第39話 崩壊
「なるほど。これに入れてたのね」
気付けば目の前に恋夏が立っていた。その周囲には、サッカーボール大の球電がふよふよと浮いている。
あれを食らったのか……!?
く……体が痺れて動けない……!
「……蜜が入ってない事に気付いてたのか……?」
この時点で解り切ってる事だけれど、僕は敢えて問う。もちろん時間稼ぎのためだ。
この状況はまずい。
なんとかして隙を窺わないと……!
「そう。あんたが寝ている間にペットボトル盗んでアンタだけやっつけようとしたんだけど、中身が蜜じゃないって気付いたの。蜜がないとあたしたちは化け物をコントロールできない。化け物をコントロールできないってことは、仮にあんたをやっつけたとしてもあのサルたちに襲われるってことよ。だからなんとしても蜜を手に入れたかった。そのために、あんたの奴隷みたいな真似を死ぬ思いで耐えていたの。でも、本物の蜜の在処が解らない。まさか用意していないはずもないし、どこに隠しているのかって思っていたけど……こんな木のますに入れてたなんてね」
言って、恋夏が片手で僕が落としたますを拾い上げた。
それを後からやってきた日妻に渡す。
恋夏は勝利がほぼ確定しているというのに、まったく僕から目を離さないし隙がない。恐らく、僕が時間稼ぎしている事が解っているんだ。万が一にも僕がこの窮地を脱して再び蜜を手に入れるような事がないよう追い詰めに来ている。ならば恐らく、他にも仲間がいるだろう。見張りの女子、或いは奴が手引きした奴隷共が、この脱衣所の外で待機しているに違いない。ここで下手に部屋に戻り、ますの隠し場所を開ければ、それこそ万事休すだ。
どうする……!
一旦負けたフリをするか? それで隙を突いて部屋に戻り、再びますを手に入れるとか。或いは、蜜自体は分泌できるから、こいつらの目を盗んでうまいこと溜めることができれば……!
いや、こいつらに捕まれば、恐らく僕は終わりだ。僕は完全に自由を失って、どこにもいけなくされるだろう。足の一本ぐらいは潰される可能性が高い。そうなってからではもう遅い。
「これであたしたち自由になれる。ホントありがと。お礼に後でゆっくりぶちのめしてあげるから」
「く、くそ……! 逆に謀られてたってわけか……! で、でも僕がいないと、いずれ蜜がなくなるぞ!!!」
「いいよ別に。あんたの足を潰して、柱にでも縄でくくりつけておくから。で、樹液採取みたいなカンジで蜜を集めればいいっしょ。もちろん出さないなんて事をしたら酷い目に遭わせるし」
や、やっぱり!!?
「このひとでなし!!!」
「……あえて否定はしないけど、アンタにだけは言われたくなかったかな」
どうする!?
考えろ!!
この場を切り抜ける手段を!!
絶対に何かあるはず……そうだ!!!!
その時僕は閃いた。
この状況を突破する唯一の方法!
それは、サルの習性を利用するのだ!
「うおおおおおお!!!」
「きゃっ!?」
僕はしゃにむに走った。
といっても自室の方じゃない。浴室兼中庭の方へ。その際正面から恋夏に体当たりをする。自分に向かってくる奴に球電をぶつけようとすれば、最悪自分にも当たるから躊躇するはずと考えたのだ。
僕の考えは当たっていた。遅れて飛んで来た球電は、僕の肩を掠って泉の畔の木にぶつかる。僕はそのまま泉の畔に足を入れた。目の前には、死んだブサイクの伊原が横たわっている。僕は伊原の肩と両腿に腕を回し、お姫様抱っこの形で持ち上げた。力を失くした人間の体はとても重たいけれど、伊原が痩せぎすな女子であることと、今が非常時であることが僕を助けてくれた。そのまま遠くの祭壇の上でぼんやりしている化け物の方へと走る。
「待てよクソ野郎!!!」
後ろから、恋夏が叫んで追いかけて来る。その声にハッとした日妻やアピスもまた僕を追いかける。後ろを見れば、見張りを命令していた別の女子二人まで僕を捕まえに来ていた。
く……!
なんとか間に合うか……!?
後は化け物が僕の言う事を聞いてくれるかどうか……!!
「化け物! エサだ!!!」
僕がそう言って、死体を化け物に向かって投げつける。
「エサ」
同時に化け物は僕の声に反応して立ち上がった。
よし!
これで全てが覆る!!!
思った直後、背中にバチヂッと電撃的な激痛が走った。余りの衝撃と痛みに、僕はその場に前のめりに倒れる。
さっき食らった奴よりも遥かに痛い!
背中の肌が爆発しそうで、目の前がくらくらする!
「何してんのよ!!?」
直後に恋夏が両腕と足で僕を地面に押さえつけた。その態勢で僕の頭を掴み、何度も地面に押し付けてくる。
「み……見てるがいい!!!」
僕は叫んでやった。
僕がした判断はこうだ。化け物の見た目は、人間というよりはサルに似ている。そして、あの研究所にはカニクイザルの標本があった。だから恐らくこの化け物の素体は、カニクイザルと思われる。だったら奴もサルと同じ習性を持つはず。人間をエサだと判断させれば、奴もまた人間を襲うようになるだろう。
果たして僕の判断は正しかった。化け物は目の前に転がった伊原をエサだと認識したらしく、ボロボロの衣服を剥ぎ取り、柔らかい腹部分に牙を立てている。凄まじい量の鮮血が辺りに散り、一部が泉に入って血の煙を作った。
「な……なんてことを!!!?」
「なんで……どうしてこんな事……! 仲間なのに……っ!!」
日妻とアピスが顔面蒼白になりながら言った。
僕以外は人間じゃない!!!
従って仲間でもない!!
ただの奴隷だ!!!
「うっさい!!! こうなった以上はもうお終いだ!!! だけど死ぬのは僕だけじゃない!!! 一度人肉を食ったこいつは、僕らをエサだと認識する!!! だからお前らも化け物に食い殺されるがいい!!! 僕に反逆した罪を悔いながらな!!! ギャハハハハハハハハハハッ!!!!」
「このクソ野郎おおおおおおおお!!!!!」
恋夏が叫ぶ。
そして今、伊原に噛みついている化け物に向かって、3つの球電を放った。
かなり本気らしく、バスケットボールぐらいのサイズがある。だが化け物は太い右腕をブンと振るうと、ハエでも払うかのようにそれらを弾き散らしてしまった。そしてのそり、化け物が後ろを向く。
そう思った次の瞬間には、化け物の巨体が宙を飛んでいた。泉に太い水柱が立ち、別の女子が押し倒されて奴の牙の犠牲になる。その様は凄まじく、あっという間に手足が捥げ頭が吹っ飛び、人間の体をしなくなってしまった。その余りの光景に、女子たちは微動だにできない。
「アピス! みんな! 逃げて!!!!!」
唯一動いたのは恋夏だった。
彼女は再度大きな球電を作って、それを化け物にぶつける。
すると、化け物は恋夏を見た。そのまま襲い掛かる。
「あぶない!!!」
とても人間には避けられなさそうな速度だったが、恋夏は死ななかった。
咄嗟にアピスが駆け寄り、抱き着くような形で恋夏を守ったのだ。だが無傷ではない。アピスの背中には、はっきり化け物の爪痕が残されている。
「アピス!?」
「わたしも……戦います!!! 奉日本さんを置いてなんていけません!!!」
血のにじむ体で立ち上がりながら、アピスが叫んだ。
バカめ!
障害者が戦って何になる!!
足手まといになるだけだ!!
「アピス……!!」
僕はそう思っていたんだけれど、恋夏は違ったみたい。危険を顧みないアピスの言動に勇気づけられたのか、彼女の目が熱く燃え滾っている。
「アピス、絶対に生きて帰るよ!!」
「はい!! 恋夏さん!!!!」
アピスが叫んで、近場にあった木の棒を持つ。一方恋夏は3つの球電を浮かべた。更にそれらを1つに合わせ、巨大な球を作り上げる。まるで人工の太陽みたいな大きさだった。
凄まじい電圧が掛かっているのだろう。恋夏の髪が完全に逆立ち、風圧がこの泉全体を揺らしている。
ああ、恐らくこれは感情が高ぶってるからだ。僕が研究所で化け物に殺されかかった時に大量の蜜を漏らしたのと同様に、恋夏もまた気持ちが昂っているから、それだけ球電の出力が上がっているのだろう。どうやら2人は戦うつもりらしい。無駄なことを。幾ら力を発揮したところで、どうせあの化け物には勝てない。
でも、その分時間稼ぎにはなる。僕はさっき、自分もろとも死ねと言ったばかりだけれど、勿論こいつらと心中する気はなかった。だって僕にはまだ助かる手段があるから。
それは研究所にある船。こいつらが食われている間に、あれで脱出すればいい! 船の鍵は当然僕が持っている。もっとも今は自室の床下のリュックの中に入ったままだけれど。あれを取りに急ごう!
僕は恋夏たちを置き去りにして、自室へ走った。
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