第33話 時坂
「タクちゃん!!!!!」
僕が余りの恐ろしさに絶望しかけていた、その時だった。
不意に僕の耳を打ったのは、耳慣れた人間の声。それは他ならぬ時坂だった。振り向けば奴が化け物に向かって突進している。
あ、あいつ死ぬ気か!?
化け物は咄嗟に爪を振り、巨大な球電群を放った。
だけど時坂は退かない。右に左に飛んでそれを躱し、化け物に肉薄する。
「うおおおおおおおお!!!!」
そのままラグビー選手のタックルの要領で、化け物の腰にしがみ付く。すると水際に立っていた化け物はバランスを崩し、時坂もろとも海中に落ちてしまった。
どうなった!?
僕は慌てて水面を覗き込んで確認する。海中は暗くてよく見えない。なんて思っていると、海面を滑るように幾つもの三角形が迫ってくるのに気付いた。
あれは、サメ……!?
やつら、こんな所にも入り込んでいるのか!!
僕が驚いている間にも、海面がバチャバチャすごい水しぶきを立てて跳ねて、やがて静かになる。続いて赤い煙みたいなものが水面に広がった。量が多すぎて海中が全く見えない。たぶん化け物か時坂がサメに喰われたのだろう。恐らくは時坂が……!
「ふうっ!!」
なんて思ってると、一つ向こうの桟橋に時坂が上がってきた。全身血だらけだけど、奴は無事だ。仰向けに寝ころんでぐったりしている。
あ……あいつ不死身かよ!?
っていうか、ヤバイ、早く逃げないと!!
僕の敵は化け物だけじゃないんだ!!!
今の内に逃げる!!
そう決めた僕は船に向かった。入口がどこか解らないので、桟橋から直接船の上に登ろうとした。途中足が滑って何度も海に落ちそうになったけれど、それでもなんとか片足を掛けてよじ登った。
「タクちゃん!!」
だけど時坂も登ってくる。
僕は船の中をドタドタと逃げ回ったけれど、所詮袋小路。どうしようもなく追い詰められてしまった。サメが居るから海にも飛び込めない。
ど、どうする……!?
一難去ってまた一難だった。
あの化け物の次はこいつをなんとかしなければならない。
「タクちゃん。色々と聞きたいことがある。先ずはなんで逃げ出したのか……いや、なんで俺を陥れようとしたのか教えてくれ……!」
時坂が息切れしながら言う。
「そんな事どうでもいいでしょ! それよりほら、この船! よかったよ! これでみんな帰れる!!」
この際もう時坂が一緒でもいい!
とにかくこんな危険な島からは一刻も早く逃げたい!
「それはもちろん。だけどタクちゃん。先に話して欲しいんだ。どうして俺を陥れようとしたのか」
「……!」
「ひょっとして、本当にタクちゃんが犯人なのか?」
他人の事なのに、時坂は沈痛な面持ちでそれを僕に尋ねて来る。
どういう腹積もりだ?
いや、こんな奴の気持ちなんてどうでもいい。それよりも今はなんとか言い逃れをしないと! じゃないと、最悪僕だけこの島に置いていかれる!
「ち、ちがうよ……僕は会長を殺してなんかない……! 僕、何も知らないんだ!」
「本当? それじゃどうして会長の下着なんて持ってたんだ」
「そ、それは僕が変態だから……! 会長の事好きだったし……!」
この際変態でもいい。
「……それじゃあの石は? あれにも蜜が付着していたけれど、なんで血の付いた石なんて持ってたんだ?」
「あ、あれは実は僕の血で……その、ちょっと悪ふざけしただけなんだ。時坂くんがあまりにもカッコ良すぎてイラついてたからさ……! だから会長殺しの汚名を着せて、それで僕みたいに牢屋にぶち込んでやろうって思ったんだ。それだけだよ。本当なんだ!」
一部本音も混ぜる。その方が本当らしく聞こえるから。
今僕が恐れているのは、自分が会長を殺したっていう真実が解き明かされる事だった。それを避けるためならどんな不名誉を被ろうと構わない。そのためにウソ泣きしながら必死に訴える。いかにもか弱い無辜な被害者を装って。
「いや、幾ら俺にイラついてたからって、人殺しの罪を着せようなんていうのは明らかにやりすぎだと思う。下着だけならともかく、あんな凶器まで用意するってのはおかしい。それに会長が帰ってきてたらどうしてたんだ?」
だけど時坂はあくまで冷静だった。
僕の演技が全く通用しない。
「う……!?」
「タクちゃんのやったことはさ、あの時点で会長が死んでる事を知ってないとできないことなんだ。だから、言い逃れはできない」
「し、知らないよ……! 僕、何も知らない……! 本当だよ。誰かが僕を陥れようとしてるんだ。昔からの親友の時坂なら、僕を信用してくれるよね……?」
「……!」
「お願い……僕を助けて……!!」
僕が涙ながらに懇願すると、時坂は黙った。
やがて、「ハア……」と吐き捨てるような息を吐くと、
「いい加減にしろよ!!!!!」
突然僕を怒鳴った。
ハッとして奴の顔を見る。
いつも優しく微笑んでいる時坂が、鬼の形相だった。
こいつとは小学校からの付き合いだけど、こんな顔をした所は見たことがない。顔が怖ければ声音も恐ろしい。
な、なんだこいつ……!?
「人を殺して言うセリフがそれか!?? お前どんだけ自分の事ばっかなんだよ!! しかもこの期に及んでまだ言い逃れしようとしてるし!! 自分の犯した罪すら認める気ないのか!!?」
「だっ……だっだっだっ、だって……!!」
「だってじゃねえだろうが!!??」
そう言うと、時坂は僕の頬を拳でぶん殴った。
僕はその場で半回転し、後ろにバタリ倒れ込む。
い、痛い……っ!!
暴力だ!!
「ぼっぼっ……僕は悪くないいいいい!!!! だって会長は酷いもの! みんなも酷い!!! 誰も僕の事を助けてくれないんだ!!!!」
「は? マジで言ってんのかよそれ!? みんなお前のこと大切にしてくれてただろ!! むしろ優しすぎてちょっと甘やかしてたってレベルだぞ!!!」
「そんな訳ないでしょ!? みんなして僕の事を嘲笑ってたじゃないか!!!」
「嘲笑ってたって……おまえ、ホントになんにも解ってねえんだな……!?」
時坂は心底呆れたといった風に額を押さえ溜息を吐きながら言った。
僕が他人の気持ちを理解していないのが心底腹立たしい、といった様子だ。
でも、どうしてこいつがそんな事でキレるんだろう?
僕の事なんかどうでもいいはずじゃないか!
「みんながホントに嘲笑ってたと思ってるのか? 例えばほら力哉だってタクちゃんのマンガ認めてたじゃないか。面白いって。先生だってそうだったよ。会長だって、みんなも」
それは違う!!
あんなの僕をからかってただけだ!
みんなもそう!
今のこいつだってきっと!
ああ……!
だけど、どうせ言ったって聞いてもらえない……!
だってこいつは、僕が間違ってると決めつけてるもの!
先生も会長もどいつもこいつも、みんなまとめてクソ野郎だ!!!
誰も僕を助けてくれない!!!
「もういい。そんな態度じゃ今何言ったって信じられない。とりあえず皆の所に戻ろう。少し頭を冷やして、それから再度お前の罪について話し合う事にする」
「そ、そんな……!!!? お願い、助けて……!!!」
「いいかげん責任を取れ。みんなの所に戻るぞ」
言って、時坂が僕の腕を掴んだ。
いやだ……いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ僕はただしいただしいただしいただしいただしいただしいいいいいいいいい!!!!?!?!
僕は絶対に正しいんだ!!!
間違ってるのはいつもこいつら!!!
だって僕はこんなにも惨めで可哀そうだもの!!
今だっていわれのない罪で責められたり殴られたりさあ!!!
どうしてこいつもみんなも誰も解ってくれない!!!?!?
「ここっ、殺すつもりなんかなかったんだよおおおお!!! あれは完全に不慮の事故で……!! ほら、僕って生まれつき不器用で何もできないからさ……そういうところ知ってるでしょ? だからあの時も偶然事故が重なって……!」
「違う。タクちゃんはドジでも間抜けでもない。やればできる。基本やらないだけ」
「ち……違わないんだよおおおおおおおおお!!!?!?!!?????」
僕は叫んだ。
まるで僕が悪いみたいな、そんなクソ話はもう聞きたくない!
「どうして僕を哀れだと思ってくれないの!? こんなにも僕は一生懸命頑張ってるのに!! たとえ低スペックでも、みんなの役に立てるようにって精一杯頑張ってるんだ!!!! だから違うわけがない!!! 僕は障害者以下の健常者なんだから!!!!!」
「まずその認識が間違ってる。タクちゃんは低スペックなんかじゃない。例えばマンガだってそう。人並み以上に描けてるじゃないか」
「全然描けてないよ!! 僕は万年一次落ちだ!!!!」
「それはタクちゃんが『きちんとやらない』からさ。毎回送った作品について、きちんと反省した? どこがどう間違ってたから一次通過しなかったかって、考えた?」
それは……!!
そんなの僕は嫌だった。
だって、どうして負けた作品なんて見直さなければならない!?
そんなの地獄だ!!!!
「僕が間違ってるって言うのかよおおおおお!!?」
「ああ間違ってる。俺とタクちゃんに違いがあるとすれば、そこだけだ。俺は何よりもまず自分が落ちた作品の事を徹底に分析した。タクちゃんは、してない」
「ウソだ! お前一発で通ったじゃないか!!!?」
僕は叫んだ。
まったくもってこいつの言ってる事の正統性が理解できない!
「ああ、ごめん。正確には、俺はタクちゃんのマンガを読んで学んだんだ。俺とタクちゃんって似た所が結構あるからね。俺も小さい頃は自分が常に間違えてないかってその事ばかり考えてたよ。それが俺の不安の全てだった。だからタクちゃんのマンガを読んだときに同じ欠点に気付いて、その部分を直せばデビューできるんじゃないかって思ったのさ。それがたまたま上手くいっただけで……ああ、だから俺も、自分の事ばかり考えてないでもっと早くこの事を言えばよかったんだな……だからタクちゃん。俺が上手くいったんだから、タクちゃんもきっと上手くいくはずなんだ。自分のしてきたことについてきちんと反省さえすれば、タクちゃんもきっと成功できるし、それに皆からも好かれる。俺や会長に嫉妬する必要なんてないんだ。だから皆の所に行って罪を償おう。それが一番なんだ」
「違う!!! 僕には才能がないんだ!!! 時坂、キミみたいな!!!! だから無理!!!! 何をやったって上手くいかないんだ!!! マンガも、恋愛も……!!! どうしてそれが解らないんだよ……!!!!!???」
「それは全部言い訳なんだよ。自分が努力しない言い訳を作っているに過ぎないんだ。いい加減気付けって」
「!!!!!!」
と……!
時坂……てめえ……!!!!
この僕が、これだけ譲ってやってるっていうのに、まだ僕が間違ってるって言うのかよ!?!!?
こいつ……!!!!!
ぶっ殺してやる!!!!!!!!!!!!!!
「おおおお前も死ねばいいんだあああああああああああ!!!!!!!」
僕は姿勢を低くして時坂に突進した。さっき時坂が化け物を葬った時みたいに。
こいつが化け物を殺せたんだから、僕だって不意を突けばこいつ一人ぐらい殺せる。そう思ったんだ。だけど、現実は甘くない。
ごっ!?
僕が時坂の裏腿に腕を回したその時、時坂の膝が僕の顔面をぶち抜いた。
途端に床材が目の前に迫ってきて、直後に一瞬目の前が真っ暗になる。視界の暗転って本当にあるんだって一瞬思った。
痛い……!
そして気が付けば、糸が切れた人形みたいに僕は俯せになっていた。
辛うじて首を上げる。
「……」
すると、無言で僕を見下ろしてくる時坂と目が合った。もう視線だけで殺されそうだった。あのイケメン時坂とは思えない、化け物以上に恐ろしい目。
や、ヤバイ……!
な、なんとか謝らないと!!
「ごっ……! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい命だけは勘弁してくださいいいいいい……!!!!」
万策尽きた僕はその場に平伏して土下座するしかなかった。
仕方ない。この際頭ぐらいは下げるしかないだろう。
今や僕の生殺与奪の権利は全て時坂に握られてしまっている。
「……完全に俺の話聞く気ないね。もう許さない」
「ひっ!?」
事実上の死刑宣告だった。
咄嗟に逃げ出そうとしたけれど、顔面に膝蹴り食らった時のダメージがキツくて、すぐ倒れ込んでしまった。かるい脳震盪起こしたみたいになってる。
時坂はそんな僕の体を無慈悲に引き起こすと、船の縁まで僕を連れて行き、桟橋に降りるように指示をした。まだ頭がクラクラしている僕は、どうしようもなく言われるままにする。僕に続いて時坂も桟橋に飛び降りた。
ああ……!
もうダメだ……!!
畜生……!
この世には神も仏もいないのか……!!!
僕がまさに世を憂いていたその時、
「ビビビビビビビビビイギャギャギャギャギャギャッギャッギャッギャッギャッギャッギャッグアラッグアラッグアラッグアラッグアラッグアラッグアラッギギャギャギャアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」
どこからともなく恐ろしい怪音が聞こえだした。まるでアピスの笑い声みたいな。
その音は海の方からしている。
な、なんで水の中からこんな音がするんだ!?
そう思った直後、突発的な横揺れが僕らを襲った。
僕は立っていられず、その場に四つん這いになった。
桟橋のあちこちにヒビが入り、一部が欠けて水中に落下する。
だけど揺れは収まらない!!
「地震か!?」
時坂も両手を地面に突いて、冷静に辺りを見回している。なんて事をやっていると、
バッシャアアアアアアアアアンッ!!!!
突如として海面が盛り上がり……あっあっ、赤い眼をした化け物がこっちを見てるうううう!!!?
サメに喰われて死んだと思ったけれど、死んでなかったんだ!!
っていうか、口に何か咥えてるけど、あれ……サメ……!?
よく見ると、化け物の全身にサメの腸だとか肝臓とかが引っかかっている。
こいつ、上がってこなかったのはサメを喰ってたのか!?
ってことは僕も喰われる!?
「タクちゃん!! 逃げて!!!」
時坂が叫んで立ち上がった。僕も勿論立って逃げようとしたんだけれど、足に力が入らない。恐怖で震えているのと、まだ頭がクラクラしているからだ。
そんな事をしている間にも化け物が動いて……!?
ブワッ……!
次の瞬間だった。
生暖かい風が、僕の顔面に吹き付けた。
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