第42話 応報

「グガオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!」


 ひっひいいいいいいいいいいいいい!?!?!?


 船に乗り上げてきたのは、あの化け物だった。下半身が引きちぎれ、上半身と片腕だけになっている。海中に沈んだ腹からは毎秒凄まじい量の血液が流れ、その周囲をサメの群れが旋回している。サメたちは化け物が死ぬのを待っているようだった。


 こいつ生きていやがったのか!?

 っていうか、なんでこいつ僕を追って来たんだ!?

 エサなら島の方が豊富だろ!?!?


「……タクヤ……! タスケテ……!!」


 僕がそんな風に思っていると、化け物が片腕を伸ばして、甲板に上がろうとしてきた。その度に船体がグラグラと揺れ、後方の一部が海水に浸かる。


 まずい!

 こんな奴が乗ってきたら、重量で船が沈みかねない!!!


「タクヤ……タクヤ……タスケテ……!」


 化け物は、必死で僕に近寄ってくる。


 そうか!

 こいつ、僕がエサを与えていたから、仲間か何かと勘違いしてるんだ!!


「うるさいいいい!!! 僕はお前の仲間でもなんでもないいいい!!!!」


 瀕死の化け物が僕に助けを求めている事に気付いた僕は、必死で僕に縋ろうとする化け物の顔に蹴りを食らわした。


 死ね!

 死に晒せ!


 だけど化け物も必死だ。その太い腕を回して、僕に縋りつこうとする。


 あぶねえ!?


「タクヤ……タクヤ……タクヤ……!」

「死っねえええええええ!!!」


 僕は全身の力を込めて、奴の顔面を蹴っ飛ばした。既に体の6割以上を失っていたこともあり、バランスを崩した化け物は、


「フシャアアアアアアアアアアアア!!!」


 物凄い血飛沫を上げて、今度こそ海中に沈んでいった。


 死んだか!?

 さっさと死んでくれよ頼むから!!

 僕さえ生き残ればそれでいいんだ!!!


 僕は急ぎ操舵室へと戻ると、スロットルレバーを下ろし船の速度を上げようとした。

 すると、再び船が揺れる。

 さっきの揺れよりも遥かに強い衝撃だった。辛うじて棚にしがみ付いた僕だったけれど、直後にもの凄い水しぶきが操舵室まで入ってくる。


 なんだ!?

 波……!?

 そうか、さっきの地震で……!?


「!?!?!?」


 操舵室を出て確認すると、船の後方から凄まじい高さの波が迫ってきていた。


 マズい!

 さっきの地震で津波が発生したんだ!!

 あんな波が直撃したら、この船は大丈夫なのか!?


「くそおおおおおおおお!!!!」


 僕は急いで操舵室へと戻った。総舵輪を持ち、1分と経たずに船が持ち上げられる。もの凄い高さだった。以前に大型客船が傾いた時と同じか、それ以上の高さだ!!!


「畜生おおおおおおおお!!!!!! 僕だけは絶対!!! 死なないぞおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 僕は船もろとも、荒れ狂う波の中を滑り落ちていく。真正面に迫る鈍色の海面に向かって、僕は叫んだ。






 津波の発生から、4時間ぐらいが経った。

 僕はまだ生きている。船もボロボロだったが、なんとかまだ動いていた。

 そして今、僕の前方には島がある。かなり大きいし、家とか道路が見えるから恐らく青ヶ島だと思う。素人航海でもなんとかなるものだ。これもきっと日頃の行いがいいからだろう。みんなは僕の敵だったけれど、神様だけは僕の味方でいてくれたみたい。


 よかった……!

 本当によかった……!

 これで助かる……!!


「……え……!?」


 だけど島は様子がおかしかった。よく見れば、島の建物はみな崩れている。港もグチャグチャだ。船の周りの海面にも、流木だとかコンクリだとか、破砕した屋根の一部だとかがプカプカ浮かんでいる。その中には人間の姿もあった。みんなクラゲみたいに水面に浮かんだまま動かない。磯の香りに混じって、血や油の匂いもしている。


 な……!

 なんだこれはあああああああああ!?!?

 何が起こった!?

 もしかして……さっきの津波!?

 こ、この様子じゃ東京も壊滅状態かも……!?


「……!!!」


 いや、待て。落ち着け。

 とりあえずはこれでいい。

 多分まだあの島には使える物資はある。それを奪って生き残ろう。その場合、むしろ人がいなくなってよかったとすら思える。生き残ってさえ居れば、きっとそのうち本土の人が助けに来てくれるだろう。その時に泣きつけばいい。うまく立ち回れば、僕は遭難から生きて帰ってきた唯一の学生として、世間の称賛を浴びる。


 僕は前向きにそう考える事にした。

 だが。


「!!!!???」


 なんとはなしに海を見た瞬間、僕はゾッとして立ち竦んでしまった。見渡す限りの水平線が持ち上がっている。波の幅はもう僕の見識じゃ計り切れない。高さは少なく見積もっても10メートル以上はありそうだった。いや、もっと大きいかもしれない……!


 どうして……!?

 どうして僕だけが……こんな……!!

 僕はこんなにも一生懸命に頑張ってきたのに、どうしてこんな不幸な目に遭わなくちゃならないんだよ!!!?


 僕は心から激怒した。

 もはや神すらも僕を見放したのだ!


『……不幸に……ならないで……!』


 その時、不意にアピスの最期に残した言葉が脳裏に浮かんだ。


「……」


 そういえば。

 たしかに、みんなは僕のことを考えてくれてたのかもしれない。先生は、言い方は最悪だったけれど、たしかに僕のためを思って叱ってくれていた。森で殺された力哉も、僕のマンガは褒めていた。他のみんなも。僕は口だけだと思っていたけれど、アピスによるとそれは違うらしい。

 そして、何よりも時坂。あいつが一番僕の才能を認めていた。だからこそ、マンガを描こうと決意したらしいんだ。つまり、全員が全員味方だった。不幸な僕を助けようとしてくれてたっていうんだ。


 だったら……!!!

 どうして今、僕を助けてくれない!!!!???

 どうして誰も僕の事を解ってくれないんだ!!!

 どいつもこいつも勝手に死にやがってえええええええええええ!!!!!!!


「会長!!! 先生!!!! 化け物!!!……時坂でもいい!!! だれでもいいから僕を助けろおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 僕は水平線に向かい怒り叫んだ。

 だけど、誰かが僕の叫びを聞いた様子はない。

 そりゃそうだ。

 だって僕が全員殺してしまったのだから。今更誰が助けに来てくれるだろう。仮に助けに来てくれたって、こんな僕のことなんか見殺しにするに違いない。これが……因果応報という奴か。


 バラァアアアアアアアンッ!!!


 果たして僕がそう思った時、背後で凄まじい爆発が起こった。僕の乗ってきた船が突然爆発したのだ。たぶん、あの化け物が燃料タンクか内縁機関か、どこか壊していったのだろう。

 そしてバラバラに飛び散った船の破片が、まるで火山の噴石のようなスピードと熱を持って僕の背面から打ち付けた。

 僕はあっと言う間に前のめりに倒され、背中も顔も肩も全身火だるまとなってしまう。

 く、苦しい!!

 息ができない……!!

 頭が……痛みと絶望と、その後からくる不思議な高揚感とで満たされていく……っ!!


「……ヒャアアアアアアアアアハハハハハギャハハッギャハハハハハッアギャハハハハハハハッハハハハハアハハハハハッアハハハハハアハハは杯亜飛亜愛あああヒアハアハはいあはいあいあ八母ジャジャジャハハジャジャハカォサジャジャジャジャカジャジャジャジャッカカタタハハハハッハハハハハハハハハハハッハハハハハハハハッハハハハヒアヒアギャアハハハヒィャアアアアアアアア!!!!!」


 炎の中で悶え苦しみながら、僕は何故か笑っていた。込み上げてくる笑いが止められない。相変わらず火に包まれており、息もできなければ全身引き裂かれるような激痛が奔っているにも関わらず、頭の裏側では何かメントールでも塗ったような心地よい感じすらしている。

 だが後頭部の辺りに徐々に熱を感じ、それはやがて痛みに変わる。顎も顎の筋肉も頬骨も全部痛い。胸も痛い。肺にも穴が開いたみたいに感じる。もはや心地よさは全くなく、ただただ地獄の苦しみが続く。

 それでも僕は笑い続けていた。

 まるでアピスのように。


 ああ……アピス、キミは……!!

 キミは……こんなにも辛かったんだね……!?

 僕は今やっと、はっきりとキミの辛さがわかったよ!

 でも……!!


「僕の方がお前の一兆六千万億倍は辛いいいいいいいい!!!!! ああ!!!! どうして誰も僕の事を解ってくれないんだあああああああ!!!!!!?? 死ね!!!! 全員死んで死に晒せ!!!! 死んで僕に詫びろこのクソバカどもがあああああああああああ!!!!!!!!!!!」


 空にも迫る大津波の暗黒の影の下。

 僕は現実の残酷無慈悲さに大粒の涙を零しながら、最期にこの世界を呪った。

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