはだいたい、フードコートじゃなくて店に入っちゃうことが多かったです、蟹チャーハンの店とか、どんぶり専門店みたいな店とか」

 恐らく、彼女のこう言う優柔不断な性格を理解して、店はこちらで決めてしまったのだと思うが、あいつもちゃんと彼氏やっていたんだなと、少し彼の凄さを実感した俺であった。

 そういえば、俺が吉井と映画を観に行くようになってから何回目になるだろうか、俺はふと思っていた。

 このまま吉井と、こんな関係を続けていても良いのだろうか、俺は時々こんなことを考えるようになっていた。


「なんか、色々考えさせられるような物語でしたね」

「そうだな……うーん」

「?」

 俺が今悩み考え事をしているのは、もちろん映画の内容が生きることをテーマにしていて考えさせられることがあったからでもあるのだが、観終わってからも先ほどの吉井と一緒にいても良いのだろうと言う俺のこの悩みは収まることはなかった、いや、勿論これこそ時間が解決してくれそうな簡単な悩みなのかも知れない。

「あら明君、こんな時間までここにいるなんて、まさかだね」

 そう言って突然現れたのは田原だった、あの事件以来で見た目によらずナイーブな彼は落ち込んで引き摺ってないか心配に思ったけど、結構元気そうで安心した。

「それに吉井ちゃんは事件以来だね」

「この節は大変お世話になりましたです、田原さん」

 吉井は礼儀良く頭を下げるときらきらした眼で田原を見ていた、そして彼女は俺に耳打ちをする。

「田原さんって本物の霊能者ですよね?」

 ……俺はなんて答えようか迷ったけど、

「霊能者って呼ぶと喜ぶよ」

 とだけ、教えておいた。

「あれ田原、レイクに来るとは聞いていたけど、閉店後って聞いてたから、これから仕事なのか?」

「そうなんだよな……実はこれからなんだよね、向こうの方でうろうろしている田舎者丸出しの女性が師匠なんだけど、買い物を付き合っていてね」

 田原が親指でぐいぐい向ける先、そこにいる女性が田原の師匠なのだろう。

 イタコで田舎者だと聞いていたが、服装はなかなかのセンスだと思われる、現在っ子とまではいかないものの、この高身長でモデル体型なのにメッシュの掛ったパーカーとショートパンツとニーハイの組み合わせを着こなしているのは、この素晴らしい容姿があるから成し得る美しいセンスと言わざるを得ない。

「本当に雑誌に載ってるみたいな綺麗な方ですね……」

「そうだろ? 服はさっき私は買い与えたんだけどね」

 田原のセンスだったのか……ってか、もしかしてだけど。

「もしかして、ちょっと前まではイタコの恰好で出歩いていたとか?」

「そうなんだよな……化粧も私がやってやり、髪も出かける前に私が切ったんだ」

「田原って意外に器用でセンスもあるよな、なんでこれを仕事に活かせないの?」

「まあまあ、こう言わないでくれよ……師匠、あんまウロチョロすると、また変な人に声を掛けられますよ? ちょっとこっち来てください」

 田原も相当苦労してるんだな……師匠とやらを呼ぶと彼女を俺たちへ紹介してくれた。

「師匠、彼が前に話していた明君です」

 明君って説明……前に話してたと言うと、どんな話をしていたのか分からないが、バイトでの失敗話か、前の事件の話か、どちらだろうか。

「あら、あなたが明さんなの? 晃平がお世話になってます」

 晃平……? 田原の苗字ではなく名で呼ぶなんて、

「名前で呼んで貰ってるなんて、田原もなかなかやるな」

「俺も明君のことを名前で呼んでいるだろ? それと同じようなもんだ」

 よくよく考えると田原も俺のことを名前で呼んでいるけど、最初は馴れ馴れしいと思ってた、もう慣れたもんだけど、これはこの師匠から受け継いだ馴れ馴れしさとでも言うのだろうか。

「そういうことは隣にいる、この子が吉井ちゃんってこと?」

 師匠さんは吉井のことを知っている、つまりは、あの事件のことを田原は彼女に話しているのか、無理もない、そりゃあれだけの怪奇現象と呪いとサイコパスが入り混じった事件、話さないわけがないだろう。

 師匠の眼からは吉井がどのように見えているのだろうか、危険人物か、はたまた一人の少女か、それともサイコパスとして見ているのだろうか。

「下の名前はなんていうの?」

「椎名です……」

 そう自分の名を口にする吉井からは少し震えている感じが出ていて、警戒心が俺からも感じ取れるが無理もない、師匠はサイコパスや心霊現象のエキスパートで田原の師匠、しかも田原からは危険人物と伝えられていることだろう、そりゃ身も構える。

「ふーん……」

 吉井は師匠からの舐める目線から身を一歩後ろへ下がる、この眼は確かに獲物を捕らえたような鋭い目へと変貌しており、間違いなくこれは……

「椎名ちゃんって言うのね、かわいい子ね……持って帰って良いかしら?」

 ……

「事件の被害者って聞いてたから、どんな子なのかなと思ってたけど、とても可愛くてイタコとしての才能もあるわよ、絶対に」

 そう言って師匠は突然吉井へと抱きついた

「!!!???」

 その後、吉井は止めてください!? と、俺や田原に助けを求めていたが、なんか眼に新鮮だったため、俺は止めることが出来ずにいて、田原は深く溜息を吐く。

「師匠の本名は、松本 聖子だ、イタコとして東北で修業をしていたが、才能故に破門を受けてしまい、一時はこの業界で知らない人はいないくらい有名な人だったんだよ」

「前にも聞いてたけど、田原がこんな綺麗で才能がある人の付き人だなんて、俺は考えられないな」

「晃平は良い人なのですよ」

 そう言うと彼女はぷんぷんと怒ってはいるものの、気迫がないと言うか憎悪がないと言うか……田原の師匠だって言うからもう少し活発で偉そうな感じの人を想像していたが、逆に優しそうで、只ならぬオーラは出ているものの、霊能者とかそういう類いのオーラではなく、外国の有名モデルでも見ているかのような気迫である。

 田原に関しても俺はつくづく思わされているが、この師匠も本当にイタコなのか怪しいものである。

「それじゃ明君、私達は仕事があるから、失礼するよ」

「ああ、田原、気をつけろよ」

「気をつけはするよ」

 それを伝えると田原は俺の耳元へと手を小声で俺に語った。

「吉井ちゃん、初めて出会って事件が起きた時のサイコっぷりのオーラが全く消えてしまっているね、少し安心したよ」

「そうなのか? 俺は知らないけど」

「明君は彼女のことを、こんな観察してなかったから言えるんだよ、もうちょっと彼女のことを見てあげてはどうかな」

「いやいや、何言ってるんだよ」

「まあ、頑張れよ、明君」

「田原こそ、頑張れよ、仕事」

「……頑張るさ」

「……おう」

 なんだろうか、この感じは、俺も田原も少なかれ顔を引きずっており、正直気まずい感じだ。

 まあ、俺も田原も前の仕事のミスの事を未だに、それぞれ考えてるんだなってことで、深く考えないことにしよう……

 そして田原はそう伝えると、師匠の背中を三回ほど叩いた。

「師匠、仕事に戻りますよ?」

「あらもう時間なの? 仕方ないわね、行きましょうか、晃平」

 そう言い田原は「二人とも元気で」と手を振り、テクテクと歩いて行ってしまう、だから俺と吉井も良い時間なので帰ろうと思い、道草から背を向けた、が

「明さんでしたっけ?」

 すたこらと歩いている田原を先に行かせ、師匠は起ち止まり、俺に声を掛けた。

「師匠さん、どうかしましたか?」

「私のことは聖子と呼んでくれて良いのよ? 二人とも」

「……松本師匠、なんか俺に用ですか?」

 松本師匠はアゴに手を当てながら俺の体を舐めるように見渡す、先ほどの吉井の件があるため、俺は内心ビクビクしながら三歩以上後ろに下がるが、「男の子には流石にこんなことしないわよ」と言われ、ちょっと哀しい気分になった。

「明君、あなた、憑かれてるわよ」

 憑かれている……と言うのは、なんのことだろうか?

「悪霊とか悪魔の部類ではないけれど、精霊としては呪縛が強すぎる気がする、身に危険を感じたら田原か私に連絡しなさい」

 そう言って松本師匠は俺に名刺を渡した。

「ついでに吉井ちゃんも、その気になったら連絡ちょうだい?」

「は、はい、分かりましたです」

 同様に吉井に対しても名刺を渡す松本師匠、吉井の顔は明らかに引きずっていた、その気って……その気が出たらってことだろうか、それともイタコのことだろうか。

「それじゃ、頑張ってね? お二人さん、うふふ」

 頑張ってと言われても、もう解散する手前なんですけどね。

 余計なことを最後に言うと、松本師匠も田原の背中を追ってレイクタウンの奥の方へと消えて行ってしまった。

「行っちゃいましたね、松本さんって言う田原さんの師匠さん、凄い人でしたね」

「霊能者って言うのは皆こんな感じなんだろうか……」

 それも凄く気になっていたが、俺はもう一つ気になっていることがあった。

 それと言うのは松本師匠が言っていた「あなた、憑かれているわよ」と言う話である、憑いていると言うのは何のことだろうか、悪霊とか呪縛とかその手のことを語ると言うことは霊や呪いの類いなのは間違いないと思われるのだが

「そういえば篠崎君に言おうと思っていたのですが……悪い気配ではないのですが、あの事件の時と同じ惹かれるような気配を感じます」

 そういえば吉井は、あの事件の時でも現場に惹かれるように向かったり、広いレイクタウン周辺の中で俺の居場所を感じ取ったり、こういう特殊な直感を持っているのだろうか。

「俺から惹かれるような気配と……」

 それにしたって俺には心覚えがない、いつ憑かれたとか覚えもないし、以前の事件でもそうだが俺と言う人間はつくづく呪いに縁のある人間である。

「でも、松本さん曰く、悪いモノではないと仰っていましたし、深く考える必要はないんじゃないんですか?」

 確かにこれは吉井の言うとおりだ、いくら憑かれているとしても害はないモノだと言われている以上、気持ち悪くはなるが無視していてもありだろう。

「そうだな……今は気にせずに帰ろうか」

 そうして俺と吉井は駅の所で吉井と解散をし、吉井は電車で、俺は自転車で家へと、明日学校で会おうと約束をして帰るのであった。


 暗い道を自転車で帰宅している時だった、俺は沢山の悩み事をしていた。

 吉井の件、田原とは普通に接していたつもりだが出勤停止の件で少し気を遣わせてしまってる感じがした件、俺に何かが憑いていると言う件。

 悩むだけ無駄なのは分かっていることもある、だけど俺は自転車に乗りながら明日、吉井との今後の関係や、田原とは次会えるだろうかとか、どうでも良いことを考えて走っていた。

「悩んでいますね?」

 そんな時、俺の後ろから女性の声が聞こえた。

 ……そんな訳ないぞ、女性を通り過ぎた覚えもない、後ろを振り向いたが、そこには女性の姿も見えない。

「ここですよ、ここ」

 俺はまさかと思い、自転車の荷台の所を深々と見る、そこには一人の少女がぽつんと座っていた。

「やっと二人きりになれましたね」

 少女はやっと二人になれたと口にする割には、笑顔もなく、憎悪すら感じられないのが自転車の後ろに座っている相手だとしても感じ取ることが出来た、今俺がオバケと遭遇している? と思われるのに恐ろしいほど冷静でいられる理由としては彼女からは嫌なほど危険さえも感じられないからだ。

 田原の言葉を思い出す。


「オバケや妖怪の中では人を騙して食っちまう奴もいる、例えば? サキュバスとかかな」

 ……俺は酷い田原の言葉を思い出した、田原のにやけた酷い顔を思い出し、とりあえず深呼吸をした。


 俺は自転車を止めることなく、彼女へ質問をした、こぎ続けた理由としては現状を維持しないと身に危険があるかも知れないと思った、ただそれだけである。

「別に自転車を止めても良いと思うよ、別に私はあなたに被害を与えたい訳じゃないから」

 ……心が読まれている?

「心なんて人は読むことが出来ないと思いますよ?」

「……いや、読んでいるじゃないか」

 そう言う少しだけ微笑をしたのを感じ取ったが、彼女は直ぐにまた無の表情へと変わっていた、そしてそっと俺へとしがみ付いたのが分かった、触られているのは分かるが実感がなく不思議な感じ、彼女は語った。

「まあ、幽霊だから読めるんだと思いますけどね」

 やはり彼女は幽霊なのか。

 彼女の服装、無地で安そうな布で出来た着物は今の時代の品物ではないだろう、オバケ特有の服装と考えるべきか、それとも彼女の時代の物と考えるべきか。

「この服装は私が死んだときに来ていた服装、だと思う」

 思うだけなのか?

「何せ、私はもう二生ぶんは幽霊をやってますからね」

 幽霊にも色々事情があるんだな、それは良いが良く喋る幽霊だな。

「そりゃ良く喋りますよ、まともに喋れる人間に取り憑くのは、もう何年ぶりになるか」

 ……そんなもんなのか?

「そんなもんなんです」

 お喋り好きな幽霊なら、もしかしたら己の状況や自分の状況を話してくれるのでないだろうか、俺はそれを聞くべきか悩んでいたが、それを悩んだ時点でNGだと言うことに思ってから気付いた。

「別に正体とか語れます、だけどせめて家に着いて落ち着いてからにしませんか?」

 家に着いてからだと……

「そりゃそうですよ、私はオバケで訳有ってあなたに憑いてる訳です、長い話になると思うので家に着いてからで良いですか?」

 慣れ慣れしい子だなと思ったが、よくよく考えればオバケが憑依した人の家に来るのは当然の話なのか……だが、それはどうなのだろう。

「お前には害はないのか?」

 ついつい聞いてしまったが、これは相手がオバケだとしても失礼な質問に変わりなかった。

 勿論悪さをするオバケもいれば、彼女のようなオバケもいること、そして松本師匠が言うように彼女が呪縛霊なら、嫌々偶然的に俺に憑依してしまったケースも考えるべきだった。

 少女から唇を噛みような、悲しい音が聞こえたが、依然、彼女はポーカーフェイスを装っている。

「私は人を呪ったりする霊ではないと信じたい……と思ってる」

 これはどういう意味なのか、俺には理解出来なかった。

 だけど俺は失言をしたこともあり、これ以上深く質問をすることを自粛した。

「納得して頂けたなら、それは嬉しい」


 俺は家へと帰ると、ただいまと大きな声を出し、そのまま真っ直ぐ自分の部屋へと向かった。

 彼女は心が読めるらしいから、心での会話をすれば良いとか思っていたが、彼女曰く、これもありだが、言葉同士で会話したいと言うのが彼女の頼みであったため、親に聞かれたら恥ずかしいが言葉で会話する流れへとなった。

「これから、君のことを知りたいのだが、話して貰っても良いかな?」

 俺がそれを言葉にしたが、彼女は俺の部屋の中を物色するように飛び回っている。

「このデッカイ紙はなんですか?」

「安部投手のポスターだ」

「ポスターって言うんですか? 写真と言うのなら前に取り憑いた人から聞きだしたことが有るんですが、もしかして、この恰好でスポーツとやらをするんですか?」

「スポーツは知っているんだな、それで話を」

「このポスターの人、凄い火縄銃ですね!? 鉄色で塗装されていて鎧も何処となく頑丈そうで、今の外国? の人たちはこんな恰好で戦をするんですか?」

 ……駄目だ、こりゃ

「ってね、冗談ですよ、そりゃ気になりますけどね」

 無表情でこんな哀しい顔をしないでくれよ……

「これは映画のポスターだよ、あのレイクタウンにいた呪縛霊なら分かるだろ?」

「映画は知ってますよ、だけど私、戦争とか戦いを見せられるのは嫌いだから滅多に観ないので情報はありませんでした」

 彼女はこうやって大昔から今に向かって情報を集めてきたのか。

「分かってくれますか? 私の苦労を?」

 こんな無表情で言われても、正直分からない……

「わ、分かってくれますか、私の苦労をぉ……」

 わざとらしく言うとエロいな……

「男は直ぐにこれだから駄目だと思います」

 しまったと思った時には既に遅い、俺は彼女にセクハラ的感情を知られてしまった。

「いやさ、男と言うのはこう言うもんなんですよ」

「分かっていますけど、なんか言い訳するようなことじゃないと思います」

 デスヨネー

「そんなことはどうでもよくて、明、あなたは今迷っていますね?」

「確かに俺は迷っている、色々なことに」

 それを伝えると少女は俺に一礼をする、そして無表情のまま語りだすのだった。

「そう、私は迷わしの神と呼ばれる者である、迷っている人間の前に現れる呪いの一つでもある」

 少女はわが名を迷わしの神と名乗り、それを踏まえて自分自身のことを呪いの一つだと自己紹介をするのであった。

 神と言うのは正直驚きだが、それを踏まえて呪いとは一体どういうことなのだろうか。

「その迷わしの神は、何故俺の前に現れたのだ?」

「それは私に託された神としての仕事、迷った人間を見守る所から始まった」

 意図が見えてきたぞ、つまりは彼女は迷っている人間の前に現れては助言を与えたり見守ったりする類いの神で悪い霊ではないのだと俺は自分の中で少女の実態を勝手に整理し始めた。

「私はこんな良い奴じゃない」

 少女はそう言うと俺から眼を反らし、右下をじっと見つめ始めた。

「そう言う使命を誰からか授かったわけでもなく、だいたいの人間は私のことを認識出来ず、ただ私は見守るだけ」

 確かにそれは悲しいことなのかも知れない、迷っている人間の所に取り憑く神なのに、彼女事態は傍観者でしかいられない、それはとても辛いことであり歯痒い気分にさせることだろう。

「でも、あなたほど迷いがどうでも良い人間と当たるのは久しぶりです」

「……それでも立派な悩みだ」

「分かってます、悩みに深い浅いはない、どんな辛い悩みでも些細な小さな悩みでも、人はそこに一生懸命になる、それは分かっています」

 彼女のこの言葉は俺には重く感じた。

 彼女はこうやって神になってから沢山な悩みを見てきたのだなと思うと、確かに神としての威厳さえも感じる。

「そんな偉い神じゃないですよ、私は……そんな眼で私をみないでください」

 無表情でこんな軽率な、とでも言いたそうな惨い表情を表にされるもんだから、俺は迷わしの神から目線を反らした。

「そんなことより明も凄いと思います、私の真顔から、そこまで情報を感じ取るなんて、私と同じ才能がありますよ」

 確かに昔から人の機嫌ばかり伺うような性格だったから、これが今になっても活かせているのは嬉しいことだけど。

「人の機嫌なんて気にしたら負けですよ、田原と言う男と話しているときだって、どちらも気を遣い合っていて、それはもう気持ち悪い奴らだなとしか思えませんでした」

 うわぁ……そう言われてから気付く、俺らのこう言う絡みって他人から見たらやっぱ気持ち悪いものだったのか……

「そりゃ普段は田原に向かって偉そうにしてるから、こう言う事態で責任を感じるのは分かるけど、田原と言う男、気難しい考えを持つ人間だから、敢えて仕事でのミス話は出さなかったと思われる」

 そりゃ分かっているけどさ。

「良い人間と巡り会えたと、ここはもっと感謝するべきですよ、ごめんと謝るのではなくて、感謝するべきだと思います、普段は仕事が出来ない人間で呑気な方らしいけど、人には得意不得意がありますし、そこは明がカバーしてあげるべきです」

 流石神と言うべきか、ズバズバした正論で、俺は返す言葉もでないぞ……

「……いやさ、ただ田原の心も読むことが出来たから言えたことであって、普通はこんなことも言えないし言わないよ、ただ一つ言っとくと、今回私が言ったことも正しいこととは限らない、結局は他人の戯事にすぎないのは変わらないからな」

 他人の戯言か……

「そう、一番大切なのは、迷いや悩み事を他力本願で解決せず、自分の力で真相を追究することが大事だと私は思う」

「その言葉、田原が言いそうな言葉だな」

「その言葉は昔に遭った霊能師が私に教えてくれた言葉なんです、まあ彼女はとっくに死んでしまっているでしょうけど」

 迷った人間の前に現れる神と言うことは、俺みたいな呑気な悩みだけではなく、生きるか死ぬかを迷っている人間、殺すか活かすかを迷う人間、そういう人間もいると言うことなのだろうか……

「むしろ、こういう人間の方がメインでした、あなたのようなちょっとした悩みに憑依してしまうことも本当に稀ですがありましたが、心情が揺れる超心理、サイコパスを起こしている人間に憑依することの方がメインですね」

 これは辛い現状だっただろう。

 見たくもない惨劇を見せられたり、辛い思いをしている人間を嫌々見せられる呪い、想像は出来ないが、これは拷問に近い苦行であるには間違いなかった。

「そうですね、これは呪いなんです…… いくら私が大丈夫と言い続けてあげても、死んでいく人間もいれば、過ちを犯してしまう人間もいる、それは私のせいではないと信じたいけど、きっとこれは私の呪いなのですよ……」

 最初に彼女が言っていた私のせいではないと信じたいと言うのはこう言うことだったのかと気付くと、俺は彼女に対して失礼な発言をしたなと反省をした。

「別に良いのですよ、ただ、私がまたほかの人に憑依する、その時までお世話になっても良いですか?」

「別に構わないけど、迷わしの神は人と人とを転々とする神なのか?」

「そうですね、死ぬ場合は直ぐにチェンジですけど、だいたいは一週間から二週間ほど、お世話になることと思います」


 これから数日間が経った、迷わしの神とは思ったよりも上手く行っており、俺自身も彼女に色々なことを教えてあげた。

 例えば映画の楽しみについてだ、彼女は映画を実写的と考えており、世界は実はこんなファンタジー世界とまで考えていたらしい。

 まあ……自身が神とでもなっていれば、そういう映像を見せられて、こういう思考を持ってしまうのは仕方ないことなのか? と感じた。

 そういう意味では映画をエンターテイメント的な要素で見れておらず、怖いモノとして観ていたため、ファンタジー系物は一種のホラーだったと、彼女は語る。

 次に彼女としたことと言えば、迷わしの神に折り紙やお手玉遊びを教えてあげた、と言っても彼女事態は子供なのだが、これほど長く生きてきたため、こう言う遊びを見せても興味を湧いてはくれなかったから何とも言えないのだが。

 その次に彼女が示した興味と言えば、迷わしの神は食べ物について凄く興味があるそうだった、もちろんこれも彼女自身は食べれないものだから説明に困ったが、ソフトクリームやお菓子を見ては、イイナイイナと仕方のないことに僻み、だけど納豆やおくらなど、ヌメヌメする物に対しては見せないでくださいとまで言うほど、嫌悪を放っていたのを覚えている。

 そしてそこまで来て、俺は更に悩みが増えた。

 最初は別に消えるまで待っていれば良いとまで思っていた迷わしの神とのこと、田原や松本師匠に相談しなくて良いのだろうかと言うこと。

 きっと彼女は、この先も、この町を徘徊し続けるのだろう。

 それはきっと俺や他人が理解することの出来ない無限の苦しみであり、彼女を呪いから解放させてあげる方法がないのかと、俺は迷った。

 だが、一つ、迷わしの神の存在を田原や松本師匠に語ることのデメリットが存在する限り、俺は彼女のことを他人に漏らしてしまう訳にはいかなかった。

 彼女が語るには、自分の状況を一つの使命だと思っているらしく、そう言って滅多に笑わない彼女が笑顔を見せる一面まで見せてくれたが、明らかに無茶している感じが、俺の心を痛めてくれた。

 それに関しても、私について悩んでくれる人がいる、それだけで私は幸せです、の一点張りであり、俺はこれ以上、何も彼女にしてやれることはなかった。


 吉井とは、この週も映画を観に行った、もちろん迷わしの神のことは吉井には話していないが、彼女は直感的に彼女のことに気付いている気がして、俺はちょっと気まずい感じではあった。

 今回の映画選択に関しては迷わしの神はファンタジーがホラーに観えるって言う情報から、ファンタジーはNGにすることにし、探偵物の人気アニメの映画続編を観ることにした。

「デートなんだから、もっと楽しそうにすれば良いと思う」

 そんな愚痴を隣で言われながら吉井の買い物を付き合ったり食事をしているのは、本当に辛かったが、心の中で「頼む、静かにしてくれ!」など喋ったりし「嫌です」と悪戯混じりに迷わしの神が不貞腐れるのを観て、吉井の相手をしながら密かに彼女の相手をすることも楽しいと感じてしまう場面もあったからっそれは良しとしよう。

「今日は時間通りに映画館に入ることが出来ましたね」

「ん、そうだな、良かったよ」

「でも今日はグチグチ言ってこないので、つかれてるとばかり思ってました」

「憑かれてる?」

 一瞬、思わず復唱してしまったが、よくよく考えれば「疲れている」が正しい言葉だと気付き、俺は咳払いして誤魔化す。

「いや、いやいや、バイト疲れが酷くてね、田原がいないと、普段サボってる奴でも、辛いもんは辛いわぁ……あはは」

 自分ながら、酷い言い方である。

「そうなんですか? バイト大変そうですね……あの人、何でも出来ますから」

 チキンとコロッケを間違えて揚げたり、フランクと焼き鳥間違えて入れたりして、いつもクレーム電話されてるけどな。

「まあ、そんな感じなんだよね、とりあえず中へ行こうか」

 俺はオドオドしながらも、店員さんの指示に従って、指定されたホールの指定席まで向かっていく。

「明、オドオドしすぎです」

 お前のせいだろ。

「篠崎君、怖い顔してるけど、大丈夫?」

「あ、ああ、大丈夫だぜ」

 お前のせいで吉井にへんな心配されてしまったじゃないか。

「明も私と同じポーカーフェイスを手に入れれば良いと思う」

 そりゃお前みたいにポーカーフェイスでいられれば、心配はされなかっただろうけどさ、もうそろそろ始まるから静かにしてろよな。

「別に私は喋ってても誰にも聞こえないから平気だよ」

 ……確かにそうだな。

 そして静かに上映が始まり、最初のカメラを頭に付けた男の警告映像が流れ始める。

「この人たちは何を訴えているの?」

 この人たちは、この作品を盗撮して、ネットなどに公開するのは犯罪だって警告しているんだよ。

「へぇー、ネットって言うのは昨日、どの映画を観るか調べるのに使ってた機械のことだっけ?」

 そうだね、ここで公開したら誰でもタダで映画が観れちゃうからね。

「これは困るね、せっかくお金を払って入ったのに、ほかの人はタダで観れちゃうなんて、嫌だね」

 別に俺たちは嫌じゃないけど、これを商売として作った人たちは悲しい気持ちになるだろうね。

「そうなんだ、自分が作ったモノを沢山の人に観て貰えるのは幸せなことだと、私は思うけど」

 エンターテイメントも商売である以上は、超えちゃいけない一線があるってことだよ。

「現代の人間の思考は、私には分からない」

 でもこれに関しては正しいとか正解とかは存在しないことだと思う、そりゃ制作する人たちは沢山の人に観てもらいたいと思って作っているに違いないけど、生きていくためにはお金が必要だろ? 結局循環が必要なんだと思うよ。

「それでも、やっぱり私には分からないな……」

 こんな感じに脳内で喋れることを利用されて、俺はずっと迷わしの神と会話させられていた。

 そういえば、自宅で相沢と映画を観るときはこんな感じだったっけ……俺は相沢と過ごしてきた時間を軽く思い出していた。

「ずっと思っていたのですが、相沢と言うのは御友人さんですか?」

 そうだな、死んでしまった御友人なんだがな。

「……これは失礼しました、明と隣の女からずっと、彼の名前が出ていたものでしたから」

 仕方ないよ、彼女の恋人が相沢で、俺も彼の友人だったのだから。

「これはこれは複雑な関係ですね、迷う訳です、だけど」

 だけど?

「そうだと言うのに探偵物の殺人事件がどうたら言う映画を観に行くと言う選択は、ちょっと選択ミスと言わざるを得ないですね」

 確かに俺はここまで考えていなかった、最近通り魔殺人事件に巻き込まれた俺や吉井が観るべきではない選択だったわ……

「……まあ、私のために、リアルティがあってファンタジーではないものと言う選択は嬉しかったです、しかし、これで彼女との距離を放してしまったら、それは駄目だと思うよ」

 やっぱ、このへんの心も読まれていたか……

「当然です、私も時には知らないふりをするもの大変なんですよ……映画予告もそろそろ終わりますし、私もダンマリすることにします」

 そう言うと、せっかく立場を利用して会話が出来る彼女も、これ以上喋ることはなかった。


「この作品の映画を観るのは久しぶりでしたけど、凄く面白かったです」

「俺もなんとなく、この作品を選択したけど、思ったより面白かったな」

 迷わしの神に言われて、探偵物をチョイスしてしまったことを少し反省していたけど、喜んで貰えているようで良かった。

「明、彼女は強がってはいるけど、映画中、ずっと正義がなんちゃらとか、現実でもなんちゃらとか……凄い心情が揺れてましたよ……」

 こう語る迷わしの神は怯えていた。

 迷わしの神は今まで色々な不や呪いを見てきたと思われる、こんな彼女さえ震えてしまう吉井の無意識とは一体どうなっているのだろうか……

「でも内心は本当に喜んで貰っていますから、今は大丈夫だと思いますけど……彼女は何者なんですか?」

 田原曰く、彼女は心の中にサイコパスを持っていると言っているが、正直俺には分かっていなかった。

 だけど、心が読める迷わしの神がここまで怯えているのを見ると、田原が警戒している理由もやっとだけど分かった気がする……

「どうしましたか? 今日の篠崎君、良くボーってしてるです」

「いやさ、面白かったからシリーズでも見直そうかなって思っててね」

 そして今日も吉井を駅前まで見送り、少し早いが、また明日ねと手を振り合い解散することになった。


 迷わしの神と出会ってから、丁度一週間が経とうとしている頃だった。

 彼女のリクエストで、俺はレイクタウン付近の池前まで自転車を走らせ、ベンチで二人で座り、日が落ちるのを眺めていた。

「ここも随分と変わってしまいました、昔はここに私が住んでいる村が存在していて、気付いたら隣に火葬場が出来ていて、また少し経って私の村は完全に潰されて大きな建物が建てられていて、もう私達が住んでいた風格は完全に消えてしまいました」

「俺が生きている間でも、ここは随分と変わったからな、寂しい気持ちは分かるよ」

 こう語る迷わしの神は無表情ではあったが、背中からは哀愁を感じられた。

「私、怖いです」

 怖い……?

「明みたいに会話出来る人は数年に一人くらいは出会えてたと思います、だけど明みたいに、どこかへ連れてってくれたり会話に付き合ってくれる人は本当に稀で、私を人間のように扱ってくれたのは明くらいです」

 そう語る彼女は、それでもやっぱ無表情だった。

 どれだけの時間を放浪すれば、ここまで心は沈んでしまうのだろう、感情を表に出すことを忘れてしまうのだろうか。

 俺はこんな彼女を見て、薄らと涙を流していた。

「明、泣いているの?」

 彼女からそう言われ、俺は少し恥ずかしくなり、毀れた涙を拭きとって深呼吸をした、そして彼女へ言う。

「いやな、俺も気付かないうちにお前のことを好きになっていたのかも知れないな」

「好きになんて言葉、あの子に言ってあげた方が喜びますよ?」

「心を読んでいてくれたなら分かっていてくれてると思うが……まだ駄目なんだよ」

「そうですね、いくらなんでも少しは待った方が良いと私も思います」

 そう言うと、心が通っているからこそ分かる冗談の言い合いが可笑しくて面白く思い、俺と迷わしの神は二人で笑った。

 笑ったと言っても迷わしの神の顔は微笑程度の心から動いているモノではないのは俺でも分かっていた、だけどそんな彼女を見ていると、俺はどんどん涙が出てきた。

 まだまだ一週間の付き合いだけど、俺と迷わしの神は特別な関係になっていたと、俺は思いたい。

「明……」

 そして彼女が口を開く。

「どうした? 迷わしの神?」

「そろそろ私は明の傍から離れるかも知れません……」

「そうだったな……だいたい一週間から二週間だって最初に話してくれたから覚えてるよ」

「明には私の忘れないでいて貰いたい、そう私は思っています、だから私の過去を明に話したいと私は思っているのですが……聞いてくれるか?」

 そう口にした迷わしの神の眼は震えてはいるが真剣そのものだった。

「俺に話してくれるのか?」

 そして迷わしの神は俺に自分の過去を語りだしたのだ。

「先ずは私が神になった経緯について話します、私は江戸時代にこの村に生まれました、江戸の住みの方にある村ではあったものの民は仕事に不便せず、私自身もとても豊かな家庭に恵まれてまして、食事は一日三食食べれる幸せな家庭でした、だけどたった一つ不運だったのは、この村は呪われていると言うことでした」

 この村は呪われている、田原も良く口にしていた言葉、やはりこの村は昔から呪われていたのか……

「この村が呪われている内の一つの理由、それはこの村は江戸唯一の処刑場だったのです、勿論それだけでも十分呪われる理由となるのですが、愚かな人々はその処刑した人間の体の部品を集めては縫い合わせたり固めたりして、呪いの研究を行い、神具を作っていたのです」

 呪いや魔術の研究と聞くとナチスやセージと言った権力者の名前が浮かび上がるが、権力を持った人間は何故このような愚かな行動を取りだすのだろうか。

 これと同じようなことが日本でも行われていたと思うと、背筋がぞっとする話だ。

「ある時、呪いの神具は遂に最悪の事態を誘き寄せることになりました、この村を雨と雷が止まらぬ村へと変貌させてしまったのです、それは何年と続き、遂にはこの村では仕事が出来なくなり、私の家族も仕事を失い、元から不に落ちた人間が住む村だったここでは、引っ越し手もなく、それはもうどうしようもない状況になりました、そんな時の話です、とある村人が『この村には神が必要だ』と言うことを口にすると、何処からともなく神を作る方法を知っていると言う男が現れたのです、その男が言うには『純粋な心を持った女の子を人身御供として差し出せば、女の子事態を神の子として生まれ変わらせることが出来る』と言う話でした、方法は知らされませんでしたが、私は水瓶の中に封印され、蓋をされ、気付いた時には今の姿にされていたのです、ここまでが私が神になった経緯の話」

 なんとも言い難い話である、呆気ない話と言えばそれまれだが、この話を聞かせれて分かったことは、やはり迷わしの神は生前は人間だったと言うことだった。

「ここからは私が幽霊になってから迷わしの神となるまでの話です、でもその話をする前に私は明に謝らないといけないことがあるんです」

「謝る?」

「実は私、迷わしの神と自身を名乗っていますが、本来はサトリと呼ばれる妖怪の一種らしいのです」

 妖怪の一種……?

「軽蔑してくれて構わないです、私は本来、迷っている人間の前に現れては心を読んで辛い思いを復唱してやり、もっと迷わせてやる地味で嫌な妖怪でした」

「迷わしの神は迷わしの神だ、俺はお前を今でも神だと思っている」

 これは本心だった。

「そう言ってもらえると嬉しいです、私が神になった理由……それは一人の霊能者との出会いでした」

 一人の霊能師か、前に言っていた人のことだろうか。

「前に少し話していた霊能師のことです、その霊能師が私が認めた最初の人間でした、彼女は人を迷わす酷い私を介抱してくれて、そして私に生き方を享受してくれた美しい方でした、そして私に名前を下さったのです、迷っている人間の前に現れるからお前は迷わしの神だと、だから私は自身を迷わしの神と名乗り、人を助ける神になろうと、あの時に誓ったのです」

「……綺麗な名前だな」

「そうです、綺麗な名前です、だから私はこれに誇れる神になろうと精一杯頑張りました、だけど現実はそんな難しくはなく、私の言葉は届かず、届いても届かず、私は絶望しました」

 眼と先にあるのに救えない世界、それはどんな気分なんだろうか……

「私、もう怖いです、辛いです、ずっと明と一緒にいたい……」

 これは今まで我慢し続けてきた少女の初めての我儘なのかも知れない。

 今まで幾度となく惨劇を見てきた彼女が、俺みたいな平凡を目の当たりにし、一度決心した思いに挫折した瞬間は、とても重く切なく、きっと彼女に身体があれば耐えきれず抱きしめていたと思う。

「どう言われるか分からないけど、行こう」

「行こうって何処にですか?」

「俺の知り合いに霊能者とイタコが居るんだ、今仕事中かも知れないけど恐らく俺の頼みなら直ぐに来てくれると思う」

「霊能者ですか?」

「ああ、今までに呪いを解いたり事件を解決したり、信用できる奴だ、憑依している内に彼に対処法を聞こう」

 そう言うと迷わしの神は少しだけ戸惑った顔をしたが、直ぐに顔をあげて口を開いた。

「分かりました」


 そうして俺は田原に電話をした。

 そうしたら田原はこれから仕事でレイクタウンに向かうところだったらしく、池の前へと直ぐに来てくれたのだった。

「……迷わしの神か、こりゃ師匠にも来て貰うべきであったかな」

 事情を話さなくても、田原は俺のことを見て一発で彼女の存在に気付いているようだった。

「田原、彼女のことを知っているのか? て言うか見えているのか?」

「そりゃ完璧に捉えている訳ではない、だけど分かるよ、古くから伝わる白装服と、髪が緑掛った年物の歴史ある霊の特徴、埼玉の霊能者で彼女を知らない人はいないだろうね」

 迷わしの神、彼女はこれほどに有名なのか。

「第一に聞こう、あなたのことはサトリと呼ぶべきか、迷わしの神と呼ぶべきか」

「私は由緒正しき、あなたの師から名を頂いた者、出来るのであれば迷わしの神と呼んでいただきたい」

「では迷わしの神と呼ばせて頂こう、今私は凄く悩んでいることがある」

 その次に田原が口にしたことは、俺が推測していなかった事態であった。

「迷わしの神、私はあなたを消してあげるしか、出来ることはないのかも知れない……」

 俺は田原の襟首を掴んだ。

「田原、俺はそんな為にお前をここに呼んだんじゃない……頼む、彼女を呪縛霊から浮遊霊にしてあげたいだけなんだ」

「それがね、明君……私も出来るもんなら彼女を解放してあげたいと思っているよ?」

「じゃあなんで消そうと考えてるんだよ」

「サトリと言うのは本来、呪者の生身が生きている間だけ効果が自足される気持ちの悪い呪いであり妖怪なんだ、それだけど彼女にはどんな呪いが掛けられているか分からないけど、彼女自身、江戸時代から消えることなく、この町を彷徨い続けている、つまりはエンドレスな呪いに組み上がってしまっているのだよ、解放と言うがそもそも霊ではない呪縛的な存在だから解放って言うのは無理な話で、私なりに考えた結果だが、迷わしの神の存在を消してあげないと、きっとこれから少女は永遠を彷徨うことになるだろう、この呪いの」

 永遠……永遠とはどんな感情なんだろうか。

 止まらない時間を手にして、止まらない時間を生きる。

 俺は一瞬、その世界を想像して吐き気を催してしまった。

「……迷わし神、君はどうしたい?」

 俺がそれを彼女に訪ねると、彼女は無表情のまま涙を流していた。

「私はついに解放されるんだな」

 そうして少女の瞳からどんどん涙は流れてくる、顔は無表情だけど彼女が感情に溺れ涙をダラダラ流す光景を見て、俺の瞼からも涙が流れ始めた。

 彼女の中では、消えることが解放だったのだ。

「消えて良いのかよ……もう会えなくなっちゃうじゃないか……」

「どちらにせよ、私は明の前から消えてしまう運命です、それに永遠は怖いです、だから最後に幸せの時間をくれた明の前で成仏したいと思います、正確には霊ではないみたいなので消えるが正しいですけどね」

 俺は言葉を返すことが出来なかった。

「明君、私だって迷っているんだよ、罪もない少女を消してしまうことに罪悪感すら覚えている、だからやるかは二人の意思に任せたい」

 それを言うと迷わしの神は俺に言った。

「明に判断を決めて欲しい」

 こんな判断を俺に託すのか……俺は迷いながらも、もう決心は付いていた。

「迷わしの神、俺もとてもお前といて楽しかったよ」

「うん、ありがとう、明」

「成仏してくれよ」

「成仏はしませんよ、やっとでオバケになれるんですから、そしたら明のことずっと見守っててあげますから」

「本当か? その時は頼むよ」

「分かりました、それじゃ、さよならです」

 彼女は最後に俺の前で笑った、その笑顔は確かに今までの作ってきた笑顔とは違う綺麗な笑顔だった。

 最後の最後に彼女は笑顔を取り戻せたのであった、そして静かに眼を閉じた。


 その後、俺たちは人がいないレイクタウンから少し離れた無法地帯へと向かい、迷わしの神を消すための儀式を始めた。

「田原、頼む」

 俺が田原に迷わしの神のことを頼むと、彼はうむと頷き、彼女に水を掛け始めた。

 その水は霊で姿がない彼女の体を判断し浸していき、まさかの状況に彼女は体を震わせている。

「これは霊水、成分は詳しくは知らないが普通の水から本来人間に害に当たる部分だけを取り除いた聖水みたいなもんだが、これに浸ることにより、妖怪やオバケは姿を露わにされてしまう、勿論それが神が相手でもな」

 そして迷わしの神の周りに勾玉を括り付けると彼はお経のような言葉を唱え始めた。


 田原が呪文を唱え始めてから数時間が過ぎた、迷わしの神の体がドロドロに溶け始めており、俺は見ていられなかった。

 だが、その時である。

『死にたくないよ……』

『幸せになりたかった』

『明……助けて、明……』

 彼女の声が俺の心の中へと訴えとして響いてくる。

「明君、これが本当のサイコパスの叫びって奴だ、この土壇場で彼女の心での叫びがピークを向かえ、俺たちへと直接聞こえるまでになってしまっている、口で叫ばれるよりも、よっぽど心に刺さるモノがあるだろ……」

 そう語る田原も相当キテいるものがあるらしく、尋常じゃない汗を流している、それは田原が例外ではなく、俺はもう立つことさえ儘ならず、膝を付いては大声を上げながら耳を塞ぐ。

 助けてあげたい、助けてあげたい……ああ、なんて俺は駄目な奴なんだろう。

『ごめんね明……我儘言って』

 迷わしの神は悪くない。

『私はもう大丈夫だから』

 そんなこと言わないでくれ。

『最後に笑顔を見せて……』


―――

 俺は我に返った。

 こんな状況になりながらも、彼女は俺に微笑んでくれた。

「せめて呪いよ、彼女の身体を返してくれ……!」

 田原の言葉に共鳴したように、解けた身体は化学反応を起こしたかのように眩しく燃え上がった。

 そのまま迷わしの神は消えていったのだった。

 そして、そこには彼女の代わりに、そこには水瓶が現れ、一つ置いてあった。

 これは、もしかして……

「田原、この水瓶、恐らく彼女が人身御供の時に使われた水瓶だと思うんだよ」

「間違いなくそうだな……」

 俺は無意識に壺の中身を空けようとした。

「触るな!」

 田原は威嚇するように俺に大声でそう言う。

「まだ呪いがあるかも知れない、触ったら次は明君がこの水瓶に吸い込まれて、次の犠牲者になるかもしれないぞ」

「すまない田原、取り乱していた」

「……だが、これはどうするものか、通常の呪解方法で処理出来るか怪しいから私は困っている、特殊な呪いであった以上、これまでの方法が通用するかが怪しい」

 そう迷っている時だった。

 水瓶が動き出したのだ。

「田原、水瓶が動いているぞ」

「もう一か八かだ、今までの方法を試してみる」

 田原はそう言うと、札を取りだし水瓶へと付けると注連縄を水瓶の周りを巻いて見せた。

 だが依然として水瓶はビクビクと動いている。

「やはり駄目か、出てくるのは悪魔かも知れない、明君、とりあえず距離を取ろう」

 俺と田原はダッシュで逃げようと思った時、水瓶は綺麗に割れ、中からは乙女が出てきた。

 乙女が出てきた。

「迷わしの神……?」

 少女は肩で息をしており、そして水を飲んでしまったのか、ゲホゲホと咳き込んで見せた。

「奇跡か……」

 田原はそう言葉を漏らした。

 俺は走って彼女の元へと行くと、俺は迷わしの神を介抱してやった。

「大丈夫か?」

「大丈夫なものか、テープで蓋を止めて、私のことを殺す気か……」

 そして彼女の肩へと俺は触れる。

 触れることが出来る。

「なあ、明……私思い出したよ、私の本当の名前は直草、もう呪いは解けたんだよ……」

 確かに彼女の身体はここにあり、そして彼女は生きており、俺は嗚咽が止まらずにいた、現実なのだ。

「迷わせ神……いや、直草、これは現実なんだよ」

「私……生きているの……」

 やっと自分の生を感じ取れた直草は自分の掌を見つめる、そして徐々に顔をグシャグシャに濁らせていき、子供のように泣いた。

「私……取り戻したんだ、これからやっと……生きていけるんだ……ヒック、もう自由なんだ……」

 直草は己の抱えていた不安を、生身の幸せを身体全体で抱きしめながら永遠に近い時間をずっと泣いていた。


 その後、俺と田原は今回の件について、話してまとめることにした。

 先ずサトリでありながら生きてこれた理由は、生身がとある方法で生存していたためであることは間違いないと田原は言う。

 だがその次の、何故この長い年月、身体を生き長らえることが出来たのかと言う謎は、『神隠し理論』や『タイムスリップ理論』、『コールドスリープ』など、色々な試行錯誤をしたが、結局分かることが出来なかった。

 田原曰く、この世は有り得ないことで有り触れている、だからこう言う奇跡があったって良いじゃないかと、現場で腰を落として笑っていた。


「田原、仕事復帰おめでとう」

「いやぁ~もうね、コンビニの中でタバコ吸おうなんて思えないよね」

「もう二度と、こういうことしないでくれよ……」

 直草が人間に戻り三日間、田原が出勤停止を喰らって丁度二週間が経ち、彼はバイト復帰していたのだった。

 その後、直草は田原の養子になった、正直彼に預けるのは将来が不安だが捨て子として施設に預けるくらいなら俺が預かると田原の養子が養子迎える形になったのだ。

「今さらだけど、直草は田原の養子になって大丈夫だったのだろうか……」

「流石に私は中学生には萌えないから大丈夫だよ」

 いやぁー心配だわ。

「そういえばレイクタウンの件は解決したの?」

「それがね、事件が次の段階へとステップアップしていてね、今はレイクタウンの検査じゃないのさ」

「そうなの?」

「まだ郊外するわけにはいかない情報だから話せないけど、またいつか明君には話すよ」

 これほどに危ない事件に発展してると言うことなのか。

「そういえば、直草の奴、あいつサトリとしての能力は未完ではあるが少し名残が残ってるみたいでな、これは良い商売道具になるぞ」

「……田原、こう調子乗るのは良くないし、俺は何も言わないけどさ、本当に頼むよ、おじさん」

「……そういえば俺はおじさんになってしまったのか」

 今さら気付いたのか。

「もう駄目だ、あとの仕事は明君、頼むよ」

「おい、逃げるなよ」

「タバコを吸いに行くだけだよ、品出しも終わって客もいないし、良いだろ?」

「……まあ、行ってこいよ」


 そして適当にどうこうしている内に、バイトタイムは終わり、俺たちはシフトを交代して貰うと、適当に交代したシフトの人と余談をして、田原が酒とつまみに悩んでるので、俺は先にコンビニをあとにする。

 コンビニの前には直草がソフトクリームを食べながら待っていた。


「直草、元気そうで何より」

「うん、明、この時代の空気にもようやく慣れたよ」

 一週間、一緒に過ごしただけあって、ちょっと会話が照れ臭い。

「直草はこれからどうするつもりなの?」

「田原が中学校とやらに通えるように手続きしてくれると言っていたが、中学校と言うのはどういうところなんだ? 田原は寺子屋みたいな場所だって言ってたが」

「遊んだり勉強したりする場所だよ」

「やっぱ寺子屋と一緒じゃないか」

「まあ、ちょっと心配だけど、行けば分かるよ」

 直草なら、どんな場所でも臨時応変にやっていけるだろう。

「それより、明、ソフトクリームって奴は本当に美味しかったんだね、明が食べてるのを見て、ずっと食べてみたいと思っていたんだよ、本当に美味しいね」

 キラキラした眼でソフトクリームを食べている直草は、人の二生ぶんは生きている迷わしの神ではなく、一人の女の子であった。

 そういえばなんでソフトクリームを食べているのだろう。

「バイト中なのに田原が私に持ってきてくれたんだよ」

「ああ……アイツも抜かりないな、って、やはり人の心が読める特技は消えないのか?」

「いいや、もう人の心を読むことは出来ないよ、慣れってやつなのかな、ずっと心を読んできたから何となく分かるんだよ」

 ああ、なるほどね、これはもう将来有望って訳だな……

「その中学校って言うのに、明も通っているのか?」

「いいや、俺は高校って言う場所に通っていてね、中学を卒業すれば行ける学校に通っているよ」

「ふーん、じゃあ私も頑張って卒業して明と同じ場所に行かないと」

「それが……中学も高校も卒業するには三年間勤めないと駄目なんだよ」

「そうなの? じゃあ三年間高校で私を待ってて」

「無茶言わないでくれよ、高校を卒業したら次は大学に進むか社会人になるかに別れているんだ」

「人生って長いのね……」

 人より長い時間を過ごしてきた彼女でさえ、溜息が出る今の社会スタイル、現在を過ごしてきた俺にとっては疑問はなかったが、直草にとっては今の社会状況は疑問だらけであろう。

「一年なんて、あっと言う間に終わってしまうよ、直草には、この先いろんな人生が待っていると思う、やっと取り戻した人生だろ?」

「そうなの? 今は一日を過ごすのが、こんなに長く感じるのに、人間に戻ってこれたのは嬉しいけど、これから私はどうなるのか、とても不安」

 俺と直草は下を向いて黙りこんでしまった。

 どんなモノにも悩みや迷いはある、そして悩みは尽きることがない。

 例えこれが神であっても、立派な人間であっても、駄目な奴でも、消えることなく尽きることはないのだ。

「おまたせー明君、それに直草もずっとここにいたの? って、二人とも、なんて暗い顔をしてるんだよ」


 その後、俺たちは公園へと映り、先ほど話したことを、俺と直草は話した、そして田原は語りだす。

「そりゃ誰だって悩んだり迷ったりはするよ、アホ面噛ましてる私でさえも悩みはあるさ、二週間前なんて私が悪いのに明君にも責任を感じさせちまった時は、自分の呑気さを恨んだね、しかし、だからって人生は止まってくれて考える時間を与えてくれる訳でもない、悩むだけ無駄なんて言わないけれど、こう言う時は酒でも飲んで一息吐く、駄目なのは、その立場に陥った時に自己嫌悪に溺れたり、自傷行為に及んだりして、自らを呪ってしまうことだと私は思うよ」

 もっとも、田原らしい回答であった。

「それより直草、明君が迷わしの神に憑かれるなんて、どんな悩みを彼が持っていたのか教えてくれないか?」

「田原、これはずるいんじゃないか!?」

「良いでしょう、酒のつまみに聞くが良い」


 その後、俺の恥ずかしい悩みや些細な悩みを包み隠さず直草に話されたりして、俺にとって長い夜になってしまった。

 どんなに辛くても人生は続いていく、辞めるその日が来るまで


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