第41話 立花アピスⅡ
僕は研究所奥に併設された港までやってきた。
波止場の桟橋には、立派なモーターヨットがある。さっそくヨットによじ登った僕は、操舵室へと向かい船のエンジンを動かそうとした。
船の操縦は、電車っぽい感じ。キー回してエンジンかかったら、手前にあるリモコンレバーを倒してそれからスロットルレバーみたいのを倒すって、棚に入っていたマニュアルに書いてあった。
さっそくその通りにしてみると、船は動き出した。
よしいける!
だけど、波があるから真っすぐ進まない。感覚としては目指す方向から3割くらいズレる。10分くらい動かして、ようやくコツを掴みだす。前に進むためには船首で方向を確かめるんじゃなくって、その手前にある……ピットとかっていうのかな? 拳銃でいう照星にあたる部分を目標に向ける感じで調整すると真っすぐ進む。海原に出るともう目標物がなくなるから、島の方向と方角を考えて調整するしかない。操舵室にはいちおうコンパスと海図みたいのがある。計器に関しては半分くらいしか解らない。多分現代だったらタブレットとか使えるんだろうけれど、見た限りはなさそうだった。これでなんとか行くしかないだろう。
「拓也さん……! どうするつもりなんですか!?」
なんて意気込んでいると、女の声がした。
振り返れば、操舵室のドアに寄りかかるようにしてアピスが立っている。全身血塗れの汚いボロ雑巾みたいな格好だ。今にも死にそうだったけれど、目だけはギラついている。その黒くて長い前髪も相まって、いよいよ魔女みたいな見た目だった。
こいつまだ生きてたのか!
障害者のくせにしぶとい奴!
「どうするって、そんなの逃げるに決まってるだろ!……そうだアピス、特別にお前を助けてやる。お前はかなり生意気だったけれど、今この場で反省し、僕に忠誠を誓うと約束するなら今回の事は無かったことにしてやってもいい。僕としても、手足として使える国民の一匹は欲しいからね。向こうに帰ってからもまだやり直せる」
僕がはっきりそう言ってやると、アピスは不服そうな目で僕を睨み返してきた。
この僕が助けてやるって言っているのに、なんでこいつは喜ばないんだ?
「……このままで済むと思っているんですか……?」
「このままって?」
僕は聞き返した。
質問の意味がよく解からなかったからだ。
「たくさんの人を殺して……! それで……なんの罪にもならなくって、この後の人生ずっと幸せに暮らしていけるって、そんな風に思ってるんですか!?」
「思ってる。だって僕、悪くないもの」
僕は平然と答えた。
当たり前の事だ。
僕は悪くない。
「そりゃ、確かに殺しちゃったことについては僕が悪いさ。だって殺人はいけないことだから。僕らが集団で生きる以上は、殺人を犯すような奴は生かしてはおけない。全体の不利益になるからね。でも僕だって殺したくて殺した訳じゃないんだ。みんなが僕を裏切ったり、僕に酷いことを言ったり、僕が酷い目に遭ってるのに助けもせず無視し続けてきたからいけないのさ。会長も先生も時坂も恋夏も他の連中もみんな」
僕がそんな風に自分のしてきた事の正当性をはっきり説明してやってる最中だった。
「もうやめて!!!!! それ以上自分を傷つけないで……っ!!!」
突然アピスが喚き散らす。
「……どういうこと?」
ガチで解らない。
「拓也さんは気付いていないんです。拓也さんが誰よりも傷つけているのは自分自身なんだって事に!!!」
そう言うと、アピスはツカツカと僕の前までやってきて、僕の手を取った。
僕は吃驚してアピスの手を振り払う。
こ、こいつなんだ急に!
何を企んでる?
「私、知ってます。拓也さんはそんな酷い人じゃないって。本当は誰よりも優しいんだ。だけどみなさんとのすれ違いやマンガのことで頭がいっぱいになってしまって、それで自分が見えなくなってるんです。だからこんな酷い事をしてしまうんですよ。私もダメな子だからわかるんです……つい自分の不幸を他人のせいにしてしまいがちで……だけどそれって間違いなんです。間違いっていうのは別に拓也さん自身が間違ってるんじゃなくって、拓也さんの目が不幸によって閉ざされてしまっている事が間違い。だから、私は、どうしても……拓也さんの、そんな辛すぎる姿を見ていたくないんです……!! 私一人の犠牲で済むのなら、全然許せます。だけど、ほかならぬ拓也さん自身を犠牲にしてもらいたくないんです……!! 拓也さん。だからもうやめてください。私にも、アナタに騙されてしまった罪があります。それは私がバカでダメダメな子だったから……! だから、一緒に自首しましょう。そして精一杯償うんです。今からでも決して遅くはないはずなんです……!!!」
僕がそう疑っていると、アピスは目に涙をたっぷり溜めた顔で、懇願するように僕に言った。
……は?
何言ってんのこいつ。とうとう頭おかしくなった?
あー。こいつ陰キャのオタク系女子だからな。きっとマンガに出てくる悪役とかに、僕のイメージを重ね合わせているんだろう。そいつらはよく『本当は俺はこんな事したくなかった』『でも、やるより仕方がないんだ。それがこの穢れきった世界のためなんだ』とかなんとか言って、後悔しながら己の道を突き進んだ結果、心の矛盾を突かれて主人公に敗れる。そういう話がごまんとある。
だけど、そう言う連中と僕は違う。
それを今から説明してやる。
「いや。そもそも僕は正しい。だって僕は被害者だから。母親や父親やクラスメートや先生、果てはこの世界自体からも常日頃イジメられてる。そんな僕が自分の正当性を主張したって、当たり前の権利だろう。僕だって人間だ。まっとうに生きる資格がある」
僕はきちんと自分の正当性を説明してやった。
そう、僕は悪役じゃない。
被害者。
それなのに悪党扱いされてる可哀想な奴なんだ。
「まだ、そんな事言うんですか……!?」
「うん。人を殺すっていうのはね、見た目以上に心理的にも負荷がかかるものなんだ。だって殺した時点で僕は犯罪者にされてしまうから。そうなれば、無条件で僕はイジメられる。特にこんなサバイバル状況ではね。僕は僕で必死だった。生き残るために」
いわゆるカルネアデスの板って奴。
僕が生き残るためには、他人を欺いたり殺したりするしかなかった。
「本当にみなさんが拓也さんの事悪く思ってたと、本気で考えてるんですか……?」
「そうだよ。じゃなきゃ僕の人生こんなに不幸なはずがない」
僕が僕の人生をどれだけ苦痛に感じているか、こいつには解らないんだろう。まったく、生まれた時から被害者扱いされてる障害者様は幸せでいいなあ。
「……これを、見てください……!」
なんて僕が思っていると、アピスが一冊のノートを僕に渡そうとしてきた。それはA6サイズくらいのノートで、僕のネタ帳そっくりだった。だけど僕のものではない。僕のネタ帳は寝室に置いてきている。なんだこれ。
「時坂さんのです。以前に拓也さんのお願いで時坂さんのリュックを手荷物検査させてもらった時に見つけたんです」
僕が怪訝な顔をしていると、アピスが言った。
時坂の?
天才野郎のネタ帳がなんだってんだ?
そう思いながらも一応読む。
僕がパクれそうなネタがあるかもしれない。
だけどネタ帳の内容は僕が期待したものとは全然違っていた。もちろんネタは描かれている。ちょっとした走り書きのものから、簡単なイラスト付きの設定やら構図、コマの割り振りなど色々だ。だがページの大半は違うものに割かれていた。そこに描かれていたのはネタではなく、僕に対するアドバイスや忠告などだ。
「なんでこんなのメモしてやがるんだ? よっぽど僕の事バカにしたかったのか」
「……そういう風に見られるんですね……じゃあ、最後のページ読んでください」
最後のページ?
言われて捲る。
するとそこにはびっしりと、僕に対する称賛……としか思えない文章が羅列されていた。そんな内容のものが、全て感情的に走り書きされている。
『俺の好きな作品』『次回作も面白そう。タクちゃんの主人公は自分の願望に本当に素直で、己の利益のためならどんな事でもやり遂げるって所がいかにも悪役でカッコイイ。次回作の宇宙帝国モノもめっちゃ期待。いつ描いてくれるんだろう』『高校に入ってからは特に神がかってきている。』『タクちゃんこそマンガの天才』『どうしたら彼が自分の才能に気が付いてくれるのか、いつも考えてしまう』
はああああああ……!?
それを見させられた時、僕は訳が解らない精神状態に陥った。
僕の一番の敵対者が、どうした理由か僕を称賛している。まだ、おためごかしとかで僕に直接言うとかなら解るんだけど、自分以外誰も読まないだろうこんなノートの中で褒めて、あいつにどんな得があるんだ?
「なんであいつがこんな……?」
僕はアピスに尋ねた。アピスは顔を曇らせている。それは如何にも切なそうで、やりきれないような表情にも見える。
「……時坂さんが、いちばん拓也さんの事考えてました。あの人は、拓也さんのマンガのファンだったんです。本当にわからなかったんですか?」
「そんなわけないだろ! だって、あいつはいっつも僕に酷い事ばかり言うし。自分の出した作品を反省しないのなんだの。僕が間違ってるとしか言わないんだ」
「他人の間違いを指摘してあげるのって、私、ものすごい好意が必要だと思います。だって一歩間違えば嫌われるし。よほど拓也さんのこと好きじゃないと、とてもできない」
「違う!! あいつは僕の一番の否定者さ! だってあいつさえ居なければ……僕の人生もっともっともっと良くなってたに違いないんだ!! そうだろアピス?」
アピスは何も答えてくれない。
ただ黙って僕の顔をジッと見ている。
「アピス!! 僕を肯定しろ!!!!」
「きゃっ!?」
その目が何故だか急にムカついて、僕は大声を出した。
更にアピスを思い切り蹴っ飛ばす。
「肯定しろアピス!! 時坂は否定しろ!!! あの場に居た連中はみんな最悪最低だったと言え!!! それが唯一の現実なんだ!!! 僕は可哀想な被害者だ!!!!」
「言いません!!!!!」
アピスは強情に首を横に振る。
その襟元を掴み、僕は彼女の体を揺らす。
「言え!!! 言うんだよおおおおお!!!!」
「言いません!!! 誰が見てもそうです!!! 誰が見たって、みなさん善い人でした!!! 拓也さんのことをきちんと考えてくれて!!! あの場で拓也さんをイジメてた人なんていないんです!!! ただの一人も!!!!」
「そんな訳ないんだよおおおおおおおおお!!!!!!」
僕は叫び、両手でアピスの首を絞めた。
これ以上こいつのクソみたいな意見を聞いていたくない!
「さっき助けるって言ったのは撤回する! アピス。お前は生意気すぎる! 死ね!」
「……た……くや……さ……!!」
アピスが僅かに息を漏らす。
もう何人も殺してるんだ。今更一人殺したぐらいで僕がビビるものか。
「黙れ! 全員僕の敵だった!!! 誰も僕のことを助けてくれなかった!!! だからこうなったんだ!!!!! 全部お前らが悪い!!!!!」
「……た……くや……さん……おねが……い……不幸に……ならないで……っ!」
アピスはキレ散らかす僕を見て涙した。
その見下したような態度が、余計に僕の心を焚きつける。
「アピスのくせに……!! これ以上僕を否定するなあああああああああ!!!!」
そして叫ぶと、未だかつてないくらい指に力が入った。
ゴキュリ、という軟骨が砕けるような音がし、「はっ」と細やかな息がアピスの口から漏れ出て、体から力が抜ける。
それきり、アピスは動かなくなった。
ずっしりと僕にもたれかかってくるこいつを押しのけて、海へと落とす。
やれやれ。
最期まで面倒くさい女だった。
せめてサメのエサになれ。
「ハア……! 不幸になる不幸になるって、お前のせいで不幸だわ……!」
僕はアピスの消えた海面に向かって唾と共にそう吐き捨てた。
その時、
ッドオオオオオオオオオオオオ……ッ!!!
突然の衝撃が僕を襲った。
凄まじい横揺れで僕は危うく海に落ちそうになる。ぶつけた肩がめちゃくちゃに痛い。
な、なんだ!?
遠ざかる島の方を見ると、斜面の一部が崩れている。どうやら地震か何かあったみたいだ。
そういえば、最近大きな地震が頻発しているような……!?
バッシャアアアアアンッ!!
突然凄まじい水しぶきがあがって、海から何か、黒いクジラのような生き物が僕の船に圧し掛かってきた。その巨大な重量によって舷側にあった手すりや床がバキバキと音を立てて壊れる。船が傾いて海水が入ってきた。
「グガオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!」
ひっひいいいいいいいいいいいいい!?!?!?
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