『ジャッジメント・アンド・ドッグス』

 私は世界で一番、幸せな犬だと思う。

 彼と巡り会えたからだ。


 ゴミ捨て場で私を見つけてくれた彼。

 一緒に暮らしてからは、美味しい食事だけじゃなく、毎日毛並みを整えて、歯を磨いてくれる。そして「綺麗だよ」と素敵な笑顔でキスをする。


 滑らかな手のひらに感じる、愛情の温度。

 細くてしっかりとした身体にまとう、優しい香り。

 ずっとこのままでいたい。



 そんな彼の顔に最近、疲れを感じる。仕事が忙しいみたいだ。

 無理もない。彼は正義の味方なのだから。


 悪人に裁きを下し、弱い人々を助ける。それが彼の仕事。

 理不尽な暴力、脅迫、搾取さくしゅ。はびこる悪に、彼は人知れず立ち向かう。

 

 直接話を聴く私だけが、彼の活躍を理解できた。


 そして今、つらそうに吐き出す苦悩を耳にしている。


 世界を不幸にする悪人は制裁すべきだ。

 だけど汚い奴らにも大切に思い合う存在がいる。

 罪なき存在を悲しませるのは正義なのか。

 自分の行いは正しいのか。

 間違っているなら教えてくれ。この命で償うから。


 私は彼に身体を寄せた。

 お願いだから泣かないで。あなたは正しい。

 世界のすべてがあなたを責めても、私はあなたの味方だから。


 

 心に誓った夜が明けてから、彼は仕事から帰らなくなった。

 こんなに家を空けるのは初めてだ。


 不安に感じていると、家の外から足音が聞こえてきた。

 彼……じゃない。足音が多すぎる。


 扉が開く。同じ格好をした男が何人も部屋に入ってきた。

 威嚇しても気に留めず、室内を荒らし始める。


 やめろ! 触るな!


 そばの男に噛みつこうとしたとき、目の前に一人の女が立ちふさがった。


「あなたね、一緒に住んでいる秋田犬って。同棲生活なんてラブラブぅ~」


 しゃがみこんで、うなる私に顔を近づける。


「怒るとせっかくの美人が台無しよ。あ、みんな気にしないで続けてねー。こっちは特別犯罪対策室のアニマル担当にお・ま・か・せ。私ワンちゃん大好きだしぃ、それに女同士の方が話も合うからさ。……は? サボリじゃないから仕事だから」


 この女がリーダーか。

 鼻をつく匂い、神経を逆撫でる声、おどけてしゃべるくせに冷たい眼。

 何もかも気に食わない。


「ワンちゃんねえ、あなたのご主人様はもう帰ってこないから。私達が捕まえちゃった」


 爪と牙から力が抜ける。

 帰ってこない? 彼が?


「あら、人間の言葉が分かるの? 賢いワンちゃんねー。じゃあ説明してあげる。


 ご主人様がやっていたのは、事故に見せかけて相手の命を奪う仕事。

 標的はブラック企業の社長とか、お布施と称して金品を巻き上げる教祖とか、老人を狙った詐欺師とか。

 依頼は選んでいたらしいから、彼なりのポリシーがあったんでしょうね。


 なかなか尻尾を掴めなかったんだけど、現場に落ちていた証拠と、私の悪を許さない嗅覚と直観力でようやく逮捕できたってワケ。

 余罪も合わせれば……四、五十件じゃ全然足りないかも。近年まれに見る大悪党だわ。


 ちょっと! 洗面所から『しつけ出来ない組織の犬』とか『放し飼いドーベルウーマン』って聞こえたんだけど! 上司にモラハラっていい度胸してるじゃない!?」


 彼が、悪人? 嘘だ。だって、彼は……。


「どうしたの、びっくりして。もしかして、ご主人様を正義の味方とでも思ってたのぉ?


 たしかに被害者は全員クズだし、彼のおかげで助かった人は大勢いる。

 でも全員じゃない。心の支えだった存在や、家族を失って涙する人もいる。


 正しくないの。彼の行いは。

 ただの身勝手な自己満足。


 この国で正義は法律だけ。それ以外の正義は全部『個人の価値観』に留まるの。

 どれだけ倫理的な行為でも、百万人の人生を救っても、法に触れたらそれは悪。

 だから彼は裁きを受けなければならない。残りの人生で罪を償ってもらう。


 世界を回しているのは、絶対的なルール。

 ルールを破ったご主人様には、もれなく罰をプレゼントしま~す。


 それにしても……ご立派なペットサークルに最新型の自動給餌器きゅうじき、二十四時間自動調節されたエアコン。『犬の無事だけは保証してくれ』って言った意味が理解できたわ。大事にされてるのねぇ。


 お金の使い道は人それぞれ。正義と悪の価値観も人それぞれ……なーんて。


 そういうことだからワンちゃん。

 大人しくしていなさいね」



 見下す女をにらみつけ、私は考える。


 彼は自分を悪と認めたら、責任を取って命を捨てるだろう。

 だったらこいつらの作ったおりの中でいいから、生きていてほしい。


 でも。

 それでも私は、彼を救いたい。


 私にとって彼だけが正義。それ以外はすべて悪。

 「あなたは決して間違っていない」と伝えるんだ。

 

 女が目をそらした一瞬の隙を突いて窓へと走る。

 そのまま犬専用の出入口を抜けて、ベランダから外へ飛び出した。



 ガラクタのルールが支配する世界で彼を見つけ出す。

 私ならできる。


 なぜなら、私は彼を愛しているのだから。

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竹乃子椎武 HEARシナリオ部作品 一覧 竹乃子椎武 @takenoko-shi-take

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