全裸中年男性、宇宙へ行く

水森つかさ

全裸中年男性、宇宙へ行く

宇宙の片隅に、小さな人影。

一糸まとわぬその姿。

だらしなく下腹が出て小太りで、けむくじゃらな、生物学的には男性に分類される肉体を持つひとつの影は、真っ暗な宇宙空間を動いていた。


「真空でも、呼吸を我慢したら意外とイケるんじゃ」


その正体は、全裸中年男性である。勢いづいたオオカミたちのおこした旋風によって、吹き飛ばされた彼は、大気圏を突破し、宇宙空間に放り出されたのだ。






全裸Naked  世紀Century 0051



すでに人類が全裸になって半世紀以上が過ぎた。

急激に進行した地球温暖化、それにともなう環境意識の高まりにより、人類は服を着るのをやめた。


人類は生まれたままの姿で育ち、子を育て、そして死んでいった。






裸族たちの住む緑なす地球を背後にみながら、全裸中年男性は宇宙を駆ける。

だが、どうして彼は全裸であるのに、宇宙遊泳ができるのだろうか?


彼はプール付きスーパー銭湯のゴールド会員だからである。

プールでは息をとめて潜水し、サウナルームでは汗が吹き出しつづける過酷な環境を体験している。


はからずもそれは、彼の宇宙空間への適性を高めることになった。


プールで鍛えられた肺は、真空空間に放り出されても長時間呼吸しなくても平気である。サウナによるダメージに耐えた皮膚は、一般人なら身体が膨らみ破裂してしまう減圧に耐えられる。


宇宙遊泳を続ける彼は、暗闇のなかを動く影に気づいた。月の光に照らされながら、なにか巨大なものがあるのがわかる。

最初は遠くに見えたけれど、次第に近づいてくる。


「隕石か?このままでは地球にぶつかるぞ!

ワシ、この前に新車買ったばかりやぞ。隕石の破片で傷ついたら、保険効くんか?」


彼は、あわてて光に向かっていった。










全裸中年男性が見たのは、寂れた郊外の風景が折り重なった異常な光景であった。


「国道が……ロードサイドが隕石に、へばりついとる。田舎が延々に続いとるぞ」


そこには、滅び去った旧世紀の郊外によく見かけたロードサイドの風景があった。

片側2~3車線の道路の左右に、チェーン店や量販店の四角形の大きさは違えど、どこか均一的な建物が並んでいる。



隕石の表面にくっついているロードサイドは、一本だけではなかった。

糸をぐるぐる巻きにされたボールのように、隕石の表面には、いくつものロードサイドが重なり、層をなしている。




その時、彼はプレッシャーを背中に感じた。すぐに移動する。すると、さきほどまでいた場所に爆発が起きた。



「私の攻撃に気がつくとはな……恥じらいを忘れた者たちにも、多少は感覚が鋭い者がいるようだ」


「地肌でプレッシャーを感じたから助かったんか?服を着ていたらワシは死んでいた……」



彼はプレッシャーの根源へ視線を向ける。

隕石のなかでも特に大きなロードサイドに、ロケットランチャーを構えて、ドレス仕様のおしゃれな宇宙服を着た人間がいた。


「私の名はマッパダ・カーン。変態どもを粛清しに、地球圏へと戻ってきた」女は言った。


「マッパダ・カーン……?あの大手ファストファッションブランドの社長か?」


「そうだ。人類が服を着るのをやめたから……私たちファッション業界の人間は、アステロイドベルトの向こう側まで追いやられ、グレイ型宇宙人に服をつくって生き延びてきた」


「宇宙人……実在したんか」


「そんな屈辱を受けた私は、地球を追い出された各地の郊外型ファストファッションチェーン店を結集し、戻ってきた!」


彼女は、アステロイドベルトでのつらい記憶を思い出したのか、歯をぎりぎりとくいしばる。


「だからって、こんな巨大な隕石を地球にぶつけるつもりか。恐竜が滅んだ時みたいに、地球が寒うなってしまう。ワシの家、エアコンないんやけど……」


「寒くなった地球で、人類には服を着てもらう」


「地球の資源は、もうもたないんやぞ。服を着る余裕なんて」


「ならば、服を着ない、文明を忘れた人類など、滅んでしまえ」


「服を着るのが、世直しのつもりか!」


「変態のわりに、こざかしい……だが今は、貴様を相手にしている時間はない。

いけ、プリケ・ツー!」


彼女はロードサイド脇のなかでもひときわ大きなショッピングモールのなかへと消えていった。

隕石の後部に固定されたエンジンの燃焼は、より大きくなる。彼女は、隕石の落下速度をはやめたようだ。








「ぷりぷりぷりぷり、ぷりーぃぃぃ!!!!」


お尻以外を厚着した中年男性が、お尻を向けて突進してくる。

その姿を見た全裸中年男性は驚いた。顔、体つきまでなにもかもがそっくりなのだ。唯一、違うのは服を着ているかどうかだ。


「服を着た全裸中年男性なんぞ、ただの中年男性だっ!ワシに勝てるはずが……」


「お兄ちゃん!アタシの服をよく見て」着衣中年男性は言った。


「ただのドレス……女装!?それにワシを『お兄ちゃん』呼び!?」


「気づいたようね。アタシ、プリケ・ツーは、あなたから生み出された妹キャラよ!」


この瞬間、2人の力関係は逆転した。


ここで、NT(ネークド・タイプ)研究所の最新学説を紹介しよう。

『妹>全裸』説である。

裸族(お風呂上がりに裸でうろつく)系お兄ちゃんのいる家庭では、妹は風呂あがりのお兄ちゃんに、湯冷めせんばかりの冷たい視線をむける。


フロアガリ博士は、この視線から発せられる粒子を分析したところ、全裸を無効化する成分を発見した。

これはフロアガリー粒子と命名され、現在のところ妹がお兄ちゃんに向ける視線のなかにしかふくまれていないことが分かっている。



<全裸中年男性>と<妹系中年男性>では、妹成分を含むプリケ・ツーのほうが強い。


「これが<妹化人間>か……」


「裸のお兄ちゃんより、服を着たアタシの方が強い!死ねっ、お兄ちゃん!」


「その冷たい視線っ、気持ちええんじゃあ……むっ、身体が動かないっ」


彼女?の目から放出されたオーラは、全裸中年男性にまとわりつき、しびれが全身を覆う。まるで法事で長時間正座したあとに、立ち上がったようだ。


「フロアガリー粒子砲が直撃したんだから、当然でしょ!変態!へんたいっ、へんたいっ!」


「思い出せ、プリケ・ツー!全裸だったころを。服なんて着ないでさぁ、ワシのところへ」


彼が声をかけると彼女は頭をおさえて苦しみ出す。


「ううっ、アタシ……ワシ……アタシにっ、近づくなぁ!高価格帯イヤホン射出!」


プリケ・ツーの腰につけたポーチから、イヤホンが飛び出し、動けない全裸中年男性の左右の耳穴に装着される。


「そのイヤホンには、ASMR耳かき音声が流れているんだよ。お兄ちゃんは、地球に隕石が落ちるのを眺めながら、背筋をゾクゾクさせてだらしない顔をしていればいいんだ!」


両耳から、カサカサと綿棒の入ってくる音が聞こえてくる。決して、現実では味わえない至高の快楽だ。


「ワシが……ワシにやられるというのか?」


すでに後頭部から背筋にかけてのゾクゾクが始まっている。


「アタシが本物の中年男性なのよ!2人もいらない!」


「お前は、ワシなんだ、プリケ・ツー!ワシは、お前だからよく分かるぞ。お前もこのASMR音声を聞きたいんだろ」


「そんなことない!アタシは、そんな変態じゃないんだ!」


「ああっ、そこじゃ、めっちゃいいんじゃああ」


イヤホンから聞こえる音がゴリッと耳奥に綿棒が入って、全裸中年男性は声をあげた。


「アタシの勝ちだね」


「なら、どうしてそんな物欲しそうな顔をしとんじゃ。お前、聞きたいんじゃろ」彼は両耳から流し込まれる快楽に耐えながら、言った。


「……っ!そんなものでっ」


「図星だな。服の引力に引かれて妹になりきれてない証拠だろ?」


中年男性どうしの戦いとは、<意思のぶつかりあい>である。

耳かきのこすれる音が聞こえてくるイヤホン制御の主導権は、動揺したプリケ・ツーから、全裸中年男性に変わる。


「アタシのイヤホンのコントロールがっ!?」



彼の両耳から飛び出したイヤホンは、プリケ・ツーの両耳にささった。


「無駄よっ!こんな音声なんかに、アタシが屈するわけが……」


「さあ、再生ボタンを押すぞ!」


「あっ……そこ、そこよ、お兄ちゃん!両耳同時に綿棒がっ!おほおおお……」


彼女は、全身を痙攣させて、白目をむく。


「待ってろよ、プリケ・ツー。マッパダ・カーンを倒して、絶対に全裸にしてやるからな」


全裸中年男性は彼女の手を握り、頭をなでた。






彼は、マッパダ・カーンのいる大型ショッピングモールへ向かう。

隕石落としを阻止するためだ。


人口20万人クラスの地方都市の郊外にあるような大型ショッピングモールの内部は、おじさんにとっては迷路のようになっている。


「これでは、どこにコントロールシステムがあるのか、さっぱり分からんぞ」


(立ち止まるな!そう頭で考えちゃだめだ。服を脱ぎたがっている波動を感じるんだ)


「なんじゃ……この声は?」


脳内に響き渡る声に従い、全裸中年男性は雑貨屋のそばを抜け、レストラン街を通り過ぎる。

どれほどさまよっていのだろう。映画館のテナントに彼はたどり着いた。

誰もいないカウンターを抜け、明かりのついているシアターのドアをひらく。



「どうしてここに、私がいるとわかったのか?隕石が地球におちるまでの短時間のあいだに、このテナント群をまわりきって、私を見つけることなど不可能なはずだ」


映画館を改造したコントロールセンターで、彼女はパネルを操作するのをやめて、こちらを向いて言った。


「ワシが全裸だからだ」


「全裸だから……ふふふっ、たしかにな。私の芝居がかった、いわば心に厚着をした状態を見抜くのは得意というわけか」


彼女は笑った。と思いきや瞬時に真顔になり、腰から拳銃を抜いた。

銃口は全裸中年男性に向いている。


「貴様は危険すぎる。衣服を脱ぐことで、人の心がわかり合えたとしても、人類が変態になってしまえば意味はない。

貴様を殺し、人類に服を着せるまでよ!」


「どうしてワシたちの生まれた姿、本来の姿で暮らすのを邪魔するんだっ!」


「私はゾウさんを見ながら生活したくはない!」


彼女は拳銃のトリガーにかかった指に力を入れる。


(彼の全裸は、正しい!生まれたばかりの姿に帰ろうとするのを邪魔する、あなたの作戦は失敗する運命なんです)


(アンタ、服を着たいなんて、センチメンタルだよ)


(全裸中年男性は、優しいことを言ってるんだよ……)


全裸の老若男女の影が、マッパダ・カーンに取り憑いていく。


「なんだこの幻聴は……指が動かない……地球上の裸族たちの思いが、大気圏を越えてきているというのか!?」


「服を着てない……ありのままの姿で、分かりあえるからできたんじゃ。

どうして、心と心のふれあいを恐れとんじゃ、マッパダ・カーン!」


「うるさいっ、変態ども!」


「分かるまい……服を着ることでホントの感情を押し殺しとる、アンタには」


「くっ……私の心に触るなあああっっ!!!」



身動きの取れない彼女のそばを通り過ぎ、全裸中年男性は隕石のコントロールシステムの前に立った。


「はあ……はあ……だが、遅かったな。すでにコントロールシステムは、エンジン最大出力のままロックされている。もはや、私をふくめた誰の操作も受け付けない。このまま地球に落ちる」


彼はおじさんなので、ITには疎い。


「こまったら、コンセントを抜くんじゃ!家電みたいなもんじゃ」


彼はコントロールシステム裏のコンセントを引き抜く。すると警告音が鳴り響く。


「システムが暴走している!?このままでは地表にたどり着く前に……うっ!」


爆発が2人の意識を刈り取った。




サイバー攻撃から内部からのハッキングいたるまで想定し、厳重に守られていたはずのコントロールシステムは、想定外のアナログ物理攻撃によって崩壊した。


コントロールシステムの停止によりエンジンは動きをとめ、制御できなくなった隕石は大気圏を突破したところで自壊した。


2人はいったいどうなったのだろう。









全裸Naked  世紀Century 0052 January 1


巨大隕石の落下から、半年が過ぎた。ほとんどが大気圏で燃え尽きたとはいえ、隕石の落下は地球に小規模な寒冷化現象をもたらした。


いつもよりひときわ寒い正月。

全裸中年男性は露天風呂温泉に入っていた。背後から足音が聞こえてくる。


「先客がいらっしゃるのですか?」


女性の声であった。

温泉の水面にうつったその顔は、マッパダ・カーンであった。

その時、びゅうッと冷たい風が吹き、雪がはらりはらりと降りはじめた。


「冬が来ると、わけもなく服を着たくなりません?」生まれたままの姿で彼女は言った。


「気のせいでしょう。温泉で身体をあたためるといい。それではワシは失礼する」


「ありがとう。優しいおじさん」


軽く会釈して彼は、温泉を出る。その目には、涙が浮かんでいた。





待合所のベンチには、全裸中年男性に瓜二つな男が、すね毛まじりの足をプラプラとさせながら座っていた。


「どうしたのお兄ちゃん?温泉から出るのはやかったじゃない」


全裸になっているプリケ・ツーは言った。


「温泉に入りに来た旅人と会ったんじゃ」


「ふーん」


「さっ、スーパー銭湯に行くぞ。回数券あまっとんじゃ。期限が切れる前に使い切るぞ」


「さっき温泉、入ったばっかりじゃないの?お兄ちゃん」


「露天風呂とスーパー銭湯は、別腹じゃ」


「なにそれ」


2人は仲良く、スーパー銭湯に向かっていった。




こうして、再び地球圏に平和と全裸が戻ったのだ。

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